[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

「八尋、なんかいやなことあった?」

 週明けの月曜日、日向を迎えに来た八尋は随分と不機嫌そうだった。どちらかというと日向の機嫌を取りに回るほうが多い八尋が、こうして自分の感情を表に出していることは珍しい。
 日向が八尋の柔和でにこやかな一面しか見せてもらえていなかっただけかもしれないが。

「日向に置いていかれた」
「え? いつ?」
「土曜日! 栖原とふたりで帰っちゃっただろ?」

 ああそれで拗ねているのか、と合点がいった。こんな風に拗ねている八尋を見るのははじめてで、じわりとした感情が胸に染み入ってくる。
 その様子がかわいくて笑いながら、行こうと八尋を促した。
 あの日はそうしたほうがふたりの進展にはいいだろうと思って、栖原とさきに水族館を出た。一応みひろには連絡を入れておいたので、上手いことやってくれるだろうと踏んでいたのだが。

「楽しくなかった? 水族館」
「俺は日向と行きたかったんだよ」

 ごねるようにそう言われたあとで、盛大な溜息を零された。こうしてあからさまに不機嫌さをアピールしてくる八尋なんて、いままで一度も見たことがない。
 近づけば怖いと泣かれ、離れようとすれば引き留めるように拗ねてくる。なかなか儘らならないなあと苦笑いたくなるのを懸命に怺えた。
 八尋の素直な言葉は、いとも簡単に日向の心のうちを抉ってくる。

「八尋、おもちゃ取られた子供みたい」

 そう言って笑ってやれば、バツが悪そうな顔をされた。本当にそのとおりであることに今更ながら気づいたのだろう。
 八尋が栖原相手に抱いている感情は、日向がみひろに抱いた感情とよく似ているのだと思う。いちばんに仲がよいと思っていた相手が、ほかのだれかと親しくしている焦り。自分がいちばんでなくなるかもしれないという恐怖。けれどそれはただ、友情に付随する嫉妬だ。
 だから、勘違いをしてはいけない。

「……ずっとふたりでなにしてたの?」

 苦々し気にそう問うてくる八尋の、なんとも言えない表情がおかしかった。
 聞きたくないのに気になって仕方がないというのが顔に書かれている。

「カフェでお茶したり、イルカショー見たり、あとは適当にぶらぶらした」
「楽しかった?」
「それなりに。栖原くん苦手かもって思ったけど、話してみたら話しやすかったし」
「ふぅん、そうなんだ」

 明らかに適当な相槌に、日向は笑いを怺えきれなかった。八尋の嫉妬を弄ぶのはだめだとわかっていながらも、うれしいと思わずにはいられない。

「珍しいね、八尋が気にするの」
「栖原は馴れ馴れしいから、ひなちゃんがいやな思いをしていないか気になって」
「大丈夫だよ。八尋はみひろのことだけ気にしてあげて」
「そのことなんだけどさ」

 八尋が言い淀むように立ち止まった。逡巡するような数秒間ののち、俯けていた顔を上げる。

「市ケ谷のこと断ろうと思ってて」

 いいかな? と問うような、真摯な瞳を向けられた。俄かに騒めきだす心を、日向はどうにか抑え込むことに成功する。

 ――落ち着け。八尋がみひろと付き合わなくても、おれとはうまくいかない。

 もしかしたら最初から、八尋はみひろと付き合う気はなかったのかもしれない。それが不変の事実だったのだとすれば、日向のせいでみひろのしあわせを奪ったという罪悪感がなくなる。それがただひとつの朗報だ。

「そっか。おれは付き合ってみてから考えても遅くはないと思うけどなあ」
「どうしてそんなにくっつけたがるんだよ」

 八尋が不満そうに溜息を吐いた。心底いやそうな顔をされるのへ、みひろが少々気の毒に思えてくる。

「苦手なんだ、ああいう子。ひなちゃんと違うし」
「おまえの基準っておれなの?」

 ――おれのことはそういう目では見ていないのに?

 思わずそう口に出しそうになった。鼓動がいやな音を立てて、密かに速度を増していく。
 なんでもない風に笑えているだろうか。八尋は日向の機微には聡いから、相当上手く取り繕わないとバレる。
 日向が邪な感情を抱いていると、気づかれたくない。

「それは……、」
「八尋、もうちょっと考えてやってよ。おれ、みひろのこと応援するって言っちゃったんだ。おねがい」

 口を開いた八尋を遮って、そう手を合わせた。自分の感情を押し込むために、自分自身に嘘を重ねていくのがうしろめたい。
 それでも八尋は渋々頷いてくれた。