高校生になってから駅前で遊んで帰ることが多かったので、八尋の家を訪れるのは随分と久々になる。八尋の両親に挨拶をしたかったのだが、残念ながら出かけてしまったあとだった。
「久々におばさんたちに挨拶したかったんだけどなぁ」
八尋母が準備してくれた夕飯を食べながらそうぼやく。むかしは遊びに行ってそのまま泊まることが日常茶飯事だったので、八尋母お手製のご飯は日向の大好物だった。なにを食べても美味しいので、変に緊張していた心もほぐされていくような気がする。
「母さんも残念がってた。ひなちゃんのことだいすきだから。ご飯も張り切って作っていってくれたし」
「おばさんの料理だいすきだからうれしいよ。美味しかったって伝えておいてね」
美味しいものを食べたからか、自然と頬が弛んでいた。むかしから八尋母の料理にはそういう力が宿っている。八尋と喧嘩した日も、日向が落ち込んでいるときも、彼女の料理を食べるとたちまち元気になれるのだ。
「そういえばさ、おれの作品、コンクールに出してもらえることになった」
「ええ! 本当に⁉」
「うん。さっきアッキーが教えてくれて」
「よかったね! どんな絵を描いたの?」
「この前行った水族館」
「ひなちゃんならきっと入賞できるよ! 今度見せてね」
「いい結果が出たらな」
「ええ~、そこは出なくても見せてよ」
八尋がわざとらしく嘆く。その様子に笑っていると、不意に安堵したような視線を向けられていることに気づいた。
「なに?」
「ううん、ひなちゃんが笑ってくれてよかったなと思ってさ」
「え?」
「最近元気なかったでしょ? 心配してたんだよ? ひなちゃん、なにも話してくれないから」
そう言われて、すっかりいつも通りで話ができていることに気づいた。柔らかに笑う八尋を前に肩の力が抜けている。
「ごめん、心配かけて」
食事の手を止めてそう謝った。いいよと笑みを深くする八尋の態度はいつも通りで、ふたりきりであることに緊張しているようには見えない。
ふと、これでいいのかもしれない、と思った。
幼馴染との違いを実感しようとするからいけないのだ。
「片付けやっておくから、ひなちゃん先にシャワー浴びておいでよ」
そう思っていたのに、食器を片付けながらそう言われるのにドキリとしてしまった。思わずまじまじと八尋の顔を見つめてみても、どうしたの? と小首を傾げるばかりだった。
絶対に意識されていない。それになんだか、無性に腹が立つ。
「ひなちゃん?」
「なんでもない!」
日向の不機嫌がぶり返したことに狼狽える八尋を残して、日向は脱衣所へと引っ込んだ。腹立たしまぎれに服を脱いで、頭から熱いシャワーを浴びる。
一体全体、どうしたらいいのかわからなくなっていた。八尋はただ日向を元気づけようと心を砕いてくれているだけなのに、彼に焦がれている感情がそれだけでは満足できないと横やりを入れてくる。
――聞くだけ聞いてみる、か?
八尋だってわけのわからないまま、日向を心配し続けるのはいやだろう。日向ももやもやとした感情を八尋相手に抱えたまま、口に出せないでいるのはもどかしくてたまらない。
もし気まずい雰囲気になってしまったら、あの社にまた時間を戻してもらえばいい。そう考えると、思いつめていた心がほんのすこしだけ軽くなった。
風呂から上がると、八尋がタオルと着替えを用意してくれてあった。いつも八尋の家に泊まるときは八尋の服を貸してもらう。八尋の服はだいぶオーバーサイズなので、ゆったり着られて寝巻には丁度いい。
八尋の服を着る自分の姿が鏡に映るのを見て鼓動が跳ね上がった。微かに八尋の香りしたような気がして、ぐっと腹の奥が重たくなる。
それを抑え込むようにしてしゃがみ込んだ。いつも通りのことにいちいち反応していてはもたないとわかってはいても、この家にふたりきりだという事実が微かな期待を抱かせる。
「ひなちゃん、大丈夫?」
心頭滅却していたら、ドア向こうからかけられた声に思わず変な声が出そうになった。慌ててそれを呑み込むと、なんでもない風を装って大丈夫だと返事をする。
立ち上がって覗いた鏡には、真っ赤になった顔が映っていた。風呂上がりだと誤魔化すには些か無理がありそうだったが、日向はタオルで顔を隠すと思い切って脱衣室を出た。
「おまたせ。風呂入ってこいよ」
そう言って傍をすり抜けようとする手を八尋に掴まれた。逆上せたのかと心配そうな声を出されるのに、大丈夫だと応えて手を振り払う。
「さき部屋行ってるから。早く入ってこいって」
「本当に大丈夫?」
心配そうな目に晒されているのがいたたまれたなかった。八尋の手の甲が頬に触れるのがひんやりとして気持ちいい。
