恋の解法 〜友達以上にはならないと契約した親友(学園王子)にキスされたんだけど約束が違うな?〜

 翌日、学校に着いたら、上を下への大変な騒ぎだった。
 並んで登校してきたオレたちの姿を認めるや、聖那様党なのか亜希様党なのか、そのあたりは判別しかねるが、大勢の女子が喚きながら垂れ幕を持って校庭に整列した。その垂れ幕にはこうある。

「奉祝! 亜希様聖那様仲直り」。

 彼女たちはぐすぐすと涙まで浮かべている。そしてその涙を垂れ幕で拭いていた。マスカラやアイラインなどが混ざるのだろう、女子高生の涙は墨汁のように黒い。
 忸怩たる思いで身を縮めながら、校庭を横切る。オレたちの問題は、オレたちだけの問題ではないらしい。ご心配おかけして、どうもすみません。
 そそくさと十組の教室に入ったところで、次に待ち構えていたのは小木津の呵々大笑だった。

「奉祝、奉祝! 仲直りおめでとう! いやあ、本当に良かった」

 小木津のみならずクラス全員が、こちらを見遣ってにやにやしている。なんとも坐り心地が悪い。さすがの亜希もきまりの悪そうな顔を呈している。

「ということで席順も元通りだな。部外者は去りぬ」

 そんな事を口ずさむように漏らしながら、元々は亜希のものである机から教科書やらバッグやらを取り出し、自分の席へと戻す。そして小木津本人の席から、亜希の私物を取って戻ってくる。
 オレたちはだんまり押し黙ったまま自分たちの席につく。なんだよ、冷えてなあ、と小木津は不満そうだ。プリンの件といい保健室まで運んでもらった件といい、今日ばかりはかなり恩を感じてはいるが、彼はこんな調子ですぐに茶化してくるから損をしている。
 オレは通学バッグから、今朝生協で購入してきたいちごミルクを取り出す。五百ミリリットルサイズのピンクの牛乳パックが目にしみた。

「ほらこれ。小木津、好きだろ」

 それでも受けた恩は返さねば、道理にもとるというものだ。

「……色々、面倒かけてごめん」
「えっ」

 目を丸くして桃色の牛乳パックを受け取る。

「うわあ、ありがとう。聖那様から贈り物をいただくなんて。これは大丈夫かな。ナントカ保護法に抵触しないかな」

 それを言うならオレを保健室に運んだ時こそアウトだったのではなかろうか。それが心配だ。
 小木津は次に、亜希のほうに向き直った。

「昨日は怒鳴ってごめんな」
「怒鳴る?」

 疑問符を浮かべたのはオレだ。しかしそれには小木津は回答せず、

「意味深な黄色いピアス、とってもお似合いですよ、お二人さん」

 とだけ言い残して窓際の自分の席に戻っていった。意味深、という言葉にまたも居心地の悪さを覚えた。

「小木津に怒鳴られたって、いつ? なんで」

 亜希は気後れするように後頭部を掻いた。

「聖那が体育で倒れた時だ。駆け寄れずにいる俺に、『聖那ちゃんが誰に助けを求めてんのか、わからねえのか。オレじゃねえんだよ。頭冷やせ』って。ものすごい剣幕だった」

 あんなに誰かに怒鳴られたのは久しぶりだ、と続ける。言葉の割には、亜希の顔はどこか楽しげだった。
 いちごミルクを二本買ってあげたら良かったな。小木津千紘は、なかなか憎めない奴である。

***

 さて、オレたちはといえば。
 前後して恐縮だが、時間を登校前に戻そう。
 今日から「意味深」な黄色いピアスを着けているわけで、オレは朝、自分のアパートの前に亜希の自転車がやってくるまで、かなりどぎまぎしていた。おはようって言いながら、またおでこにキスでもされたらどうしよう、などと愚かなことを考え、気分を落ち着かせるために何度もペットボトルの麦茶を飲んだ。口がカラカラだ。
 美しい秋晴れの景色の奥から、軽快な車輪の音が聞こえてきときは、大げさでなく、オレの心拍の楽譜に全休符が現れた。自転車が眼前で停止する。

