[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

 栖原との一件からこちら、日向の沈んだ気持ちはなかなか元に戻らなかった。八尋とのメッセージのやり取りも気乗りせず、朝夕の登校時間帯の会話もどこか上の空になってしまう。八尋に心配させたくないのに、上手く取り繕うことができない。いまこの瞬間も八尋に恋人という関係を強いてしまっているような気がして、勝手に怖くなってしまうのだ。

「ひなちゃん、大丈夫?」

 そんな様子が三日ほど続いた朝、ついに八尋から痺れを切らされた。自宅から駅へと向かう途中だったので、いまならまだ引き返せると暗に示唆してくれたのだろう。気落ちしているだけで、体調が悪いわけではない。けれど日向は自分の置かれている状況を上手く説明することができなかった。
 どうして手を出してくれないの? なんて、面と向かって聞けるはずがない。

「ううん、大丈夫」
「そう? 最近元気ないけど、なにかあった?」

 そう聞いてくれる八尋の眉が不安げに下がっていた。心配させていることにさらに心が苛まれる。なんでもないという言葉は些か説得力に欠けるだろうが、いまはそう応えておくしかなかった。

「ねぇ、あれ栖原くんのSNSに出てた子じゃない?」
「そうかも! 声かけてみる?」

 その声に肩がびくりと跳ねた。この注目こそが、日向を更なる窮地に追い込んできていた。栖原がSNSに無断で日向の写真をアップしたせいだ。
 通学時間帯の駅前は同年代の学生が多い。日向は声をかけられるまで、まさか自分自身が注目の的になっていることに気づきもしなかった。この写真の人ですよね? と見せられたのは、たしかに日向だった。

 ――あの野郎、勝手なことしやがって。

 そう腸が煮えくりながらも、どうすることもできない歯痒さばかりが募る。
 この前ファミレスに行ったときの写真も、いつ撮られたのか気づかないうちにアップされてしまっていた。しかも文面で日向のことを〝気になる相手〟と匂わせるものだから余計に状況がよろしくない。

「八尋、早く行こ」
「本当に平気?」
「平気だって。ほら、電車乗り遅れちゃうから」

 そう言い訳して、八尋の袖を引いた。まだ予定の電車まで時間の余裕はあったけれど、いち早くこの場を去ってしまいたかった。
 改札を抜けていつもより早めの電車に乗ったが、変わらず車内は込み合っていた。そこここにいる学生たちに注目されているように思えて、腹立たしさに拍車がかかる。八尋の気持ちが見えないもやつきと、栖原のせいでこんなことになっている苛立ち。それが相俟って八尋の心配を増長させている気がしてならない。それを申し訳ないとは思いつつも、日向は自分の機嫌を取り繕うことができなかった。

「ひなちゃん、もしかしてなんだけどさ」
「なに?」
「市ケ谷と俺の写真、気にしてる……?」

 あくまでも違ったらごめんね、と言いたげな顔をした八尋に、日向にしか聞こえない声音で囁かれた。それにすぐに答えられなかったことが、暗にそうだと認めてしまっている。
 日向の機嫌が悪いのはそれが直接の原因ではない。たしかに八尋の言い分は一理あるけれども。
 クラスメイトに教えてもらってから、日向は栖原のSNSをちょくちょく見るようになった。最初は自分の写真を無断で上げられていないか監視するのが目的だった。
 彼はSNSに日常の記録と称して学校の友人たちとの写真をアップしていることが多い。その中にはみひろの写真もあったし、八尋の写真もあった。最初は八尋の写真を見つけて、日向の知らない学校での彼の姿を垣間見たようでうれしくなった。けれどそれも、みひろとの距離の近しさに気づくまでのことだ。
 友人同士だと言われれば納得ができる距離感に過ぎない。けれど日向はみひろが八尋に想いを寄せていることを知っているし、そのせいで栖原から嫌がらせされているのだとわかっている。鬱陶しそうな顔をする八尋とは対照的に、みひろが好意を伝えたくてべたべたしているのは明らかだった。見なければいいのに、つい気になって見てしまう。最近では栖原が、日向を牽制するためにやっているようにさえ思えてきた。
 みひろと付き合うことなどまったく知らない彼を、困らせている罪悪感に胸の奥が痛んだ。日向の機嫌が悪いせいで、要らぬ心配をかけ続けているのだ。それに大切にされていることに胡坐をかいて、八尋の本音を蔑ろにしているかもしれない。そう思い当たってしまってからずっと、胸の奥がつかえている。
 それでも、手放したくはないのだ。

「ひなちゃんが気にすることないよ。市ケ谷はだれに対しても距離が近いんだ」

 でもアプローチ受けてるんだろう? とは言う勇気がなかった。せっかく八尋が日向に伝えないようにしてくれているのだから、その気持ちをありがたく思わなければいけない。
 それでもいやなものはいやなのだ。

「……あんまりべたべたされないでほしい」
「うん、気をつけるね?」

 むっとして唇を尖らせる日向に、八尋がなぜかうれしそうな笑みを浮かべた。柔くとろけた声音を聞いていると、胸の奥がむずむずとしてくる。まるで嫉妬されてうれしいと言いたげなその様子は、とりあえず日向と付き合っている状況を悪くはないと想ってくれているように見える。
 それに、ほんのすこしだけ救われた。

「栖原には勝手にアップするなって言ってるんだけど、聞いてくれなくて困ってて。ひなちゃんの写真も消すように言っておくから」
「それは本当に消してもらって」
「うん。ひなちゃんって、案外注目されるの苦手だよね」
「それは自分でもびっくりしてる」

 そう言って、つい苦笑いが零れた。久方ぶりに頬が動いたような気がしていると、八尋が周りの目から庇うように、日向をドア側へと移動させてくれる。
 その優しさに胸が疼いて、またすきだなと想ってしまった。これ以上どうがんばってもすきになれるはずがないのに、想いばかりが募って困る。

「ひなちゃんはだれとでも仲良くなれるんだと思ってた」
「おれもそうだと思ってたよ。でも、栖原くんと市ケ谷くんはちょっと苦手っていうか」
「俺も」

 八尋が困ったように苦笑った。もしかしたら日向以上に迷惑を被っているのかもしれない。
 そうして日向は守られている。
 八尋のお陰で、学校の最寄りまで周りの目を気にしなくて済んだ。気づいたら心がすこし軽くなっているのは、八尋の態度が普段よりもすこし甘いことに気づいたからだろうか。きっと日向が思っているより、事態はそう深刻ではないのかもしれない。
 そう、思えるようになっていた。

「ひなちゃん、明日補習が終わったら久々にうちに泊まりに来ない? 母さんたち、ふたりで旅行に行くって留守なんだよ」
「……いいの?」
「来てほしいから誘ってるのに。もしかしていや?」

 そう問われるのに慌てて首を振った。じゃあ決まりね、と笑う八尋は、日向を泊まりに誘う意味が、これまでと違う意味を帯びることに気づいているのだろうか。
 つい、そう勘繰ってしまう。

「じゃあ、明日バイトが終わったらひなちゃんの学校まで迎えに行くから」
「うん」

 いつも通りの日向なら、これを関係を進めるチャンスと捉えていたはずだ。けれどいまはちっともそんな気持ちにはなれない。
それでも心は浮ついていた。八尋の真意がどうであれ、ふたりきりで過ごせることには違いない。
 そう思うことにして、日向は八尋と駅で別れた。