穢れた龍神と生贄の花嫁

 翔澪がいなくなり、水夜は一人になる。

(くつろいでいてくれと言われても、どうくつろいでいいかわからないわ)

 どうしたものかと考えていると、ふとテーブルの上に置かれた食材に気がついた。併設された台所に目をやると、コンロや流しがある。

(水や火はでるのかしら……?)

 流しで蛇口をひねると水が流れ、コンロのスイッチをひねると火がでた。

(ちゃんと使える!)

 まな板や包丁は一通りあり、炊飯器もあった。水道とコンロが使えるならおそらく炊飯器も使えるだろう。水夜は食材を手にして目を輝かせる。

(翔澪様がお風呂に入っている間に、何か食べられるものを作っておこう)


*


 翔澪がお風呂から上がり戻って来ると、とても良い匂いがしていた。

「水夜?何をしているんだ?」
「翔澪様、お帰りなさい!翔澪様が買ってきてくれた食材を使って、料理をしていました」

 台所に目をやると、炊飯器から蒸気が出て、コンロには味噌汁がある。

「とりあえずご飯を炊いて味噌汁と煮物を作っただけですけど……」

 そう言ってから、水夜は何かに気づいたように顔を青ざめる。

「勝手に作ってしまいましたが、大丈夫でしたか?」

(翔澪様に先に聞いてからにするべきだった)

 水夜は悲痛な顔で翔澪に尋ねる。勝手なことをして怒られてしまうかもしれない、そう思ったが、翔澪は怒るどころか嬉しそうに目を輝かせた。

「いや、食べ物が必要だと思って買って来たものだ。風呂から上がったら水夜のためにどうにかして調理しようと思っていたが……水夜が作ってくれていたんだな。ありがとう」

 そう言って翔澪は水夜を抱きしめた。風呂上がりの翔澪から良い香りがして水夜の心臓は跳ね上がる。

(ど、どうしよう、ドキドキするのに、でもなぜかすごく落ち着く)

 温かいのにひんやりとして、まるで体の奥から清められるかのようだ。

「ここにあるものは自由に使って構わない。部屋を綺麗にしてくれたおかげで置いてある物たちは部屋と同じように勝手に浄化されているからな」

 そう言って、翔澪は水夜から離れ、食器棚から茶碗を取り出す。

「俺は別に食べなくてもいいのだが、水夜の手料理は食べたい。一緒に食べよう」

 そう言ってウキウキしながら翔澪は食器を置き、水夜はそれを見て嬉しそうにご飯と味噌汁を注ぐ。注がれた茶碗を翔澪はリビングのテーブルに並べた。

「よし、いただこう」
「はい、いただきます」

 手を合わせ向かい合いながら二人は食事を始める。味噌汁を飲み、煮物を食べると翔澪は目を輝かせた。

「うん、うまいな」
「本当ですか?翔澪様のお口にあったならよかったです」

 神様の味覚がどんなものかわからない。果たして味覚なんてものがあるのかわからないので、美味しいと言われて水夜はホッとした。

「人々を見守っていた頃は人間の生活にも興味を持って色々と食べてみたものだったが、こんなにうまいものを食べたのは初めてだ。水夜が作ったからなのだろうな」

 そう言って、翔澪は嬉しそうに食べ進める。あっという間に食べ終わると、翔澪は優しい眼差しで水夜を見つめた。

「この調子だと屋敷の掃除も数日で済むだろう。水夜のおかげだ。水夜が来てくれて本当によかった」
「そんな……私こそ、翔澪様に命を助けてもらいました。私がこうして何不自由なくいられるのは、翔澪様のおかげです」

 あのままかんざしで首を一突きしていたら、水夜はこうして翔澪と穏やかに笑って話をすることもなかったのだ。

「もう何も心配はいらない、もう苦しまなくていい。水夜のことは俺が絶対に守ってやる。だから、水夜も絶対に俺の元から離れないと約束してくれ」

 そう言って、翔澪はテーブルの上に手を伸ばし、水夜の手を優しく掴んだ。水夜を見つめる翔澪の瞳は熱く、水の神様なのに炎がゆらゆらと揺らめいているかのようで、その熱さに水夜の心臓は一気に跳ね上がる。