「ア、アキ。オハヨウ。イイテンキダネ」

 がちがちに緊張しているオレに、亜希は平生通りの淡々とした口調で言った。

「また『アーミネーター』の真似? 似てないぞ」

 カチン。体の緊張が一気にほどけ、かわりにこめかみに青筋が浮かんだ。そりゃ、そうだ。神峰亜希はこういう男だ。あの後──帰り際、額にキスされた後、オレがどれほど家で悶々とした一夜を過ごしたのかわかっているのか。いや、わかるわけないのだが。
 でもまあ、この方がいい。気が楽だ。
 昨日の「綺麗だ」とか、ああいう甘い言葉を巧みに使いこなしてくる亜希とは、オレはうまく目を合わせられない。言葉が詰まって話もできない。
 あの亜希は、なんというか──やばい。やばすぎる。やばすぎて、お恥ずかしいが適当な語彙が見つからない。裏の顔というか、亜希の真価というか、とにかく、<やばい亜希>なのである。
 しかしあれは夢だったのかと錯覚するほどに、今日はいつもの無欲そうな、通常運転の彼だった。
 背中合わせになるよう乗り込む。走り出した自転車の荷台で、大きく欠伸をした。

「……ねっむ」
「夜更かしするなよ。チビのままだぞ」

 亜希の脇腹に肘鉄を喰らわせる。誰のせいだと思ってんだ。昨日のことは本当に夢だったのではないかとも思うが、二人の耳に光る黄色いピアスが、この嘘みたいな現実にリアリティを注いでいる。

***

 大和祭(やまとさい)。
 年間でもトップスリーには優にランクインする、大きな行事が目睫に迫っていた。要は学園祭だ。
 十組のクラスの出し物は、いつの間にか劇ということに決まっていたらしい。喧嘩中のオレたちが机に突っ伏している間に、ロングホームルームで早々と決定していたのだという。
 出し物、劇。クラスメートの魂胆が、嫌というほど見え見えだった。オレと亜希という二つのアイテムを存分に駆使し、最も集客力を発揮できる演目をやるつもりだろう。例えば、白雪姫や眠り姫。主演の姫や王子を誰が務めるのかについては、論を俟たない。「どうせやるなら大勢を集客したい」という心理は理解するが、客寄せパンダは御免である。
 今日のロングホームルームは、劇の演目を具体的に決めていくようだ。先手必勝だ。
 ビシ、と姿勢良く挙手するオレを見て、クラスメートをはじめ担任の柳井までもが目を見張った。

「ど、どうした十王、腹でも痛いのか」柳井が手に持ったチョークを落としかける。「お前が授業に参加するなんて」
「発言してもよろしいでしょうか」オレは朗々と放つ。「劇の演目について、姫役が登場するものは反対です。陳腐です」

 途端、クラス中から大ブーイングが巻き起こった。「なんのために劇にしたと思ってんだ」「アキセナ党に殺されるだろ」「ひっこめ!」四方八方から、喧々囂々。頼りの亜希も、そりゃ無理な注文だ、とこちらを援護する様子はない。
 しかしオレの決意は揺るがない。おうおう、白雪姫だろうが眠り姫だろうが、勝手にやってくれたまえ。オレは木役を務めてやる。裏方だっていい。
 公共の場であのような女装をすると、確実に妙な層のファンが増えてしまう。危ない目に遭う回数も急増する。オレは経験上それを知っていた。だから嫌なのだ。
 だが悲しいかな、ものの数分で多数決によって演目は決まり、黒板に記された「白雪姫」の文字の上に巨大な花丸がついた。オレが表した「桃太郎」への矮小な一票は、風前の塵の如く一蹴された。この国が民主主義などというのは幻だ。
 続いて、配役に議論は移行した。
 白雪姫、王子、七人の小人、魔女……と次々黒板に拳がっていく役名を、絶望とともに見つめる。役名が全て出揃い、さあどんな決定方法なのかとオレが身構えていると、書記は何も言わずに、白雪姫の項目の下に「十王」と書き始めた。その恣意的な行動にも、クラスメートからの異議はない。

