[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

 八尋がみひろとふたりきりで逢うのに乗り気でないことが多かったので、日向は時々栖原を巻き込んで一緒に出かけることが増えていた。自然栖原とふたりでいる時間が増えてしまったが、若干身構えたままの日向をよそに、腹黒い本性を出してくることもない。驚いたことに日向は、栖原に対して八尋に似た気安さを感じ始めていた。

「え? 八尋くんのことすきなんじゃなかったの?」

 日向から話を聞いた暁斗がぽかんと片付けの手を止めた。いままで散々八尋のことを相談していた手前、どういう風の吹き回しだと思われているのだろう。

「うん、まあ、そうなるよね」
「そうなるよねって。もしかしてフラれた?」
「うーん、そういうことになるのかなあ?」

 曖昧に誤魔化しながら、日向は美術室のテーブルを拭いていく。その間、暁斗からのなにか言いたげな視線をビシビシと感じていた。八尋が日向の気持ちを蔑ろにするはずがないことを、暁斗は知っている。
 実際こちらの世界では、むしろ八尋は日向に対して積極的に感情を露わにしてくれていた。日向が栖原と一緒にいるのがいやだから、自分もその場についてくる。四人で遊ぶことが多くなった背景には、そう言った事情も絡んでいた。
 今日だってこの補習が終わったら、彼らと合流する予定でいる。

「ひなちゃん、本当にそれでいいの? あんなに八尋くんと付き合いたいって言ってたじゃない」

 責めるような声音に、そうだったっけ? と惚けた。時間を巻き戻る前も後も暁斗には随分と話を聞いてもらっていたから、日向のことを本気で心配してくれているのが伝わってくる。
 年上のいい相談相手として、暁斗はいつだって正しい意見をくれた。だからこそ、本音を見抜かれているのかもしれない。
 実際日向は苦しかった。これでいいのだと自分に何度も言い聞かせながら、納得できない部分に苦しめられた心が喘ぐ。みひろの前で当たり前のように八尋からの甘い態度を向けられるたび、居た堪れなくて逃げ出したくなることもしょっちゅうだ。
 そんな日向を助けてくれているのが栖原だった。彼はその場の空気を読んで、さり気なくフォローするのが上手かった。栖原に日向が助けられるたび、ふたりでどこかへ抜けるたび、八尋の歯痒そうな視線が突き刺さってくる。
 いったいそれが、どんな感情なのかわからなくて焦れる。八尋と末永く一緒にいるために、彼への恋情は捨てなければいけない。
 そう決めたのに、現実はなかなかに厄介だ。

「……実際、おれと八尋じゃ上手くいかなかったんだよ」

 手を止めてそう苦笑うのに、暁斗が怪訝そうに眉を寄せた。わけがわからなそうな様子に、日向の苦笑いが深くなる。
 ずっと相談に乗ってもらっていた手前、理由も話さずに諦めました! で終わらせるのは不誠実な気がしていた。向こうでも暁斗は日向の背を押してくれたし、実際その言葉に何度も救われた。栖原に詰められて落ち込んでいた日向の気持ちを慰めてくれたのも彼だった。
 だから、暁斗には知る権利がある。

「おれさ、八尋と付き合ってたことがあるんだ。そのときもアッキーに背中を押してもらったんだよ」
「ええ? どういうこと?」

 暁斗がますます混乱を深くした。それでも真面目に話を聞こうと思ってくれたのか、日向の傍へとやってきて座るようにと椅子を引いてくれる。
 暁斗も向かい合うように座ると、それで? と先を促された。

「本来、八尋とみひろは付き合っているはずだったんだ。でもどうしても認めたくなくて、おれも強がるみたいに彼女ができたなんて嘘吐いちゃって。なんでそんなこと言っちゃったんだろうって後悔しながら歩いていたら目の前に鳥居が現れてさ。その鳥居を潜ったら、みひろに八尋と付き合ってるって言われる前に戻ってた」
「それで八尋くんと付き合えたのに、戻ってきたってこと?」

 なんで? と暁斗の顔に書かれていた。そこまでしてすきな男と付き合えた世界を捨てるなんて信じがたいのだろう。

「八尋のおれへの気持ちは恋じゃなかったって思い知ったからかな。おれたちは幼馴染でいるのがいちばんよかったんだ。だからおれはみひろとのことを応援する側に回ったんだけど、八尋は納得してないみたい」
「そりゃあ、すきな子にそんなことされたらねえ」

 暁斗が憐れむような視線を向けてきた。八尋がかわいそうだと言いたげな様子を、そんなはずはないと否定する。

「おれは八尋のそばにいるために、幼馴染を選んだんだよ、アッキー。八尋はおれとの関係を壊すことを望んでない」
「そっちの八尋くんは、だろ。実際こっちの八尋くんはどうなんだろう」
「え?」
「ひなちゃん、八尋くんの気持ちを考えているつもりで、自分が傷つきたくないだけだって言っているように聞こえるよ」

 柔らかい声音でありながら諭すような鋭さを持った言葉に、胸のうちを抉られた。そんなことはわかっていた。わかっているからこそ、言葉の棘が刺さって痛い。
 項垂れてしまった日向に、暁斗が言い過ぎたと苦笑った。謝罪の言葉を口にしなかったのは、悪いと思っていないからだろう。

「まあ、八尋くんのために身を引こうって思うところがひなちゃんらしいけどね。普通は上手くいくまでやり直そう! って思うもんだよ」
「そう都合よくはいかないよ。八尋に勢い余って告白したとき、やり直そうと思って鳥居を探したけど見つからなかったんだ」

 もし都合よく日向のタイミングで戻ることができていたら、日向だってそうしていたと思う。けれどできないと知ったからこそ、八尋の気持ちに向き合うことができた。
 結局また逃げていることになるのかもしれないけれど、あのままぎくしゃくした関係を続けるよりはよかったと思っている。

「それって〝願いの社〟じゃないかな」
「〝願いの社〟?」

 日向の言葉を噛み砕くように思いを巡らせていた暁斗から、突然そんなことを言われた。つい怪訝な声で繰り返してしまうのへ、暁斗が記憶を思い返すような口ぶりで言う。

「都市伝説みたいなもんだよ。時間や場所は不明で、本気で願いを叶えたい人の前にだけ現れる」
「それって何度も現れるもん?」
「さあ、そこまでは」

 暁斗が困ったように苦笑った。

「引き留めてごめん。このあと予定あるんだよね」

 そう言われて時間を確認すると、とっくに昼を過ぎていた。慌ててスマフォを確認すると、八尋からどうしたのだというメッセージと着信が何件も入っている。

「うわあ、八尋に心配されてる」
「はは、相変わらず過保護だねえ」

 暁斗から笑われながら、八尋にいまから行くと返信した。そそくさと帰り支度をして美術教室を出ようとするのへ、暁斗の声がかかる。

「この前の課題なんだけどさ」
「ああ、水族館の絵?」
「うん。いい出来だったんだけど、今回は別の作品を出すことになった。ごめんね」

 じゃあ気をつけて。
 そう言われるのに手を振って、日向は昇降口へと向かった。
 やっぱり駄目だったか、というのが正直なところだった。まったく同じ絵を描いたつもりでも、全然手応えがなかったのだ。
 その理由はわかっている。八尋が隣にいるときの景色のほうが、ほかのだれかといるときよりもずっと、輝きを増して見えるせいだった。