ハッピーエンドはお呼びでない

 柚木 日向(ゆずき ひなた)。十七歳。
 ただいま最悪の光景を目にしている。

 ――えっ、だれ?

 駅で幼馴染を待っていた日向は、その光景に思わず柱の陰に隠れてしまった。
 それでも気になって仕方がないので、そっと陰からその様子を窺う。すっかり怪しい人だけれど、そんなことは気にしていられない。
 ほぼ生まれたときからの縁と言っても過言ではない幼馴染が、だれかと連れ立って帰ってきたことなどなかった。しかも楽しそうに談笑しているだなんて!

 ――八尋、楽しそう。

 胸の内がもやもやと気持ち悪くなってくるのへ、思わず胸に抱いた学生鞄をぎゅうぎゅうと抱き締める。傍から見ればただの友達同士にしか見えない。
 けれどつい日向はああそういうことか勘繰ってしまう。背が高くて格好いい幼馴染の隣にいる、小柄でかわいい男の子。ああいう子がいいのかと、胸の内に燻る恋心が締めつけられてしまう。
 いくら幼馴染としていちばんに甘やかしてもらえていても、日向にはけして手が届かない位置。あの子には彼の恋人になれる可能性がある。
 日向とは違って。




 俺、男がすきかもしれない。
 長年連れ添った幼馴染からそう言われたのは、中学の卒業式だった。

「え? なんて?」

 他愛ない話の間に突然挟まれたその言葉を、日向は正しく理解することができなかった。反射的にそう問い返すと、八尋が困ったようにちょっと笑う。

「だから、男がすきかもしれない、って」
 
 八尋はもう一度そう言って、どう思う? と言いたげな目を向けてくる。特に不安そうでもなく、遊びに行く場所を提案するときのような、いつも通りの様子だった。
 反応に困って咄嗟に言葉が出てこない。八尋は日向の反応に困ったように眉を下げて、それからまた遠くのほうを見やる。
 真下からは、別れを惜しむ生徒たちの声が微かに聞こえてきていた。かくいう日向たちも、もうここへ来るのは最後だからと、屋上で卒業の喜びを噛み締めていたところだったのだ。

 ――なんでこのタイミングで?

 真意を読み取りたくて、見慣れた横顔をじっと見つめてみた。日向よりも頭一つ分以上は背が高い、女の子に人気のある幼馴染の横顔を。

「どうしたの、突然」
「なんとなく、日向には言っておいたほうがいいような気がして」
「ふぅん……おれのことは?」
「え?」

 うっかりそう口にしてしまってから、まずった! と焦る。弾かれたようにこちらを見た、八尋の目が丸くなった。

「ちがう、そうじゃなくて」
 
 だから慌ててそう言い足した。本当は、言いたいことが別にあった。
 おれのことがすきだったらいいのにと、密かに想ってしまったことだとか。
 そして、八尋からの返答を聞いたとき、言わなくてよかったと安堵した。
 危うく、この関係を壊してしまうところだった。

「日向のことはそういう目では見てないよ」

 だから安心して。
 そう言われるのに、上手く反応ができなかった。なにに対して安心したらいいのかわからなかったから。
 普段は〝ひなちゃん〟と呼んでくれる彼が、ちゃんと名前で呼ぶときは真剣な話をしているときだ。いつものように柔らかな笑みを浮かべてはいるけれど、その言葉はしっかりと、この関係性に線を引いていた。

 ――すきな男がいるってことか? 

 そう聞きたいのに、声が喉に貼りついて出ない。ずっと隣で見守ってきた男が、自分以外の男に魅力を感じている。その衝撃が思いの外強くて、頭の芯が痺れてきた。
 この男、杵埼 八尋(きねさき やひろ)とは母親同士の仲が良く、ほとんど生まれたころからずっと一緒だった。小学校も中学校も、強いては幼稚園まで同じクラス。幼いころは日向のほうが大きかったはずなのに、それがいつしか同じ目線になって、いつの間にかすっかり追い越されていた。
 特に三年生になってからの八尋の成長は著しく、めきめき格好よくなっていくのに焦りを感じていた。すっかり格好よくなっちゃって、彼女ができたらどうしよう。それなのにふたを開けてみたら、男がすきかもしれないと言う。しかも、

 ――おれのことじゃない?

