恋の解法 〜友達以上にはならないと契約した親友(学園王子)にキスされたんだけど約束が違うな?〜

「──今日は新入生オリエンテーション。聖那と亜希は同室になり、二人の心は浮き足立っていた。だって、二人にとっては初めて、夜を共に過ごすことになるのだから。

(なに、この気持ち……変なの)

 聖那は逸る心臓をなだめながら、ぽつりと思った。じきに、夜がくる。夜がきてしまう。聖那はそわそわして、落ち着かなかった。
 消灯時間を過ぎ、亜希に誘われてホラー映画を一緒に見た。この手の映画が苦手な聖那は、わーわー喚きながら、思わず亜希の体に抱きついてしまった。そうしてしまった後に、自分でしでかしたことに気がついて、すぐにぱっと体を離す。

「ご、ごめん! お、オレ……っ」

 顔を真っ赤にして、聖那はうつむいた。どきどきする。胸がしめつけられてしまう。

(……どうして……?)

 どうして、こんな気持ちになるんだろう?

「こわい?」亜希が言った。
「え、うん……ちょっとだけ……」

 聖那がもごもごと呟くと、頭をふわりと抱きすくめられた。どきっと心臓が、ひときわ大きく跳ねた。

「あっ……亜希……!」
「いいよ、抱きついてて」

 優しく降ってきた亜希の声に、体が熱くなったのを感じる。こんなの、変だ。

「聖那」

 自分を呼ぶ穏やかな声に頭をあげると、唇を重ねられた。

「ん……っ」

 かっと体が発熱した。心臓は相変わらずバクバク言っている。

「あ、亜希?」

 目の前の現実をすぐには受け入れられず、聖那は狼狽した。

「聖那……かわいい」
「……ば、バカ亜希」

 亜希は静かに畳の上へ聖那を組み敷いた──」

「小木津、お前、殺されたいのか?」

 現実のオレは、こっちだ。
 先ほどの理解不能な、迷惑千万な、甚だ不愉快な文章は、小木津が何かのルーズリーフを読み上げていたのだ。

「それならお望みどおり、一番苦痛を伴う死に方で殺してやる」

 オレが指の骨を鳴らしながら詰め寄る。

「凌遅刑って知ってるか? 中国において清の時代まで実際に行われていた処刑の方法で、生きたまま腕や足を切り落として」
「ま、待て。落ち着け聖那ちゃん」

 命乞いをするかのように小木津は必死でオレを押しとどめる。

「落ちてたんだって、これが、教室の外に!」

 超のつくフィクション小説が記してあるルーズリーフを、ばたばたと顔の横で振っている。

「オレは悪くないって」
「そしてお前は笑いすぎなんだよ」

 主要な登場人物の片割れであった亜希は、オレの後ろの席で机に突っ伏し、かれこれ小木津が文章を読み始めてからずっと抱腹絶倒している。

「お前も被害者だろうがっ」
「せ、聖那、一回だけでいいから『バカ亜希』って言って」

 笑い疲れて、引き攣った声を漏らす亜希の目には涙すら浮かんでいる。

「どいつもこいつも……!」

 こんなものこうしてやる! と喚きながら、小木津が迫真の演技で朗読したルーズリーフを取り上げ、一思いに破り捨てた。

「あっ」

 小木津と亜希が同時に無念そうな声を張り上げる。彼らにとっては最高の遊び道具だったらしい。クソくらえ。
 みんなして寄ってたかって、オレを小馬鹿にしやがって。
 どうせクラスの男子がからかって作った文章なのだろうと思い、千切った紙の欠片を拾って見てみると、綴ってある文字は明らかに女子の筆致だった。躍るように羅列している文字は丸みを帯びている。

