「え?」
はっと我に返ると、目の前でみひろが怪訝そうな顔をしていた。反応が鈍い日向に対し、腹を立てているように見える。
――戻った……!
こちらこそ戸惑っています、といった雰囲気を醸し出しながらも、日向は心の中でガッツボーズした。許されることなら踊り出したい気分だ。
自分から水族館を譲ると言い出してしまいたかった。けれどここはその気持ちをぐっと怺えて、彼が言い出すのを待つ。
一度目も二度目も失敗したこのやり取りの正解は未だにわからない。けれど今度こそは間違いたくはなかった。
「明日、水族館行くんでしょう? それ、ぼくに譲ってくれない?」
「いいよ。その代わり、」
予想通りのその問いに、日向は意を決して答えた。これが三度目の正直になるように、と祈りながら。
「おれも行っていい?」
「……どうして?」
みひろが不可解そうに眉を寄せた。それはそうだろう。日向は彼に恋敵だと警戒されているのだから。
だからせめて、その警戒感を軽減してもらおうと笑みを浮かべる。
「急にふたりで行っておいでっていうのも変だろ? だから俺が八尋を連れていって、適当なところで抜けるから」
八尋は日向が水族館を楽しみにしていると思っている。一度目のときはみひろと付き合っていると勘違いして、勢い余って行ってこいと言ってしまったのだっけ。
つい零れそうになった苦笑いをかみ殺すと、みひろの不信感が強くなった気がした。一体全体どうして、協力的な態度に出られているのか計りかねているのだろう。
「八尋、市ケ谷くんと付き合うこと悩んでるみたいなんだ。だからえっと、そう、応援! おれ、応援したくて」
「……八尋のことをすきなんじゃないの?」
声を落としてそう問われると、浮かべた笑みが引き攣りそうになった。最早上手く笑えているかわからないまま、日向は違うよと首を振る。
「八尋とは幼馴染ってだけだよ」
日向自身に言い聞かせるような言葉に、みひろはようやく溜飲を下げてくれた。未だ半信半疑の彼と連絡先を交換しながら、明日の待ち合わせ場所を決めた。
水族館の最寄り駅に朝九時半。八尋は日向を迎えに来るだろうから、みひろと合流したあと上手いこと抜ける口実を考えておかなければいけない。
一度目の流れに任せておいたほうが楽だったかもしれない、とぐるぐる頭を悩ませ始めたとき、みひろの表情が明るくなった。手を振って駆けていくほうへと視線を向けると、腕へとまとわりついてくるみひろを八尋がうるさそうにあしらっていた。
楽しくじゃれているふたりを見て、これが正しい光景なのだという認識を新たにする。最初からその隙間に日向の気持ちを捻じ込む必要性はなかったのだ。
「おい、日向の前ではやめろって」
「別にいいじゃん」
「よくない!」
そんなことを言い合いながらこちらへ来るふたりの姿に胸の奥が苦しくなった。八尋のためにこの気持ちを諦めると決めたあとでも、彼の隣に並べるみひろが羨ましくてたまらない。
それでも、もう間違えないと決めたのだ。
「なんだ、仲いいんじゃん」
「日向、これはこいつが勝手に」
八尋が離れようとするたび、みひろがわざとらしくすがりつく。違うのだと八尋が弁明しようとしてくれているのは、日向がみひろのことで不機嫌になった過去があるからだ。
――おれ、すごいわがままだったな。
八尋の交友関係に嫉妬して、自分がいちばんでなくなることがいやだった。ここで彼の手を放してやれば、八尋の負担はぐっと減るだろう。もう日向の機嫌を取らなくて済む。
それが八尋にとって、いいのか悪いのかはわからないけれど。
「大丈夫だよ、八尋。さっき市ケ谷くんとは友達になったから」
「……友達に?」
「そう。明日の水族館も一緒に行こうって話してたんだ。八尋、水族館のこと話したのなら誘えばよかったのに」
「八尋が気を利かせるのは柚木くんにだけなんだよ、きっと」
みひろが呆れたようにそう言うのへ、八尋が戸惑うような視線を向けてくる。どうして日向がみひろの味方についたのかを計りかねている様子だ。
「誘ってくれてありがとう、柚木くん。あ、ひなちゃんって呼んでいい?」
「おい、馴れ馴れしく勝手に、」
「いいじゃん、八尋だって呼んでるでしょ? それにかわいいし」
だめ? と小首を傾げる仕種に苦笑いが零れる。そのあざとさはすこし苦手だなと思いながらも、二つ返事で了承した。みひろとは溝を作らず、上手く付き合っていくに越したことはない。
「じゃあおれもみひろって呼んでいい?」
「もちろん!」