「ひなちゃん?」

 いつの間にか押し黙っていた日向は、八尋に名を呼ばれて弾かれたように顔を上げた。
 すこし不安そうな、それでいて柔らかな声音。その表情に戸惑いが滲んでいるのは、日向の反応が予想外だったからだろうか。
 日向だって、どうしてこんな気持ちになっているのかわからなかった。彼の想う相手が自分ではなく、その可能性さえ否定されたことを、安堵してやるべきだとわかっているのに。

「……八尋にすきな男がいるのかと思ったら、ちょっと不思議な気持ちになって」
「きもちわるい?」
「そうじゃない! そうじゃなくて、」

 なんで、おれじゃないんだろう? という言葉を、日向は口にすることができなかった。だってそれは、八尋が望んでいる言葉ではない。言葉ではないと、わかっている。

 「八尋、すごくモテるじゃん。今日だって女の子たちに囲まれて、ボタンだって全部ないし」

 そう言って、どうにかこうにか笑みを作った。口から出まかせにしては、上手いこと誤魔化せたような気がする。八尋が困ったように笑うのを見て、とりあえずの安堵を覚えた。どうやらこの反応で間違ってはいないらしい。

「ボタンはね、さすがに驚いたなあ。まさかあんな勢いよく群がられるとは」
「そりゃあそうだよ。告白しても断られるんだから。しかもおれのこと理由にしてさ」
「なんだ、知ってたの?」
「女の子たちからクレームが入ってくるんだよ。またひなちゃんのせいでフラれたー! って。おれのせいじゃないのに」

 仲良くしていた女の子からはじめて八尋のことを聞いたとき、覚えた感情は優越だった。
 告白されてフラれたと嘆く友人を慰めてやりながら、自分のほうが八尋に大切に想われているという優越。

『日向のほうがすきだから、って言われたんだよ』

 そう憤慨するクラスメイトに、なんと答えたらいいかわからなかった。胸の内側がむず痒くて、温かさが広がっていくのに戸惑いを覚えながら、うれしいとさえ思っていた。
 まさかそれが、恋心だと気づいてしまうとは予想外だったけれども。

「ああ、ひなちゃん、女の子と仲いいもんね」

 せっかく元に戻った八尋の様子が、すこし不機嫌に曇る。日向が女の子と仲良くしているのを見るたびに、八尋はすこし拗ねるのだ。日向はそれをかわいいと思っている、この気持ちの答えがようやくわかった気がしていた。自覚した途端に脈なしだとわかるとは、幸先がだいぶ悪くはあるけれど。
 まだすこし冷たい春の風がふたりの髪を薙いでいった。その冷たさに頭が変に冷静になって、どうしていま、このタイミングで打ち明けられたのかに気づいてしまう。
 卒業式の屋上が告白にぴったりな理由は、想いを告げる最後のチャンスだからだ。しかしそれと同時に、残念な結果に終わっても四月からは顔を合わせずに済むベストなタイミングである。
 かくいう日向たちも四月からは別々の高校に通うことになっていた。いろいろと紆余曲折があって、それぞれの進路を優先することに落ち着いたのだ。

『学校同士は近いんだし、朝も帰りも一緒にいられるよ』

 はじめて進路がわかれたとき、八尋はそう言って笑ってくれた。だからこそ、日向はいまのいままで八尋も離れたくないと思ってくれていると信じていた。けれどいまは、四月から離れ離れだという事実がじわじわと効いてきている。

「……もしかして、もう逢わないつもりだった?」

 そう打ち明けた日向に、八尋がまた目を丸くした。その顔を見て、そんなつもりはなかったのだとわかる。
 それに安堵しながらじゃあどうして? と考えてしまった。不意にバレたとき、日向が軽蔑するとでも思ったのだろうか。幼馴染から恋愛対象にされているという事実に戸惑うとでも思ったのかもしれない。
 それとも、もうすきな男がいるのだろうか。 そうでなければ、言う必要はないはずだ。
 男がすきだ、なんて、その想い人にさえなれない日向に。