「なにこれ、女子が書いたの?」血の気が引くのがわかった。「せ、聖那党の女子? 亜希党の女子?」
「いや、これは間違いなくアキセナ党の仕業でしょう」

 小木津が誇らしげに片眉を吊り上げる。

「あきせな党?」

 亜希と声が重なる。

「知らねえの?  『亜希と聖那をくっつけよう』をモットーにした党派だよ。いや、『亜希と聖那はデキていると信じている』かな。亜希党、聖那党以上に妄信的らしい」

 開いた口が塞がらなかった。まさに、この表現ずばりだ。口の中が乾くほど開け放してしまった。オレたちの写真にハートマークをデコレーションしていたどんぐりガールが脳裏に過ぎる。

「あのオリエンテーションで倒れてた子は、そのアキセナ党とやらなのか?」
 小木津が応じる。「あの子は明らかに亜希様党だろ。亜希様党員であり、アキセナ党員でもある。二重党籍だ」
「日本では原則、二重党籍はNGだ」
「政治の世界ではね。でもあれは政治じゃなくて、宗教みたいなもんだから」

 オレは空いた口を塞ぐ術をまだ見つけられない。

「でもさあ、大体、亜希と聖那ちゃんがくっつくなんて予定調和すぎんだよ。学園の王子と姫がカップルになって何が楽しいの? 最近のボーイズラブの流行からも外れてる。だから聖那ちゃんはモブであるオレと恋愛すべき」
「小木津、頼むからオレにもわかる言語で話してくれ」
「物好きなやつらもいるもんだな」

 亜希はそろそろこの話題に飽きたのか、興味なさげに呟く。そしてオレの机の上に放置してあるネクタイを取って結んでくれた。もう頼まなくても勝手にやってくれる。
 ネクタイを結んだら、今度はオレが手首にはめていたヘアゴムを抜き、金髪を手際よく縛りあげる。亜希はとても手先が器用なので、髪を束ねるにしても自分でやるよりずっと綺麗な出来栄えになる。
 オレは手の中の紙の欠片を今一度睨めつけた。

「……でも、よくオレたちがホラー映画見てたとかわかるよな」
「だって聖那ちゃんの叫び声、フロア中に響き渡ってたもん」
「だから『ちゃん』はやめろって何度言えば」
「はい、できた」亜希がオレの頭をぽんと叩く。
「ありがと」

 オレが礼を言うと、小木津があきれ返ったような声でひとりごちた。

「……お前らがそういうことを無意識にやるから、女子が喜ぶんだよ」
「は?」

 オレたちは揃って間抜けた返事をした。

***

「ドアを蹴るな。ノックしろ、手で」眼前の扉が内側から押し開けられた。「ん? その鍋は何」
「カレー。作ったの、オレが!」

 ずいずいと亜希の学生アパートの部屋へ入っていく。両手鍋を抱えていたのでノックができず、ドアを足で思い切り蹴ったのだ。
 ただいま午後六時、お腹がちょうど空腹を知らせてくる頃だ。オレが学校から直帰してせっせと作ったカレーを、亜希宅のコンロの火にかける。

「一緒に食べようぜ。白米炊いてある?」

 亜希はこちらの問いを無視し、制服姿のオレの右腕に掛けられていたパジャマを、怪訝な目で見た。

「なんでパジャマ?」

 両手鍋とパジャマは、確かに共通性のない組み合わせかもしれない。エプロンならともかく。

「オレ、飯を食べたらすぐ寝たい人なんだ」これは実は嘘だった。パジャマを持参したことへのこじつけだ。
「ここで寝るのかよ」
「そういうこと」

 さも当然、と言わんばかりにオレが答えると、亜希は目を見張った。

「お前、何言ってるかわかってるのか? ここは俺の家だ。学校行事で、大勢で泊まった旅館とは訳が違う。鍵だってかけられる」
「朝はどうせ亜希の自転車に一緒に乗って行くんだから、逆に楽じゃね?」

 鍋と共に通学用バッグも担いできた。その中には簡単なお泊まりセットも詰め込まれている。

「そういう意味じゃ……もういい」

 亜希は匙を投げたようにかぶりを振った後、「あと、楽なのはお前だけだ」と険しい顔で言い詰める。
 オレは亜希の言葉を聞き流しながら、勝手に冷蔵庫を開け、勝手に麦茶を二つ用意してテーブルに置き、再度カレーの前へと立つ。

