穢れた龍神と生贄の花嫁

 翔澪が水夜に力を定着した翌日。水夜はいつものように屋敷の中を掃除していた。穢れを取り払ったとはいえ水夜がいる場所は神域だ。神が住まう場所は常に磨き上げていなければいけない。水夜はせっせと埃をはらい、丁寧に水拭きをしていた。

(よし、ここはこれで綺麗になったわ)

ふう、と額の汗を手で拭い、水夜は掃除した場所を見つめる。見た目だけではなくその場の気も清らかさが増したことを感じ、水夜は嬉しくなる。
「水夜様」

 ふと、背後から聞きなれた声がして振り向くと、そこには由羅がニコニコと笑顔で立っている。

「由羅様」
「俺に様をつけるのはやめてください!水夜様はもう翔澪様の完全な花嫁であらせられます。水夜様が俺に対して様をつけているなんて翔澪様に知れたら大変です」
「そ、そうなんですか!?ごめんなさい」

 顔を青ざめてそう言う由羅に水夜が慌てて謝ると、由羅は肩をすくめながら笑って首を振った。

「まあいいですよ。そんなところも水夜様の良いところですからね」

 そう言ってから、由羅は静かにその場に跪く。一体どうしたのだろうと水夜が驚いていると、由羅は真剣な表情で水夜を見上げた。

「水夜様、このたびは翔澪様の力が定着されたこと、まことにお慶び申し上げます。あなた様がこうして翔澪様の真の花嫁となり、神と同等の力を得たことをお祝い申し上げます」
「神と同等の力?」

 水夜が驚いて聞き返すと、由羅はにっこりと笑って力強く頷く。

「翔澪様の力が定着した今、あなた様はもう人間ではありません。もう他の神様たちがあなたを狙うこともなくなります」
「それが力を定着させた目的のひとつだからな」

 水夜の背後から翔澪が現れ、水夜をそっと後ろから抱きしめた。水夜のおかげで翔澪の力が戻り神域が浄化されると、湖も浄化され街の人々が次第に龍神をまた崇めるようになった。そのため、翔澪は人々に利益を与え町に平和をもたらすため神としての仕事をしていた。

「翔澪様、お疲れ様です」
「由羅の気配がしたと思えば、改まってどうした」

 翔澪は水夜を抱きしめたまま由羅を見る。由羅は立ち上がると両手を叩いてにっこりと微笑んだ。

「ちょうどよかった。翔澪様、お二人の婚礼の儀はいつになさるおつもりですか?他の神様たちから問い合わせが多くて答えるのに困っているんすよ」

(婚礼の儀?)

 水夜はきょとんとした顔で由羅を見つめ、翔澪はうんざりした顔で大きくため息をついた。

「どうしてこう他の神は俺たちのことにいちいち首を突っ込みたがるんだ」
「翔澪様のあの穢れを浄化した人間ですからね。しかも翔澪が独り占めしたがるほどの花嫁です。気になるのは当たり前ですし、翔澪様と古くからの縁がある神々たちはやはり祝いたいのでしょう」

 由羅が当然のことのように言うと、翔澪はフンと鼻で笑い水夜から体を離すと小さく首を振った。

「ほおっておけ。たあ珍しいだけだろう、時間が経てばそのうち飽きる」
「いいんですか?水夜様の美しい花嫁姿を見たくないんですか?」

 由羅がいつの間にか翔澪のすぐそばまで着てそっと耳打ちする。その言葉に、翔澪は目を見張る。

「それに、水夜様のためにも婚礼の儀は行った方がいいと思いますよ。こんなところに連れて来られて閉じ込められて、本人はそれでいいと思ってらっしゃいますが、水夜様のためを思うのなら婚礼の儀くらい行ってみても良いのでは?」

 そう言われて、翔澪は眉間に皺を寄せ唸った。チラリと水夜を見ると、二人の会話が聞こえていない水夜はただ不思議そうに首を傾げている。

「……わかった。婚礼の儀を開こう。儀を得意とする神がいたはずだ、声をかけて衣装や道具を揃えてもらえ」
「了解しました!」

 由羅は嬉しそうにそう言って笑うと、あっという間に光の粒になって消えた。

(婚礼の儀って、翔澪様と私の?)