溌溂と笑うみひろに日向も自然と笑みを返していた。間に挟まれた八尋が怪訝そうに固まっている。しかしみひろに対してなにを言っても聞かないと悟っているのだろう、あからさまな溜息で和やかな雰囲気を分断すると、帰ろうと日向に訴えてきた。
「じゃあ、また明日」
「うん! あ、もうひとり友達連れてっていい?」
みひろが名案を思いついたと言いたげに、表情を明るくした。来るのは栖原だろうと予測して、ほんのすこし気が重たくなる。
もし栖原に不躾な言葉をぶつけられなければ、いったいどうなっていたのだろう。そう思う心がたしかに、日向のなかにはある。
「日向、帰ろう」
「え? 八尋?」
「いいから早く」
いいともだめだとも言えないうちに、八尋に腕を引かれるまま駅のほうへと引っ張られた。かろうじてみひろへと手を振り返したが、八尋が歩いていくスピードがいつもよりも早くて、ついていくのがやっとだった。
掴まれている腕が痛い。日向に見せるには珍しいむっとした表情に疑問が募る。なにが気に入らなくて、そんな顔をしているのだろう。
「八尋! 八尋ってば!」
思い切って振り解くと、八尋がようやく我に返った。戸惑うように視線を泳がせて、困ったように眉を下げている。
大きめの声を出してしまったせいか、通りすがる生徒たちの目線が痛かった。けれどそんなことはどうでもいい。
「ごめん、痛かったよね……」
「水族館にみひろのこと誘ったの、いやだった?」
「……俺はひなちゃんと行きたかったから」
ぽつりと零された言葉に胸を打たれた。拗ねたような声音に思わず謝りそうになるのをぐっと怺える。
この期に及んで、正直な気持ちを吐露されるなんて夢にも思わなかった。だからといってその言葉に絆されてはいけない。
「みんなで行ったほうが楽しそうじゃない?」
「ひなちゃん、市ケ谷が俺と仲がいいこと気にしてなかった?」
追い打ちをかけてくる言葉に無理な苦笑いを張りつけた。八尋の拗ねたような顔を見るのは久々だ。ほとんどはじめてと言っていいかもしれない。
どうにかして日向とふたりで行こうとしてくれている、その気持ちはうれしい。
けれどその気持ちはただ、日向の気持ちを慮ろうとしてくれているだけだ。幼馴染だから大切にしてもらえているだけで、その言葉の意味を取り違えないように気をつけなければいけない。
「話してみたらいい子じゃん。八尋に告白の返事もらえてないって言ってたよ」
「……ひなちゃん、俺とあいつをくっつけようと思ってる?」
そう言われてぎくりとした。ちょっとあからさますぎたかもしれないと反省する。
それでも、八尋が告白を保留しているということは、そこに考える余地があったということだ。同性でそれなりに気が合うからかもしれない。
「すきだって言ってくれる子のこと、大切にしたほうがいいと思っただけだよ」
「俺の気持ちがそこにないのに?」
「じゃあなんですぐに断ってやらないんだよ。気持ちなんて付き合ってからいくらでもついてくるもんだろ」
「……ひなちゃんはそれでいいの?」
ぼそりとした八尋の声に心が引き裂かれそうになった。日向への気持ちは恋ではないくせに、揺さぶるようなことを言うなんてずるい。
それでも日向は決めたのだ。
八尋が苦しむとわかっている結末を選ぶわけにはいかないから。
「どうしておれに聞くんだよ」
心を鬼にして、困ったように笑った。八尋がじっと疑るような目を向けてきたあとで、諦めたようにふっとその目を伏せる。
寂しそうな表情に心が揺らいだ。口を開けばいやだと叫んでしまいそうで、こっそりと唇を噛む。
「そうだよね、ごめん。帰ろうか」
八尋がそう笑ったとき、すっかりいつもの調子に戻っているように見えた。その様子に安堵して、日向も自分の機嫌を取ろうと努力する。
一歩歩みを進めるたび、日向は八尋への想いを胸の奥へと押し込んでひとつひとつふたをしていった。これからは八尋に大切にされるたび胸の奥が軋むかもしれない。
ほかのだれかに笑いかけるところを見かけるたび、胸が張り裂けそうになるかもしれない。
隣を歩く男への想いは、ずっと変わりはしないだろう。失敗して八尋との関係を壊してしまうくらいなら、こちらのほうがずっといい。
八尋のそばで生きていきたいからこそ、いちばん長くいられる方法を選ぶのだ。
――だいすきだよ、八尋。世界でいちばん。
だからハッピーエンドは望んでない。
はっと我に返ると、目の前でみひろが怪訝そうな顔をしていた。反応が鈍い日向に対し、腹を立てているように見える。
――戻った……!
