心の宝石 ―あなたの宝物は何ですか―

 次の日から、マナのさらに忙しい日々が始まった。

 朝は家事と父の介護を済ませ、それが終わればカイルの店へ向かい、夜まで働く。
 一度家に帰って、また家事と父の介護を済ませると、今度は新しく始めた夜の仕事へ向かう。

 新たに働き始めたのは、一人のマスターが経営しているバーだった。
 マナの仕事は店内の片づけや掃除などの雑用だ。

 昼間の仕事を終えてからさらに働くのは、体力的にはかなりきつい。
 それでも給料がよかったため、マナは弱音を吐かずに働き続けていた。

 バーでの仕事を終えて家に帰る頃には、もう深夜零時を過ぎていた。

 ナナも父も、とっくに眠っている。

 二人を起こさないように、マナは物音を立てないよう静かに部屋へ向かった。


 月明かりの下、マナは今日も窓辺の椅子に腰を下ろしていた。

「疲れたあ……」

 ぐっと身体を伸ばして、一息つく。

 そのとき、すぐそばでギィ……と小さな音がした。

「……?」

 マナが窓を見ると、閉めていたはずの窓がわずかに開いていた。

 暗闇の向こうに人の気配を感じ、マナはすぐに椅子から立ち上がって身構えた。

「だ、だれ?」

 やがて月の光に照らされ、暗闇の中から一人の人物が姿を現した。

 白いタキシードに、白いシルクハット。

 その姿を見た瞬間、マナにもすぐにわかった。

 世間を騒がせている――白怪盗だ。

「あなた、白怪盗……なの?」

 驚きながらも、マナは警戒したまま彼を見つめる。

「怪盗が何の用ですか? この家には盗るものなんてありませんよ」

 すると白怪盗は、可笑しそうに笑った。

「いえ。何かを盗みに来たわけではありませんよ。マナさん」
「……なんで、私の名前を」

 しかし、白怪盗はその質問には答えなかった。

 マナの前まで近づいてくると、静かに掌を差し出す。

「あっ……」
「これを、どうぞ」

 その手の上で輝いていたのは、ルビーのペンダントだった。

「あなたには必要でしょう。差し上げます」

 白怪盗はマナをまっすぐ見つめた。

「大切な人のために、お使いください」

 白怪盗が金持ちから盗んだ物を、貧しい人々へ配っている。

 新聞で読んでいた話は、本当だったのだろうか。

 自分のことをどこで知ったのか。なぜ、ルビーのペンダントを欲しがっていることまで知っているのか。
 わからないことはいくつもあった。

 けれど今のマナにとって、それよりも目の前のペンダントのほうが気になっていた。

 欲しい。

 ナナのために、すごく、すごく欲しかった。

 でも――。

「……いただけません」

 白怪盗は驚いたように目を見開き、不思議そうに首を傾げた。

「なぜですか? あなたが今、一番欲しいものだと思ったのですが」
「欲しいです。喉から手が出るほどに」

 マナはルビーのペンダントから目を離し、白怪盗に背を向けた。

「でも、ここでそれを受け取ったらダメなんです。自分で頑張って手に入れなきゃ、ナナに胸を張れません」

 少しだけ間を置き、マナは続ける。

「お気持ちは嬉しいです。でも……お帰りください」

「……そうですか」

 白怪盗はしばらくマナを見つめていたが、やがて穏やかに笑った。

「残念です。しかし、あなたのお気持ちはよくわかりました」

 そして、胸元に手を当てて軽く頭を下げる。

「あなたは素敵なお方だ。またお会いしたいですね。それでは」

 ばさりとマントを大きくひるがえした。

 次の瞬間には、もう白怪盗の姿はどこにもなかった。

「……え?」

 マナが目を瞬かせる。

 白怪盗が立っていた場所。

 その足元には――先ほどのルビーのペンダントが、月明かりを受けて静かに輝いていた。