「待てコラ」

 オレ以外は。
 立ち上がって、書記を、もといクラス全体を、指弾する。

「誰もやるなんて言ってねーぞ。オレは絶対やらないからな」

 ここで再びクラス中から、エエーッ、という非難の声があがる。知ったことではない。オレにも基本的人権はある。

「無理矢理決めたって、オレは台詞なんか覚えねーからな」

 眉間に皺を寄せながら椅子に腰を下ろし、腕を組んで首を伏せ、睡眠の体勢に入った。亜希のせいで寝不足だ。
 自棄気味に閉じた瞼の向こうで亜希が、

「俺も王子はあまり気が進まない」

 と嘆いている。むろん、押し付けられたのだろう。エエーッ、という、練習でもしたのかと思うほど揃ったブーイングが、みたび。

「王子の衣装は決まってダサいんだよ、絶望的なほどに」

 亜希の理由は稚拙だが本質をついていた。ドレスも嫌だが、あのかぼちゃパンツに白タイツも、かなり人としての尊厳を蹂躙される気分になるだろう。
 よく言った亜希、と激励してやろうと思って頭を上げると、小木津がわざわざ亜希の席の近くまで来て、何かを耳打ちしていた。嫌な予感がする。

「おい、亜希、何を言われ」

 オレが言い終えないうちに、小木津が、

「亜希が王子やるってさ」

 と声を張り上げた。

「おい、亜希、何を言われたんだ、一体何をを……! 気を確かにしろ!」

 ガクガクと亜希の肩を揺する。揺さぶられながら亜希は、

「大和祭が終わったら、何かいい物をくれるって」
 オレは手を止めた。「いい物ってなんだよ」

 亜希は、自分の気が進まないことを強いてまで、何かを欲しがるようなタイプには見えなかった。小木津に弱みでも握られているのか、とオレは勘繰る。

「さあ」亜希は外連味のない声音で首を捻る。「まあ俺は、あの白タイツさえ回避できれば別に王子でもいい」
「なんだよ、お前だけは仲間だと思ってたのに!」

 委員長でもない小木津が壇上に上がり、勝手に仕切りだした。

「はい、これで少なくとも亜希様党からのミサイル発射は免れました。あとは、姫役ですが」

 白いチョークで「白雪姫」の文字を叩く。

「聖那君は嫌だとおっしゃるので、もうこの際、他に誰でもいいです」

 やたら、飲み込みがいいな。気味が悪いくらいに。

「とりあえず背の順でいいや、背の順」

 お前はなんの権限があって、そこでそのような弁舌をふるっているのだ、小木津よ。まさに独壇場である。

「聖那ちゃんの次に小さい、田崎(たさき)でいいでしょ。亜希と身長差があった方が映えるから」

 小木津の独断専行にへどもどしている田崎が哀れでならなかったが、オレは人生で初めて姫役を免れた。喜悦の涙を呑みこむのは、大変な苦労だった。

***

 帰り道、最寄りの「川尻駅」で下車し二人で自転車に乗り込む。

「今日は木曜日だから」
 亜希の独り言にオレが補足する。「スーパー霞(かすみ)がポイント五倍デー」

 よし、と亜希が二人分の重量を積んだ自転車のペダルを漕ぎ出す。成績優秀者であるオレや亜希は、授業料をはじめとしたあらゆる学費が免除となっているが、生活費に関しては全て親からの仕送りに頼っている。当然、特売日やポイント倍増デーは見逃せない。ヤマ高はアルバイトが禁止なのである。とはいえ、隠れてやっている学生もいるとは聞く。

「オレも、バイトでもしようかなあ」
「十王聖那に何ができるというのか。不器用が口を開けてカレーを食っているようなやつが」
 うるせえな、とオレは奥歯を噛む。「家庭教師とかさ。お前は知らないかもしれないが、オレは実は勉強が得意なんだ」
「前言を撤回しろ。全国の家庭教師を敵に回すぞ」