こちらこそ戸惑っています、といった雰囲気を醸し出しながらも、日向は心の中でガッツボーズした。許されることなら踊り出したい気分だ。
自分から水族館を譲ると言い出してしまいたかった。けれどここはその気持ちをぐっと怺えて、彼が言い出すのを待つ。
一度目も二度目も失敗したこのやり取りの正解は未だにわからない。けれど今度こそは間違いたくはなかった。
「明日、水族館行くんでしょう? それ、ぼくに譲ってくれない?」
「いいよ。その代わり、」
予想通りのその問いに、日向は意を決して答えた。これが三度目の正直になるように、と祈りながら。
「おれも行っていい?」
「……どうして?」
みひろが不可解そうに眉を寄せた。それはそうだろう。日向は彼に恋敵だと警戒されているのだから。
だからせめて、その警戒感を軽減してもらおうと笑みを浮かべる。
「急にふたりで行っておいでっていうのも変だろ? だから俺が八尋を連れていって、適当なところで抜けるから」
八尋は日向が水族館を楽しみにしていると思っている。一度目のときはみひろと付き合っていると勘違いして、勢い余って行ってこいと言ってしまったのだっけ。
つい零れそうになった苦笑いをかみ殺すと、みひろの不信感が強くなった気がした。一体全体どうして、協力的な態度に出られているのか計りかねているのだろう。
「八尋、市ケ谷くんと付き合うこと悩んでるみたいなんだ。だからえっと、そう、応援! おれ、応援したくて」
「……八尋のことをすきなんじゃないの?」
声を落としてそう問われると、浮かべた笑みが引き攣りそうになった。最早上手く笑えているかわからないまま、日向は違うよと首を振る。
「八尋とは幼馴染ってだけだよ」
日向自身に言い聞かせるような言葉に、みひろはようやく溜飲を下げてくれた。未だ半信半疑の彼と連絡先を交換しながら、明日の待ち合わせ場所を決めた。
水族館の最寄り駅に朝九時半。八尋は日向を迎えに来るだろうから、みひろと合流したあと上手いこと抜ける口実を考えておかなければいけない。
一度目の流れに任せておいたほうが楽だったかもしれない、とぐるぐる頭を悩ませ始めたとき、みひろの表情が明るくなった。手を振って駆けていくほうへと視線を向けると、腕へとまとわりついてくるみひろを八尋がうるさそうにあしらっていた。
楽しくじゃれているふたりを見て、これが正しい光景なのだという認識を新たにする。最初からその隙間に日向の気持ちを捻じ込む必要性はなかったのだ。
「おい、日向の前ではやめろって」
「別にいいじゃん」
「よくない!」
そんなことを言い合いながらこちらへ来るふたりの姿に胸の奥が苦しくなった。八尋のためにこの気持ちを諦めると決めたあとでも、彼の隣に並べるみひろが羨ましくてたまらない。
それでも、もう間違えないと決めたのだ。
「なんだ、仲いいんじゃん」
「日向、これはこいつが勝手に」
八尋が離れようとするたび、みひろがわざとらしくすがりつく。違うのだと八尋が弁明しようとしてくれているのは、日向がみひろのことで不機嫌になった過去があるからだ。
――おれ、すごいわがままだったな。
八尋の交友関係に嫉妬して、自分がいちばんでなくなることがいやだった。ここで彼の手を放してやれば、八尋の負担はぐっと減るだろう。もう日向の機嫌を取らなくて済む。
それが八尋にとって、いいのか悪いのかはわからないけれど。
「大丈夫だよ、八尋。さっき市ケ谷くんとは友達になったから」
「……友達に?」
「そう。明日の水族館も一緒に行こうって話してたんだ。八尋、水族館のこと話したのなら誘えばよかったのに」
「八尋が気を利かせるのは柚木くんにだけなんだよ、きっと」
みひろが呆れたようにそう言うのへ、八尋が戸惑うような視線を向けてくる。どうして日向がみひろの味方についたのかを計りかねている様子だ。
「誘ってくれてありがとう、柚木くん。あ、ひなちゃんって呼んでいい?」
「おい、馴れ馴れしく勝手に、」
「いいじゃん、八尋だって呼んでるでしょ? それにかわいいし」
だめ? と小首を傾げる仕種に苦笑いが零れる。そのあざとさはすこし苦手だなと思いながらも、二つ返事で了承した。みひろとは溝を作らず、上手く付き合っていくに越したことはない。
「じゃあおれもみひろって呼んでいい?」
「もちろん!」
溌溂と笑うみひろに日向も自然と笑みを返していた。間に挟まれた八尋が怪訝そうに固まっている。しかしみひろに対してなにを言っても聞かないと悟っているのだろう、あからさまな溜息で和やかな雰囲気を分断すると、帰ろうと日向に訴えてきた。