「亜希と一緒に寝たいなと思ってさ」

 こっちが本音だった。
 本心を言ったのに、何を勘違いしたのか亜希は麦茶を噴き出した。

「わっ、汚えな!」
「……この状況をアキセナ党とやらに知らせたら、俺はいくら報酬をもらえるんだ?」
「馬鹿も休み休み言え」
「お前がな」自分が噴き出したテーブルの麦茶をティッシュで拭いている。
「寝るっていうのは、そのまま文字通り、『寝る』だけだ。眠るだけ。それだけ。ジャストスリープ。アンダスタン?」
「その我儘に俺は無償で付き合わなきゃいけないのか? ボランティア?」
「金の話ばっかりするなよ、卑しいぞ」

 カレーがふつふつと煮立ってくる。食欲を呼び起こすかぐわしい香りが、築二十年超のアパートのワンルームを満たした。
 四月から一人暮らしを始めて、約二ヶ月が経つ。オレは自分が意外と寂しがり屋だということを初めて知った。もう六月になるが、こういうのも五月病というんだろうか。それともホームシックと表現するのが正しいのか。
 遅い時間、暗い部屋に帰ってきたとき。体調を少し崩したとき。なかなか眠りにつけない深夜に、話し相手がいないとき。そういった何気ない生活の場面に出会うたび、体にぽっかりと穴が空いてしまったような寂しさに襲われた。煩わしいと感じていた母親の小言や、風呂場からいつも聞こえてきた妹の下手くそな歌声が、無性に懐かしく感じた。
 オレの実家は仙台市にある。ここ日立市からは、簡単に帰省できる距離ではない。頻繁にテレビ電話などをして、母親に心配をかけるのも気が引けた。
 カレーはオレの唯一の得意料理だ。手間暇かけて作ったこだわりの一皿も、一人で食べるのは味気ない。せっかくなら誰かと食べよう──そう思い立ってやってきた。一宿の恩として夕飯を持参したという意味もある。

「……美味そうだ」

 ぶつくさと御託を並べ立てていた亜希も、テーブルに鎮座したカレーを見るや目の色を変えた。丁寧に炒めた飴色の玉ねぎをいれるのはもちろん、ほとんどホールトマト缶の水分だけで作ったトマトカレー。高校に進学する直前、母親に作り方を教わった。
 いただきます、と同時に唱えてから舌鼓を打つ。

「うわ、辛っ!」

 亜希が慌てて麦茶を口に含んだ。

「これくらい辛いほうが美味しいだろ?」
「麻痺しているのはデリカシーだけにしてくれよ」
「ああ? もう一遍言ってみろ」

 この辛さこそが後を引くのだ。結局は瞬く間に、綺麗に空になった皿が二つテーブルに並んだ。
 食休みがてらメットフリックスで洋画を一本鑑賞し──もちろんホラー以外のジャンルの──そのあとで、バッグから着替えを取り出した。

「風呂、借りるよ。あとタオルも借りていい?」

 バスタオルならそこにある、と亜希がワンルームの隅にあるクローゼットを指差す。そこを開くと、几帳面に畳まれたバスタオルがすぐに見つかった。
 不意に手を伸ばすと、足元に転がっていたやけに存在感のあるポリエステルの袋に躓いてしまう。テントか何かだろうが、それが大きすぎるためにクローゼットの折り戸が完全に閉まりきっていない。神峰亜希は「アウトドア」などとは縁遠い存在に思えたが、一人暮らしの部屋にまでテントを持ち込むとは、見かけによらずアクティブな趣味を持っているのかもしれない。
 軽くシャワーを浴び、アーガイル柄の前開きパジャマを着込んだ。オレと入れ替わりで風呂へと向かった亜希の背中を見送り、早々とベッドに潜り込む。
 満腹だし、映画は面白かったし、シャワーで温まったし、つまりは、この上なく眠かった。
 まどろみかけたところで、亜希が早くも風呂からあがってきた。まさしくカラスの行水だ。