 カーブに差し掛かり、オレたち二人の体が同時に傾く。亜希の腰に回した腕に力を込めた。

「『これはとにかく、こうなんだよ』、『ここは、この公式をこうしてこう。わかるだろ?』」

 亜希がオレの口真似をしている。クラスメートに勉強を教えてくれと頼まれ、それに回答しているときのオレだ。

「極めて論理的な指導だ」亜希が言い詰める。

 ガブ、と亜希の肩に噛み付いた。「いて!」と亜希の上半身がよじれ、危うく自転車ごと転倒するところだった。

「……なんだよ」

 亜希の鼓膜に届かないくらい小さな声でこぼす。
 なんだよ、いつも通りだな。いつも通り、すぎるだろ。あほんだら。

 スーパー霞で惣菜や弁当を買い、アパートへ向かう。オレの家の前までくると一旦自転車は停車し、亜希はハンドルに引っ掛けていたスーパーのビニール袋をオレに手渡した。
 普段なら、大きな買い物袋に二人分をまとめて入れる。しかし今日は亜希がわざわざ袋を二枚購入し、互いに買った商品をサッカー台でわけて入れた。
 今日も亜希の家にあげてはくれないようだ、とそこで察した。まったく同じように見えて、やっぱりちょっと違う日常を、そこに垣間見る。

「はい、聖那の分」
「……う、うん」

 昨日、額にキスされたのは別れ際だった。またされたらどうしよう、と我知らず緊張で体が強張る。袋を受け取ってもそこに立ち尽くしているオレに、

「どうした?」

 と亜希は首を傾げている。はっとして、慌てて体の向きを反転させる。

「あ、いや、なんでもない。おやすみ」

 小走りで外階段を上がる。部屋の鍵を解錠してから振り返ると、そこにもう亜希の姿はなかった。

 通学バッグをそこらに放り投げ、買ってきた惣菜弁当をレンジで温める。無の境地で、弁当がくるくると踊っているレンジの庫内を見つめた。まだ部屋の電気もつけておらず、レンジの光がぼんやりと自分の顔を照らし出している。
 そこで、コンコン、と玄関の門扉がノックされた。誰だ? とレンジから視線を外して玄関を振り返る。宅配などを頼んだ覚えもなかった。
 鍵を開けて戸を押し開けると、亜希が立っていた。戻ってきたらしい。

「あれ、亜希? 何か渡し忘れでも」

 ネクタイが引っぱられた。
 左の頬と、唇の端の、ちょうど境目あたりに、亜希の唇が触れる。
 頭は真っ白に、顔は真っ赤に染まる。亜希の顔はすぐに離れ、オレはキスされた場所を押さえる。言葉が出てこない。パニックのあまり、モスキート音のような超音波は発していたかもしれない。

「なんか、聖那が物欲しそうな顔してたから」
 全身の血液が逆流するようだ。「そ、そんな顔してな……っ!」
「そう? なら見間違いかな」言いながら、自然な手つきでオレのポニーテールを解いた。「単なる俺の願望だったかも」

 こ、これは、とオレは直感する。
 ──こいつは、<やばい亜希>だ。
 みんな、逃げろ。一斉退避だ。ここはオレが守るから一刻も早く逃げるんだ。もたもたしていたら無事じゃ済まない。特にそこのどんぐりガール、君は五回死ぬぞ。
 立ち去れ、<やばい亜希>! 悪霊退散、と心の中で念ずる。

「劇の王子なんて、本当なら御免こうむりたいけど」
「え?」オレはまだ口の端を押さえている。圧迫止血でもするかのように。

 解けたオレの髪を指先で弄びながら、亜希は続ける。

「でももし、最終的に聖那が姫役になって、俺以外のやつがキスする流れになったら嫌だから」

 王子などという寒気のする役割を、存外に亜希が固辞しなかったのはそのせいか。

「……ここと、ここと、ここに、」

 亜希は、オレの額と、右頬と、首筋に、順番に指で触れた。

「『神峰亜希』って、名前を書いておけたらいいのにな。神峰亜希以外、触れるべからずって」

 衒いのない口ぶりで言葉を静かに紡ぐ。世界でオレだけに届くような、密やかな声だった。

「学校中の生徒を集めて、『俺の聖那』って、宣言できたらいいのに」

 そうしてオレの体を胸元に引き寄せ、深く、深く抱きとめた。

「……俺のものに、なったらいいのにな」

 オレは何も言えずにいる。ショートした頭は、亜希の言葉を意味を拾うことだけで精一杯だった。

「好きだ、聖那」


 同じように見えて、やっぱりまったく違う日常が、流れ始めている。
 ただ「恋」が介入するだけで、こんなにまるっきり、世界は変わる。
 オレは──オレは亜希に、恋をされている。
 せっかく温めた弁当にありつける頃には、それは完全に冷め切ってしまっていた。