 水夜様が目をぱちくりさせていると、翔澪が水夜を見て苦笑する。

「自分のことなんだろうかっていう顔をしているな。もちろん俺と水夜の婚礼の儀のことだ。花嫁衣裳や道具を頼んでおいたからそれが出来がったらとり行おう」

 翔澪にそう言われても、まだ水夜は実感していないような、何とも言えない顔をしている。

「水夜は嫌だったか?」
「えっ、いえ、嫌ではありません!むしろその、私なんかがいいのだろうかと……」

 水夜が慌ててそう言うと、翔澪は怒ったような顔で水夜を見る。

「私なんかが、などと言うな。水夜は誰が何と言おうと俺の花嫁だ。力も定着し、誰ももう水夜を狙うことなどできない。俺と離れることもできないんだ。いい加減に自覚してくれ」
「す、すみません……」

(私なんかが、と思ってしまうのはもう癖のようなものね。こんなことではダメだわ、私は翔澪様の花嫁なのに)

 シュンとしながら謝る水夜を、翔澪はそっと抱き寄せた。

「お前の生い立ちがそうさせてしまうのはわかっているつもりだ。だが、もうそんな意識は手放せ。お前は俺に見初められ、花嫁となったんだ。もっと堂々としていていいのだぞ」
「……はい」

 翔澪の言葉がなんだかこそばゆい。水夜が照れたように微笑むと、翔澪は体を離して満足そうに笑う。

「婚礼の儀には他の神々も参加することになる。うんと綺麗な水夜を他の神に見られるのは癪に障るが、水夜が皆に祝われる姿を見れるのは俺も嬉しい」

 神様たちに祝われるなんて恐れ多いと思ってしまうが、何よりも翔澪がとても嬉しそうだから水夜もつい嬉しくなってしまう。翔澪を見上げて微笑むと、翔澪も水夜を愛おしそうに見つめそっと口づけた。


*


 真っ白で何もない。ここは一体どこだろうか。水夜は不安げに周囲を見渡し、一歩また一歩と足を進めた。ふと、背後から声がする。

「……けて。助けて」

(誰かしら?どこかで聞いたことのある声……?)

 水夜は振り向いて声のする方へ歩き出す。声はだんだん近くなり、そこには一人の男の子が座り込んで泣いていた。

(男の子?)

「どうしたの?大丈夫?」

 水夜がそっと声をかけると、男の子はビクッと肩を震わせて泣き止んだ。そして、静かに顔を上げる。その顔を見て、水夜はハッとした。

「君は──」

 名前を呼ぼうとした瞬間、男の子の足元からブワリと黒いモヤのようなものが男の子を取り囲む。

「やだよ!助けて!」

 男の子が目に涙を浮かべて叫んだ。必死に水夜へ手を伸ばすが、黒いモヤがどんどん男の子を覆っていく。

「!」

 水夜は咄嗟に手を出して男の子の手を掴もうとした。男の子は黒いモヤに覆われて、手だけがかろうじて出ている。水夜の手が男の子の手に触れそうになったその時。

(!)

 ハッと水夜の目が開き、その目には天井が映っていた。

(あれは、夢?)

 あまりにも現実的な夢すぎて冷や汗をかき、水夜の心臓はドクドクと鳴り響いている。隣を見ると翔澪が反対側を向いて寝ていたので、水夜はそっと体を起こした。

(あの男の子、見たことがある。確か名前は……)

 名前を思い出そうとするが、思い出せない。とても昔に知っていた気がするのに、どうしても記憶があいまいでわからない。水夜が胸元を掴んで呼吸を整えていると、翔澪が水夜の異変に気づいて目を覚ました。

「水夜?どうした?」
「翔澪様、起こしてしまいましたか?すみません」
「いや、構わない。そんなことより……」

 険しい顔で水夜の顔を覗き込むと、翔澪の瞳が青白く輝く。水夜の瞳を真剣にのぞき込み、まるで何かを視ているかのようだ。一瞬、翔澪の眉間が険しくなると、バチッと何かがはじける音がして翔澪は目を閉じる。

「っ!」
「翔澪様!?」

 水夜がハッとして翔澪を見ると、翔澪は片目を手で覆い、痛そうにしている。

「大丈夫ですか!?」
「ああ、問題ない。俺のことは気にするな」
「でも……」

 水夜が心配そうにしていると、翔澪の片手がそっと水夜の目にかかる。

(あれ……?)

 水夜の視界が暗くなる。そして水夜の体がガクンと後ろに倒れそうになり、翔澪がその体を受け止めてそっと布団の中へ入れた。水夜は穏やかな顔で寝息を立てている。

「まだ寝ていていい。もうおかしな夢は見ないようにしたから安心して寝てくれ」

 そう言いながら翔澪は愛おしそうに水夜の髪の毛を撫で、すぐに真剣な表情になる。

「水夜の深い記憶の中に残る誰か、あれは何だ?突き止めようとしたら跳ね返された……人間ではない?」

 顎に手を添え、翔澪は険しい顔で呟く。それから水夜を見て優しく頬を撫でる。

「水夜に危害を及ぼすものはたとえ何であろうと許さない。俺が絶対に守って見せる」