[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

 やっぱり市ケ谷のこと、断ろうと思う。
 学校最寄りの駅でみひろたちと別れて電車に乗るなり、八尋がそうぼそりと零した。
 さっきまでみひろ主導で明日の予定を話していただけに、八尋はもうすこし彼と付き合ってみるつもりなのだと思っていた。しかし考えてみれば、話していたのはみひろと相槌を打っていた栖原だけで、八尋はむっつりと黙ったままその場にいただけのように思う。

「……そっか」
「うん。ごめん、ひなちゃんの気持ちに報いようと頑張ってみたんだけど、気持ちがついていかなくて」
「……おれのため?」
「言っただろ? 付き合ってみたら気持ちがついてくるかもしれないって。でも、違うんだってことを突きつけられるだけだった」

 ごめんね、と力なく微笑まれると胸の奥がぎゅっと苦しくなった。おれのほうこそごめんと謝れば、八尋の気がちょっと抜けたのがわかる。
 金曜日の夜の駅前はすこし人が多かったが、カフェで話してから帰ることにした。学校帰りの学生で混んでいる店内に席を見つけると、八尋が買ってくると言って日向を残して行ってしまう。
 席を確保して待ちながら、こうしてふたりで話すのは久々な気がしていた。四人で遊ぶようになってから日向は栖原と過ごす時間のほうが多かったし、八尋はなんだか口数がすくなく、寄り道することなく帰るほうが多かったのだ。
 レジに並ぶ八尋を眺めながら、結局八尋を苦しめていた事実にひとり苛まれた。昨日目の前にあの鳥居が現れたのは、こうなることを予期していたのかもしれない。
 それでも日向は戻らないことを選んだ。なにが正解かわからなくとも、八尋と向き合って試行錯誤していくしかない。
 八尋は最初から乗り気ではなかったのに、どうしてごり押ししてまでみひろの恋を応援してしまったのか、自分でもよくわからなかった。日向が邪魔さえしなければふたりは上手くいくはずだった、という栖原の憶測が、思いの外説得力が強かったのかもしれない。

「おまたせ」
「ありがとう。いくらだった?」

 商品を受け取りながらそう聞いたら、八尋が寂しそうな顔をした。栖原には奢られてやるくせに、と寂し気な笑みの裏で責められているような気がする。

「いいよ、ごちそうさせて。その代わりひと口ちょうだい?」

 そう茶化した八尋に笑ってやりながら、どうぞとドリンクを差し出した。うれしそうにひと口飲んで甘さに顔をしかめるのを見るのは、なんだかひどく久々な気がする。

 ――おれ、やっぱり八尋がすきだ。

 気を取り直したように笑う八尋は、普段通りの日向の知る八尋に戻っていた。
 すきだからこそ、友達の顔をして傍にいる。
 そんなしんどいことを、これからさきもずっと続けていかなければいけない。自分でそう決めたくせに、心の奥底に封じ込めた恋情が、ついつい顔を出しそうになる。
 八尋の態度に、日向と過ごしたいという意図が透けて見えるたび、どうしても自惚れてしまうのだ。

「八尋、明日どうする? おれから断ろうか」
「いや、自分でちゃんと言うよ。そのほうが市ケ谷もわかってくれると思うし」

 みひろのタフな一面を見ていると、それはどうだろうなあという苦笑いが零れてしまった。日向は八尋にフラれたあとも、諦めずにいたみひろの姿を知っている。

「明日はふたりで逢ってくるから、ひなちゃんは補習に集中して。毎週付き合ってくれてありがとう。大変だったでしょ? 市ケ谷が土曜日を指定してくるから」
「おまえがおれがいないと行かないっていうからだろ?」
「だってそれはさあ」

 八尋が申し訳なさそうに苦笑って、コーヒーをひと口飲んだ。
 大変だとわかっていて日向を同席させていたということは、それほどしんどかったのだと思い当たった。八尋の気持ちを慮れてなかったことへの後悔に飲み込まれそうになって、日向はつい重苦しい溜息を吐いてしまった。