「おい、聖那」

 今まさに夢うつつの境界を彷徨い、眠りの彼方へと走り出そうとしているオレを見て、亜希が声をあげた。

「お前、髪! びしょ濡れだぞ」
「え……さっき、拭いたけど……」
「乾かすから起きろ。俺の枕が濡れるだろうが」
「ええ……眠いのに……」

 オレは土嚢のように重い体を起こし、ベッドに対し垂直に設置されているローソファに座り込む。亜希はオレの背後に回り、ドライヤーをオンにする。生ぬるい強風がブロンドの髪に吹き付け、頭の左の方へ、右の方へ。それに伴って亜希が手櫛でオレの髪の絡みを解きながら乾かしていく。
 おお、これは、なかなか、気持ちが良い。

「……あったかい……」

 この温かさと快さに、なんだか万感の思いが湧いて出てきて、ちょっとだけセンチメンタルになった。
 一人暮らしは自由だ。何にも束縛されない。でも、ちょっぴり寂しいものだ。
 ──でも、ここがあって良かった。亜希がいてくれて、良かった。
 ドライヤーの風が、頭部と、体の中心を貫く芯のようなものを、優しく温めた。じめじめしていた気持ちまで、乾かしてくれた。
 ドライヤーの音が止んだことに気がつき、

「ありがとうございました……」

 うわ言のように漏らしつつオレはふらふらとベッドへ戻る。なるべく壁の方に自分の身を寄せた。亜希の分のスペースを捻出するために。
 寝支度を終えた亜希がベッドに入ってくる。亜希の部屋にはソファもあったが、男子高校生が横になれるほどゆったりしたサイズではない。
 リモコンのスイッチの軽薄な音とともに、部屋の電気が落とされる。男子高校生二人分の重みで、パイプベッドはやや苦しそうに軋んだ。
 ゆっくりと一つ息を吐いた。暗闇はお互いの表情が見えにくいから、普段なら少し照れくさいことも、話してみようかなと思えてくる。

「……オレさ、こういうの、なかったんだ」

 窓外から、六月らしい蛙の鳴き声が微かに聞こえた。車の過ぎ去る音や誰かの咳き込む声までがオレたちの鼓膜に届く。そんな静かな夜だった。その夜の情景と同じくらい、オレの心も凪いでいた。

「中学の宿泊行事は、いつも一人部屋にまわされたから。こうやって友達と眠るのって、なかった」

 中学時代の受難のことは亜希に少し語ったことがあったが、この話をするのは初めてだ。
 中学時代にあったあらゆる宿泊行事で、ホテルの部屋でたった一人で過ごした数々の夜を思い出す。話し相手も遊び相手もいない。一人で横たわるベッドは、いつもひどく冷たく感じた。隣室から漏れ聞こえてくる話し声や哄笑が羨ましかった。
 そう、本当は羨ましかったんだ。
 一人の夜は長かった。退屈で、憂鬱だった。自分の特殊な容姿を呪いもした。
 だけど、ここはこんなに温かい。二人分の体温が寄り添って、まるで陽だまりみたいに感じられた。

「だからさ、嬉しいんだ」

 こういうの、嬉しいんだ。
 言ってはみたが、暗闇とはいえやっぱり面映い。亜希の方に顔を向けられず、つい天井ばかり見遣っていた。

「聖那って、シャム猫みたいだな」
「しゃ、シャム猫?」

 オレはようやく亜希の方に視線をやり、おうむ返しにする。

「はじめは警戒心が強いが、懐くと甘えん坊」闇に慣れてきた目が、亜希の優美な表情を捉えた。「サファイアブルーの瞳の色も、おんなじだ」

 亜希はそれこそ猫の毛を撫でるような手つきで、オレの髪を一束摘み、人差し指でくるくると弄んだ。そしてゆるく微笑んで、どこか満足げに言った。

「まあ俺も、猫は嫌いじゃない」
 
 オレは再び、あのどんぐりガールのことを想起した。今のオレの立場に彼女が置かれたら、と。きっと彼女は二度死ぬだろう。
 まあオレは、なんとも思わないけど。
 本当、なんともね。