「逢わないつもりなら、近い学校を選ぶはずないよ」
「そう、だけど」
「ひなちゃんには知っていてほしかったんだよ。俺は男がすきだけど、日向のことはそういう目では見てないよって」
「どうして?」
「友達だと思ってた男から、そういう目で見られているのはいやでしょ?」

 苦笑う八尋に、上手く応えてやることができなかった。
 いやではないと気づいてしまった、むしろ見て欲しいと願っているこの気持ちを、素直に口にすることができない苦しさが喉に詰まる。
 けれどそれを、八尋は望んでない。
 そのことが、いちばん苦しい。

「そもそも、だれかすきな相手がいるわけじゃないんだ」
「……そうなの?」
「うん。ただどんなにかわいい女の子から告白されても、ちっとも心が動かなかった。かわいいことはわかるんだよ。でも、」
「おれのほうがすきだった?」
「俺ね、ひなちゃんがいちばん大切なんだ。ひなちゃんが俺を大切に想ってくれているみたいに」

 その言葉に、ひどく安堵してしまう自分がいやになった。ここまで明確な好意を示してくれているのに、それが恋情ではないなんて嘘だと、思ってしまいたい自分がいる。八尋が違うと言うのなら、その言葉が本当なのだと思いたい。けれど長い付き合いだからこそ、本当に? と疑う気持ちが顔を出してくるのだった。
 もしその気持ちに気づく相手がいたとしたら、それは自分だと思いたかった。

「それなのに、おれのことはそういう目では見てないの?」
「友達はそういう目では見ないよ」
「ふぅん。じゃあ、」

 一瞬、つづきの言葉を口にすることに迷いが生じた。けれど言わなければ後悔するとわかっていたから、冗談めかして言ってしまうことに決める。八尋が日向のことを〝いちばん〟大切に想ってくれていることが、この先も続くとは限らないのだ。

「もし八尋に恋人ができなかったら、おれがなってやるよ」
「ひなちゃん、俺の話聞いてた?」
「ちゃんと聞いてたよ。でもほら、八尋をだれかに取られるのは癪だもん」
「恋人ができても、ひなちゃんを優先するのは変わらないよ?」
「それはおまえ、恋人の方を優先してやれよ」
「それはそうか」

 そう言って八尋が苦笑った。それに笑い返しながら、ちゃんと笑うことができたことに日向のほうが安堵していた。ちゃんと冗談にして、伝えることができてよかった。降って湧いた独占欲が子供じみていても、いつか彼の中でのいちばんが塗り替えられるまで、そこは日向のものなのだ。

「そうだ、第二ボタン交換しない?」

 ようやく帰る気になって昇降口まで辿り着いたとき、八尋がさもいま思い出したというようにそう言いだした。別れを惜しんでいた生徒たちもとっくに帰ってしまい、空の下駄箱がもの寂しい。
 座ってスニーカーのひもを結んでいた日向はつい八尋を見上げてしまった。どこまでも思わせぶりな男だなとむっとしてしまうのに、その柔和な顔立ちが不思議そうに見返してくる。

「その制服のどこにボタンが残っているって?」

 ついそう唇を尖らせると、八尋がいそいそとズボンのポケットに手を突っ込んだ。それから日向と目線を合わせるようにしゃがみ込む。開いた八尋の掌からころんとしたボタンが現れたのには、思わず笑わずにはいられなかった。この男は本当に、日向の機嫌を取るのがうますぎる。

「取られないように隠してたの?」
「すきでもない女の子にあげるわけにはいかないからね」
「すきでもないおれにはくれるのに?」
「だって、第二ボタンっていちばん大切なひとにあげるもんでしょ?」

 まあそうだけど、と笑いながら、そうして堂々と口にするその気持ちはいったいなに? と思わずにはいられない。結局おれのことすきなんじゃないの? と言わなかったのは、また否定されて傷つくのが怖かったからだ。
だからいまはこれでいい。

「じゃあ、おれのも八尋にあげる」

 もうどうせ着ないだろうし、と少々乱暴にボタンを引きちぎった。案外あっさりと取れたそれを八尋のボタンと交換する。まったく同じデザインのボタンなのに、三年間八尋の心臓の近くにあったものだと考えるだけで一気に特別感が増した。
 日向はそれを握り締めながら、それが喉から手が出るほど欲しいと願った女の子たちの気持ちがわかるような気がした。