「本当にごめんな。おれ、八尋の気持ち考えてやれなくて」
「それはもういいって。市ケ谷から考えてほしいって言われて、すぐ断らなかった俺も悪いんだし」
「おれがいなければ、上手くいくと思ってたんだけどなあ」
「うん? どういうこと?」
「栖原くんに言われたんだ。おれがいなければ、八尋はみひろと付き合っていたんだって」

 そう言ってしまってから、それはなかったことになっていたことに気づいた。八尋が怪訝そうに眉を寄せて、そんなこと言われたの? と不愉快感を露わにする。

「で、でも! 俺は八尋の気持ちを優先するべきだって言ったし。栖原くんも八尋がみひろのことなんとも思ってないのはわかってると思う」

 つい栖原を庇うような口調になるのへ、八尋の眉間のしわが深くなる。八尋が栖原を気に入っていないのは、どの時系列にいても同じことであるらしい。

「……ひなちゃん、最近あいつと仲いいもんね」
「え?」
「似顔絵描いてやったんでしょ? SNSに上がってるの見た。俺には見せてもくれないのに」

 拗ねたような物言いにじっとその顔を見つめてしまった。嫉妬しているような様子にじわじわとした喜びが募って、頬が笑みにとろけてしまいそうになる。
 その件に関しては日向も把握していた。一度目の回帰のときほどバスりはしなかったが、『すきな子に描いてもらった』という一文にそれなりに応援コメントがついていることも知っている。
 八尋はその文言についても思う部分があるのだろう。栖原が日向に好意を寄せていること自体、気に入らないと思ってくれているのだろうか。
 思ってくれていたらいいなと、思わずにはいられなかった。

「あれはふたりを待っている間にささっと描いただけだから。たいしたもんじゃないよ」
「……栖原と付き合うの?」
「え?」
「この前栖原から言われた。日向に告白したからって。だから市ケ谷と付き合っても問題ないぞって言われたんだけど」
「なにそれ」

 ――諦める気ゼロじゃん!
 
 栖原に呆れてしまう一方で、どうなの? と見つめてくる真摯な瞳に焦れる。

「付き合わないよ。だっておれは、」

 女の子がすきだし、と逃げてしまうのはずるい気がした。このさき、もしかしたら八尋以上にすきになれるだれかが現れるかもしれない。そう思うのと同時に、そうだろうか? と思っている自分がいる。
 八尋以上がこの世に存在するなんて、信じられないという気持ちが勝る。

「すきな子がいるから」

 だから、そう言った。
 八尋がどんな顔をしているのか、見るのが怖かった。彼に告白をしているわけではないのに、日向の機微に聡い彼には気持ちを見抜かれてしまう気がしてならない。
 日向が身を引けば、八尋は苦しまなくて済むのだと信じていた。けれどみひろの恋を応援すればするほど、本当は苦しくてたまらなかったのだ。八尋がみひろとの逢瀬に乗り気でないことに安心している自分がいやだった。いまだって、もうやめたいと言われたことに安堵している。
 八尋が日向の顔をそっと覗き込んできた。その距離の近さに心臓が跳ねて、じわりと頬に熱が滲むのがわかる。

「……俺よりも?」

 恐る恐る囁かれた言葉に言葉を失った。困ったような、それでいて哀しんでいるような、はじめて見る八尋の顔。
 日向との関係を壊すのが怖いと、泣いている八尋の姿が脳裏に蘇った。
 日向と八尋は上手くいかない。この気持ちを口にしてはいけないのに、いまこの瞬間、八尋のことを安心させてやりたかった。
 だめだと心臓が警鐘を鳴らしている。
 それでも、嘘は吐けない。

「おれは、八尋のことがすきだよ」

 八尋の目が丸くなる。それから噛み締めるようにそっかと言って、その頬が笑みに綻んだ。

「わかってるのか、八尋。おれはおまえのこと、そういう意味ですきだって言ってるんだぞ」
「うん。わかってるよ」
「いいや、おまえはわかってない。おれはおまえに触りたいって思ってるってことだからな⁉」

 声を落としてそう言うのへ、八尋がわかってるよと笑みを深くした。

「日向が不安なら証明する。俺も同じこと思ってるんだって」

 帰ろうと八尋が立ちあがるのに、日向は動くことができなかった。
 もしもう一度八尋に拒絶されたら、二度と立ち直れないだろう。
 それでも、信じてみたい気持ちが勝った。