「じゃあ、また明日」
「うん! あ、もうひとり友達連れてっていい?」
みひろが名案を思いついたと言いたげに、表情を明るくした。来るのは栖原だろうと予測して、ほんのすこし気が重たくなる。
もし栖原に不躾な言葉をぶつけられなければ、いったいどうなっていたのだろう。そう思う心がたしかに、日向のなかにはある。
「日向、帰ろう」
「え? 八尋?」
「いいから早く」
いいともだめだとも言えないうちに、八尋に腕を引かれるまま駅のほうへと引っ張られた。かろうじてみひろへと手を振り返したが、八尋が歩いていくスピードがいつもよりも早くて、ついていくのがやっとだった。
掴まれている腕が痛い。日向に見せるには珍しいむっとした表情に疑問が募る。なにが気に入らなくて、そんな顔をしているのだろう。
「八尋! 八尋ってば!」
思い切って振り解くと、八尋がようやく我に返った。戸惑うように視線を泳がせて、困ったように眉を下げている。
大きめの声を出してしまったせいか、通りすがる生徒たちの目線が痛かった。けれどそんなことはどうでもいい。
「ごめん、痛かったよね……」
「水族館にみひろのこと誘ったの、いやだった?」
「……俺はひなちゃんと行きたかったから」
ぽつりと零された言葉に胸を打たれた。拗ねたような声音に思わず謝りそうになるのをぐっと怺える。
この期に及んで、正直な気持ちを吐露されるなんて夢にも思わなかった。だからといってその言葉に絆されてはいけない。
「みんなで行ったほうが楽しそうじゃない?」
「ひなちゃん、市ケ谷が俺と仲がいいこと気にしてなかった?」
追い打ちをかけてくる言葉に無理な苦笑いを張りつけた。八尋の拗ねたような顔を見るのは久々だ。ほとんどはじめてと言っていいかもしれない。
どうにかして日向とふたりで行こうとしてくれている、その気持ちはうれしい。
けれどその気持ちはただ、日向の気持ちを慮ろうとしてくれているだけだ。幼馴染だから大切にしてもらえているだけで、その言葉の意味を取り違えないように気をつけなければいけない。
「話してみたらいい子じゃん。八尋に告白の返事もらえてないって言ってたよ」
「……ひなちゃん、俺とあいつをくっつけようと思ってる?」
そう言われてぎくりとした。ちょっとあからさますぎたかもしれないと反省する。
それでも、八尋が告白を保留しているということは、そこに考える余地があったということだ。同性でそれなりに気が合うからかもしれない。
「すきだって言ってくれる子のこと、大切にしたほうがいいと思っただけだよ」
「俺の気持ちがそこにないのに?」
「じゃあなんですぐに断ってやらないんだよ。気持ちなんて付き合ってからいくらでもついてくるもんだろ」
「……ひなちゃんはそれでいいの?」
ぼそりとした八尋の声に心が引き裂かれそうになった。日向への気持ちは恋ではないくせに、揺さぶるようなことを言うなんてずるい。
それでも日向は決めたのだ。
八尋が苦しむとわかっている結末を選ぶわけにはいかないから。
「どうしておれに聞くんだよ」
心を鬼にして、困ったように笑った。八尋がじっと疑るような目を向けてきたあとで、諦めたようにふっとその目を伏せる。
寂しそうな表情に心が揺らいだ。口を開けばいやだと叫んでしまいそうで、こっそりと唇を噛む。
「そうだよね、ごめん。帰ろうか」
八尋がそう笑ったとき、すっかりいつもの調子に戻っているように見えた。その様子に安堵して、日向も自分の機嫌を取ろうと努力する。
一歩歩みを進めるたび、日向は八尋への想いを胸の奥へと押し込んでひとつひとつふたをしていった。これからは八尋に大切にされるたび胸の奥が軋むかもしれない。
ほかのだれかに笑いかけるところを見かけるたび、胸が張り裂けそうになるかもしれない。
隣を歩く男への想いは、ずっと変わりはしないだろう。失敗して八尋との関係を壊してしまうくらいなら、こちらのほうがずっといい。
八尋のそばで生きていきたいからこそ、いちばん長くいられる方法を選ぶのだ。
――だいすきだよ、八尋。世界でいちばん。
だからハッピーエンドは望んでない。

![[完結]平凡くんはキラキラな幼馴染に甘やかされたい。](https://novema.jp/img/member/1385841/bvir3d3gmp-thumb.jpg)