[完結]ハッピーエンドはお呼びでない

 その言葉にどきりとした。笑みを浮かべる栖原の目はしかし、奥が笑っていなかった。揶揄するような口調は柔らかでも、その言葉の真意がひどく鋭利に冴えていた。
 たしかに、彼の言う通りかもしれない。

「……それ、どういう意味?」
「そのままの意味だよ。杵埼はみひろの告白を保留にしている間に、きみに告白されて付き合うことにしたってこと」

 栖原の言い分が正しいことは日向がいちばんよくわかっていた。だからこそその言葉が鋭利に、日向の心を的確に抉ってくる。
 彼の意図がいま、明確にわかった。
 この男は日向のことが気に入らないのだ。

「結構脈がありそうだったんだよ。でもきみと付き合うようになってからかなぁ。杵埼の態度が変化した」
「おれのせいだって言いたいの?」
「そりゃあそうでしょ? きみがいなければ、みひろは傷つくことはなかったんだから」

 ねえ? と残酷に笑う栖原が日向の罪悪感を煽った。その笑みとは裏腹なあっけらかんとした声の響きが追い打ちをかけてくる。
 日向は自分のために未来を変えた。それが自分本位な願いであったことは認める。その結果、彼らが恋人同士になる未来が潰えてしまった。栖原がここまで言うのだから、日向の知らないところできっと、彼らはそれなりに仲睦まじかったのだろう。
 そう考えるだけで、腹の底にどす黒い感情が湧き上がってきた。八尋がほかのだれかと結ばれる未来を想像することがつらい。
 だから日向は死に物狂いで祈って、この未来を手に入れた。この男に間違いを責められる筋合いはない。

「おれに身を引けって言いたいの?」

 日向の声が低く冴えたことに気づいたのか、栖原がおや? と僅かに目を見開いた。それから片肘を突いて日向を見やると、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。

「いや? みひろはみひろでがんばることにしたみたいだし、俺はそれを応援させてもらうよって言いたかっただけ」
「このためだけに待ち伏せしてたの?」
「恋敵を牽制しておくことは必要でしょう? みひろはそういうことしないタイプだから、俺が言っておいてやらないとね」
「まさかおれの警戒心を解くために、毎日話しかけてきてた?」
「だって日向くん面白いんだもん。俺のこと苦手って顔しながらちゃんと話してくれるところとかさ。だから日向くんとお近づきになりたかったのは本当」

 栖原の目に違う熱が宿るのを見て思わず顔を俯けた。いやがらせにもほどがあるだろうと言ってやりたかったけれど、これ以上会話を続けるのは危険だと本能が告げている。

「じゃあ、おれはそろそろ帰るね、」

 自分の分のお会計をテーブルへと置いてそそくさと立ち去ろうとした手を、引き留めるように掴まれた。手首の内側を誘うように撫でられると、ぞわりとした嫌悪の情が身体に走る。
 反射的に手を振り払ってしまうと、栖原がおかしそうに顔を歪めた。探るような目とフォークの先を突きつけられると、その場から動けなくなってしまう。

「日向くん、杵埼に手を出されていないだろ」

 心臓の裏を、冷たい指で慣れられたみたいだった。
 そうことをたいして仲良くない日向に聞けてしまうあたり、栖原は随分と図太い性格をしている。もしくはデリカシーがないのか、日向の化けの皮を剥がそうとしているのか。いずれにせよ、その問いに答えるつもりはなかった。

「答える必要ある?」

 精一杯の虚勢に栖原の笑みが深まる。強い力で腕を掴まれて引き寄せられた。
 間近に迫った唇が、にやりと笑みに吊り上がる。

「それって、本当に付き合ってるって言えるの?」

 現実を突きつけられたようで、一瞬目の前が真っ暗になった。
 目を瞬かせているうちに手を離されて、奢っておくよと小銭を掌に握らされる。
 我に返って再びそれをテーブルへと叩きつけるように置いた。こんな男に奢ってもらう義理はない。

「帰る!」

 そう宣言するのへ、揶揄するようににやりとされた。厭味ったらしい笑みを睨み返して、肩を怒らせながら店を出る。こんなに腹が立っている時点で、栖原に負けたも同然だ。
 駅まで走って、次に来た電車に乗り込んだ。自宅の最寄り駅へと揺られながら、段々と気持ちが冷静になってゆく。
 栖原に言われた言葉に、じわじわと心を苛まれていた。図星を突かれて言い返せなかったことが悔やまれる。
 八尋はただ、日向を大切にしてくれているだけだ。
 けれど、本当にそれだけなのだろうか。
 正直なところ、八尋との関係性には大きな変化は訪れていない。お互いに恋人同士なのだという認識はあるけれど、一緒に育ってきた手前そういう雰囲気にすらならない。
 告白したときだって、八尋は返事をごねていた。みひろからの告白は断ってくれていたとはいえ、日向の恋愛感情を受け入れる気はなかったのかもしれない。

 ――八尋のこと、困らせてるのかも。

 いまでも、八尋の気持ちが恋ではないなんて信じてはいない。気づいていないだけで、おれのことがすきなんだろうと思っている。
 しかしその自信さえ、栖原の言葉を受けたいまではぐらりと揺らいでしまいそうだった。
 世の中にはプラトニックに思い合うカップルだっているだろう。けれど日向はそうではない。八尋とキスがしたいし、それ以上のことだって望んでいる。
 しかしいまのところ、八尋から手を出される気配は微塵もなかった。
 
 ――もしかして、本当に恋愛対象外だったんじゃ……?

『日向のことはそういう目では見てないよ』

 そう言う声が思い返されて、日向に追い打ちをかけてきた。絶対に嘘! と心の中で言い返す声が、どこか弱気になっていく。
 思わず重苦しい溜息を吐いて、ごつんと頭をうしろの窓へとぶつけた。近くに座る乗客が驚いたように顔を上げたが、知ったことではない。
 栖原の策略に乗せられた自分が腹立たしかった。ついていかなければよかった! という後悔だけが、ずっと日向の中でぐるぐると渦巻き続けた。