[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

「うわっ、母さんから連絡来てる」
「俺んちに泊まるって言ってなかったの?」
「一回帰るつもりだったから。でもどうせ八尋くんのとこでしょ? って」

 母親からは着信が一件とメッセージが数件入っていた。昼過ぎに一度帰ると伝えてあったので、あまりに遅い息子を心配してくれたのだ。しかし応答がないところをみて、どうせ八尋のところにいるのだろうと呆れている顔が見える。
 散々抱き合ったあとでそのまま眠ってしまい、ようやく風呂から上がったところだった。ベッドの上で八尋が日向の髪を拭いてくれながら、肩越しにスマートフォンの画面を覗き込んでくる。
 日向と連絡が取れなくなるときは八尋のところにいるのだろう、と高を括られていることが、なんだか妙にむずむずとしてきた。いちばん仲のいい友達だと思われているこの男は、今日からもう幼馴染でも友達でもない。
 その事実が恥ずかしくて、くすぐったくて、どうしようもなくしあわせだ。

「荷物、いまから取りに行く?」
「ううん、八尋の服貸りたし」

 ドライヤーの音を聞きながら、八尋の家にそのまま泊まるとだけ返事をした。髪を乾かしてくれる八尋の手つきが、やさしくてすこしくすぐったい。
 それに意味もなく笑いが零れてしまうのは、ようやく八尋と同じ気持ちを抱えているのだと確かめ合うことができたからだ。
 同じシャンプーの香りも、八尋の服を貸りているのも、いままでどおり当たり前のことではある。けれど心持が違うだけで、なんかいいなぁと思ってしまうのだ。
 音がやんで手櫛で髪型を整えてもらう。振り向きざまに礼を言おうとしたところで、八尋の腕に抱きすくめられた。服越しの体温がまだ高いのは、風呂から上がったばかりだからだろうか。

「俺と同じ匂いがする」

 髪に鼻を埋められて、匂いを嗅がれるのに身を捩る。そうしているうちにベッドへ押し倒されて、八尋に見下ろされていた。
 もう日向は優しい眼差しの奥に隠された欲望を知っている。八尋の顔が近づいてくるのへ、ゆっくりと瞼を閉じた。しっとりとした柔らかなくちづけに口角が上がって、ついだめ押しでその唇を啄んでしまった。

「ひなちゃん、かわいいことしないでよ」

 そう笑った八尋の唇と再びのくちづけを交わそうとしたところで、ぐうと日向の腹が鳴る。思わず顔を見合わせると、ふたり同時に噴き出してしまった。
 じわりと熱くなった頬を八尋が揶揄するように食んでくる。このままいちゃいちゃしていたのは山々だったけれど、自覚してしまった空腹を無視しておくのは結構つらい。

「ちょっと早いけどご飯食べようか」
 八尋が笑いながら日向を引っ張り起こしてくれた。意味もなく手を繋いだままキッチンまで下りる。なんだか、離れてしまうのが惜しかったのだ。
 冷蔵庫の中には八尋母お手製の料理がぎっしりと詰め込まれていた。男子高校生ふたり分とはいえ、これは張り切りすぎだろうと顔を合わせて笑う。
 とはいえ、どれもこれも美味そうだった。温めて食卓へと並べると、汁物とご飯をよそって席に着く。
 いただきますと手を合わせた。料理に舌鼓を打ちながら、八尋とおいしいねと笑い合う。
 この前こうして食卓を挟んだときは、緊張しすぎていたせいで正直料理の味がしなかった。それがいまは、びっくりするくらいおいしく感じる。それは腹が減っているからというよりも、目の前に幸福そうな八尋がいるからだと思う。

「ひなちゃん、身体大丈夫?」

 キッチンに並んで後片付けをする日向に、八尋が心配そうな目を向けてきた。ふいに先ほどまでのことが蘇って、じわりと身体が熱くなる。

「平気。優しくしてもらったので」

 そう返すと、八尋がよかったと笑う。なんだか恥ずかし気にしているのがこそばゆくて、意味もなくその肩を自分の肩で小突いてしまった。

「あのさ、びっくりしなかった? おれ、はじめてなのに気持ちよくなっちゃって」

 小さな声でそう問うと、こちらを見下ろす八尋の目が丸くなった。それからすぐに眦を笑みに弛めて、そうだねぇと苦笑混じりの声が零れる。

「自分でいじってるひなちゃん、やらしかったなぁ」
「なっ、言うなよっ!」

 揶揄するように笑われるのに、八尋を強めに肘で小突く。わざとらしくよろめきながらごめんと謝られても、ちっとも誠意を感じない。
 冷静になって自分の痴態を思い返してみると、顔から火が出そうだった。八尋に抱かれてはじめて、己の身体があんな風にできているのだと知った。
 いっそのこと、記憶を飛ばしてしまえたらどんなにいいだろう。

「……いやじゃなかった?」
「かわいくて、抱き潰しちゃいそうだった。俺、途中から夢中になっちゃって」
「……ちょっと怖かったよ?」

 揶揄されたお返しにもっともらしくそう言うと八尋の表情が固まった。じわりと申し訳なさが滲みだすのへ、冗談だよと笑ってやる。

「嘘だよ、八尋。おれはおまえならなにされたっていいんだから」
「……本当?」
「おれの反応見てたんだからわかるだろ、」
「たしかに気持ちよさそうだったね?」
「だから言うなってば!」

 柔らかく笑う八尋の頬を泡だらけの指で抓むと、やめて~とわざとらしく嘆かれる。抱き合ったあとも気兼ねなく、こうして普段通りに過ごせていることが尊かった。
 それでも確認しておくに越したことはない。
 そしてこれが、最後の確認だ。

「八尋、後悔してない?」
「してないよ。どうして?」
「だって、もう後戻りできないよ?」
「ひなちゃんこそ後悔してない? 男に抱かれたんだよ?」

 そう言われたのは目から鱗だった。そんなことは考えたこともなかったからだ。だからつい、柔らかな笑みが零れてしまう。

「考えたことなかった。八尋としたいってずっと思ってたから」
「じゃあ、もう一回する?」

 こてんと首を傾げられるのがかわいかった。つい声を上げて笑ってしまいながら、彼に組み敷かれるところを想像して、腹の奥へ疼きを感じてしまう。
 ついじっと上目遣いに見上げる日向の瞼へ、八尋の唇が落ちてきた。わざとらしく鼻先を啄まれるのがくすぐったい。

「したいって顔に書いてある」
「揶揄うなってば」
「ふふ、すっごいかわいい」

 そう笑う八尋の顔をずっと見ていたいと思った。八尋がずっとこうして笑ってくれていることが、日向にとってはいちばんのしあわせなのだ。
 八尋が日向の手の泡を流した。掴まれた手そのままに彼の部屋へと連れ込まれてしまうと、変えたばかりのシーツへともつれこむ。
 さっきしたばかりなのに、もう触れ合いたくてたまらなかった。もどかし気に服を脱ぎ捨てた八尋が、日向のシャツを捲り上げて肌へと唇を落とす。
 その甘い刺激を享受しながら、日向はしあわせの余韻に溺れていく。伸びあがった八尋に唇を奪われると、強請るようにその首へと縋りついた。

「八尋、ずっと一緒にいてくれる?」
「ずっと一緒にいる。日向は俺の、いちばん大切なひとだから」

 ありったけのいとおしさをかき集めたような柔らかで甘い声音。
 その声で紡がれたその言葉は、日向の鼓動を甘やかに高鳴らせた。


 了