「もちろんです。私はもうどこにも行く宛てがありません。私を救ってくださった翔澪様にこの全てを捧げます」

 水夜がそう言った瞬間、翔澪の瞳が強く光ったように思えた。

「その言葉、違えるなよ。まあ、何があっても俺がお前を手放さないがな」


*


「ちょっと!なんで汚いのよ!もっとちゃんと掃除しなさいよね!」

 水夜がいなくなった青条家では、珠奈は侍女に向かってそう罵声を浴びせ、バケツを蹴った。バケツは横転し、水が廊下に広がっていく。

「全く、お姉様だったら隅々までもっと綺麗に掃除してたわよ!」
「お、お嬢様、私たちは掃除の手を抜いているわけではありません、隅々まできちんと行っております。ただ、私たち侍女は力をもたないので掃除で場を浄化することはできません。本来、力を持つ珠奈様が掃除を行なうものでして……」
「どうしてこの私が掃除しなきゃいけないのよ!それに、お姉様だって力を持たかったのにあれだけ掃除がうまかったんだから、あんたたちももっと精進しなさいよね!」

 そう言って、珠奈はフン!とその場から立ち去った。珠奈はイライラした様子で廊下を突き進んでいく。

(お姉様、どうせもう龍神様に食べられてしまったんだろうし、呼び戻すこともできないわね)

 水夜に上げた勾玉の力の気配は水夜が生贄に差し出された日に消滅しているので、水夜ごと食べられたということだろう。

(それにしても、お姉様がいなくなってから屋敷の空気が重く感じられて嫌だわ。掃除がきちんと行き届いていない証拠よ。それなのに侍女たちは言い訳ばかりして嫌になる!)

 そういえば、水夜がいなくなってから自分の神力が少し弱まった気がするのは気のせいだろうか。それもこれも、屋敷の気が汚れてきているからなのだろうと思い、珠奈はさらに怒ったような顔で通りすがりの侍女たちを睨みつけた。

*


 食事が終わり、夜になって寝る時間になった。水夜は自分の部屋のベッドの中で、なぜか翔澪に後ろから抱きしめられている。

(ど、どうしてこんなことになっているのかしら?)

「あ、あの、翔澪様。やっぱり別々に寝た方が……」

 水夜がためらいがちにそう言うと、翔澪はなぜか水夜を抱きしめる力を強める。

「こうして一緒に寝る方が俺の力の戻りが早い。水夜は俺にこうされているのが嫌なのか?嫌なら水夜の気持ちを尊重して俺は自分の部屋へ戻るが……嫌でないのなら、俺のためだと思って観念してくれ」
「う……嫌ではありませんし、翔澪様のためだと言うのであれば、仕方ないです」

 翔澪にそう言われてしまえば、嫌だとは言えない。水夜が困りながらも了承すると、翔澪は嬉しそうに微笑む。

「あの、ただこんな風に密着されているのは困ると言いますか……」
「困る?なぜだ?やはり嫌なのか?」

 翔澪の悲し気な声がして、水夜は言葉に詰まってしまった。

「いえ、あの、寝ている時に翔澪様を叩いたり蹴ったりしてしまうかもしれませんし……」
「水夜はそんなに寝相が悪いのか?大丈夫だ、別に少しくらい叩かれたり蹴られたりしても俺は平気だ。それに」

 そう言って、翔澪は水夜の肩へ顔を寄せてすりすりと摺り寄せる。

「こうして密着することでより水夜の清らかな気が俺に移り、俺の力が強まる。だからこれは必須だ」
「そう、なんですか……」

(それなら仕方ないのかしら)

 翔澪のためならば仕方がない。そう思って水夜が観念していると、翔澪は水夜の耳元にそっと顔を寄せる。

「それに、水夜は俺の花嫁。こうして密着するくらい当たり前だ」

 翔澪の低く良い声が水夜の耳元へ深く入り込んできて、水夜は体の奥から何かがせりあがってくるような不思議な感覚になった。全身の血流が一気に激しくなり、顔に熱が集中する。

「なんだ、顔が赤くなっているな、照れているのか?可愛いやつめ」

 フッと嬉しそうに微笑むと、翔澪は水夜の肩に頭をぐりぐりと押し付けた。

「少しずつ、触れ合いにも慣れてもらわないとな。今日はこのくらいにしよう。おやすみ」
「……おやすみなさい」

 水夜が消え入りそうな声で返事をすると、背後から静かな寝息の音が聞こえる。

(翔澪様、あっという間に寝てしまったわ)

 神様だからだろうか、こんなことくらいなんてことないのだろう。自分はドキドキして眠れそうにないのにと、水夜は小さくため息をついて瞳を閉じた。