真面目なふりで日向のことを心配してくれているこの男は、今回ばかりは日向の心情をわかってはくれない。それがもどかしいのに、素直に口にしてしまうこともできない。
もうすこし、心配という感情に甘やかされていたい。そう、願ってしまう。
「大丈夫だからさっさと風呂入れって!」
触れられているのに耐えられなくなって、八尋を無理矢理脱衣室へと押し込んだ。抗議の声を無視してドアを閉めると、逃げるように階段を駆け上がる。
八尋の部屋に逃げ込んで、閉めたドアを背に座り込んだ。真っ赤な顔を膝に埋めて、これからの長い夜を思う。
――八尋、全然普通だったなあ。
ごつん、と後頭部をドアに軽くぶつけた。そうすると意識している自分が馬鹿みたいに思えて、変に頭が冷静になってくる。
八尋がいつも通りなのは今日に始まったことではなかった。恋人同士になったからといって、男同士の自分たちに大きな変化が訪れたわけではない。重要なのは心の持ちようだ。
だからこそ、栖原に言われた言葉が日向の心に刺さって抜けない。どうしてあのとき、もっと強く反論できなかったのだろう。
身体の関係があろうとなかろうと、想い合っていると言えていたらこんなにもやもやしていなかったのに。
ふたりきりの家のなかは、こうしてじっとしているとなんの音もしなかった。のろのろと立ち上がって電気を点ける。
八尋は客用の布団をベッドの下に敷いてくれてあった。幼いころは同じベッドで寝ていたものだけれど、身体が大きくなるにつれて窮屈になりこの状態に落ち着いた。中学生くらいまではくっついて寝ていた気がするけれど、いまやそれすら信じられないくらい、同じ部屋で寝るのだと意識するだけで緊張で頭がおかしくなりそうだった。
一度気持ちが落ち着いたと思ったら、すぐまた緊張がぶり返してくる。八尋相手にこんな気持ちになるなんて信じられなかった。
本当に、恋心というのは厄介だ。
「久々におばさんたちに挨拶したかったんだけどなぁ」
八尋母が準備してくれた夕飯を食べながらそうぼやく。むかしは遊びに行ってそのまま泊まることが日常茶飯事だったので、八尋母お手製のご飯は日向の大好物だった。なにを食べても美味しいので、変に緊張していた心もほぐされていくような気がする。
「母さんも残念がってた。ひなちゃんのことだいすきだから。ご飯も張り切って作っていってくれたし」
「おばさんの料理だいすきだからうれしいよ。美味しかったって伝えておいてね」
美味しいものを食べたからか、自然と頬が弛んでいた。むかしから八尋母の料理にはそういう力が宿っている。八尋と喧嘩した日も、日向が落ち込んでいるときも、彼女の料理を食べるとたちまち元気になれるのだ。
「そういえばさ、おれの作品、コンクールに出してもらえることになった」
「ええ! 本当に⁉」
「うん。さっきアッキーが教えてくれて」
「よかったね! どんな絵を描いたの?」
「この前行った水族館」
「ひなちゃんならきっと入賞できるよ! 今度見せてね」
「いい結果が出たらな」
「ええ~、そこは出なくても見せてよ」
八尋がわざとらしく嘆く。その様子に笑っていると、不意に安堵したような視線を向けられていることに気づいた。
「なに?」
「ううん、ひなちゃんが笑ってくれてよかったなと思ってさ」
「え?」
「最近元気なかったでしょ? 心配してたんだよ? ひなちゃん、なにも話してくれないから」
そう言われて、すっかりいつも通りで話ができていることに気づいた。柔らかに笑う八尋を前に肩の力が抜けている。
「ごめん、心配かけて」
食事の手を止めてそう謝った。いいよと笑みを深くする八尋の態度はいつも通りで、ふたりきりであることに緊張しているようには見えない。
ふと、これでいいのかもしれない、と思った。
幼馴染との違いを実感しようとするからいけないのだ。
「片付けやっておくから、ひなちゃん先にシャワー浴びておいでよ」
そう思っていたのに、食器を片付けながらそう言われるのにドキリとしてしまった。思わずまじまじと八尋の顔を見つめてみても、どうしたの? と小首を傾げるばかりだった。
絶対に意識されていない。それになんだか、無性に腹が立つ。
「ひなちゃん?」
「なんでもない!」
日向の不機嫌がぶり返したことに狼狽える八尋を残して、日向は脱衣所へと引っ込んだ。腹立たしまぎれに服を脱いで、頭から熱いシャワーを浴びる。
一体全体、どうしたらいいのかわからなくなっていた。八尋はただ日向を元気づけようと心を砕いてくれているだけなのに、彼に焦がれている感情がそれだけでは満足できないと横やりを入れてくる。
――聞くだけ聞いてみる、か?
八尋だってわけのわからないまま、日向を心配し続けるのはいやだろう。日向ももやもやとした感情を八尋相手に抱えたまま、口に出せないでいるのはもどかしくてたまらない。
もし気まずい雰囲気になってしまったら、あの社にまた時間を戻してもらえばいい。そう考えると、思いつめていた心がほんのすこしだけ軽くなった。
風呂から上がると、八尋がタオルと着替えを用意してくれてあった。いつも八尋の家に泊まるときは八尋の服を貸してもらう。八尋の服はだいぶオーバーサイズなので、ゆったり着られて寝巻には丁度いい。
八尋の服を着る自分の姿が鏡に映るのを見て鼓動が跳ね上がった。微かに八尋の香りしたような気がして、ぐっと腹の奥が重たくなる。
それを抑え込むようにしてしゃがみ込んだ。いつも通りのことにいちいち反応していてはもたないとわかってはいても、この家にふたりきりだという事実が微かな期待を抱かせる。
「ひなちゃん、大丈夫?」
心頭滅却していたら、ドア向こうからかけられた声に思わず変な声が出そうになった。慌ててそれを呑み込むと、なんでもない風を装って大丈夫だと返事をする。
立ち上がって覗いた鏡には、真っ赤になった顔が映っていた。風呂上がりだと誤魔化すには些か無理がありそうだったが、日向はタオルで顔を隠すと思い切って脱衣室を出た。
「おまたせ。風呂入ってこいよ」
そう言って傍をすり抜けようとする手を八尋に掴まれた。逆上せたのかと心配そうな声を出されるのに、大丈夫だと応えて手を振り払う。
「さき部屋行ってるから。早く入ってこいって」
「本当に大丈夫?」
心配そうな目に晒されているのがいたたまれたなかった。八尋の手の甲が頬に触れるのがひんやりとして気持ちいい。
真面目なふりで日向のことを心配してくれているこの男は、今回ばかりは日向の心情をわかってはくれない。それがもどかしいのに、素直に口にしてしまうこともできない。
もうすこし、心配という感情に甘やかされていたい。そう、願ってしまう。
「大丈夫だからさっさと風呂入れって!」
触れられているのに耐えられなくなって、八尋を無理矢理脱衣室へと押し込んだ。抗議の声を無視してドアを閉めると、逃げるように階段を駆け上がる。
八尋の部屋に逃げ込んで、閉めたドアを背に座り込んだ。真っ赤な顔を膝に埋めて、これからの長い夜を思う。
――八尋、全然普通だったなあ。
ごつん、と後頭部をドアに軽くぶつけた。そうすると意識している自分が馬鹿みたいに思えて、変に頭が冷静になってくる。
八尋がいつも通りなのは今日に始まったことではなかった。恋人同士になったからといって、男同士の自分たちに大きな変化が訪れたわけではない。重要なのは心の持ちようだ。
だからこそ、栖原に言われた言葉が日向の心に刺さって抜けない。どうしてあのとき、もっと強く反論できなかったのだろう。
身体の関係があろうとなかろうと、想い合っていると言えていたらこんなにもやもやしていなかったのに。
ふたりきりの家のなかは、こうしてじっとしているとなんの音もしなかった。のろのろと立ち上がって電気を点ける。
八尋は客用の布団をベッドの下に敷いてくれてあった。幼いころは同じベッドで寝ていたものだけれど、身体が大きくなるにつれて窮屈になりこの状態に落ち着いた。中学生くらいまではくっついて寝ていた気がするけれど、いまやそれすら信じられないくらい、同じ部屋で寝るのだと意識するだけで緊張で頭がおかしくなりそうだった。
一度気持ちが落ち着いたと思ったら、すぐまた緊張がぶり返してくる。八尋相手にこんな気持ちになるなんて信じられなかった。
本当に、恋心というのは厄介だ。

![[完結]平凡くんはキラキラな幼馴染に甘やかされたい。](https://novema.jp/img/member/1385841/bvir3d3gmp-thumb.jpg)