鏡の向こうの私たち

 そして、ある日の放課後。
 とうとう居ても立っても居られなくなって、私は健を呼び出すことにした。

「健、ちょっといいかな」

 昇降口で、男子たちと帰ろうとしている健に声をかけた。

「おう、どした?」
「ここじゃ、ちょっと……」

 言い淀むと、健の隣にいた男子二人が顔を見合わせた。

「なになに〜」
「怪しいなあ」

 ニヤニヤしながら、面白がるようにこっちを見る。
 ──うざい。
 どうせ私が告白でもすると思っているんだ。
 そんなつもりなんてない。むしろ、健から告白してくるのを、私はずっと待っているくらいなのに。

「お前ら、先帰ってて」

 健が二人に言った。

「えー、気になるんだけど」
「いいから」
「はいはい。じゃ、お幸せに〜」
「うるせえ」

 二人が笑いながら昇降口を出ていく。
 ようやく周りが静かになって、私は健を見た。

「……中庭、行かない?」
「いいよ」

 私は健の背中を見つめながら、いつもより長く感じる廊下を歩いた。

 ◆

 中庭のベンチに並んで座る。
 放課後の校舎は、まだ人の気配が残っていた。遠くから運動部の声や、軽音の楽器の聞こえてくる。

「珍しいね。どしたの?」

 健がこちらを見てくる。いつも通り、無邪気そうに。

「……あのさ」

 なんて聞けばいいのかわからない。聞きたいことなんて、決まってるのに。

「健は……夏休みの宿題、いつ終わらせたのかなって」

 勇気が足りなくて、全然関係のないことを聞いていた。

「何それ? 宿題ねぇ。まあ、最初の二週間くらいで終わらせたかな」
「はやっ」
「早く終わらせて、遊ぶに限るじゃん」
「あはは。健らしい」

 笑いながらも、頭の中では別のことを考えていた。
 どうしよう。せっかく二人きりになったのに、聞けない。
 何がこんなに怖いんだろう。
 健が、実は菊池 彩葉のことが好きだった。二人は、とっくの昔から付き合っていた。
 そんな事実を聞かされるのが、怖い?

 でも──そんなわけない。もし本当に付き合っているなら、もっと早く気づいていたはずだ。
 だって、私はずっと健を見ていたんだから。

「……最近、菊池さんの話題でもちきりだね」
「ん?」
「整形したってハナシ」
「ああ、彩葉ね」

 健の口から、その名前を聞きたくなかった。

「すごいよね。一躍有名人っていうか」
「だよな。俺もここまでとは思ってなかったわ」

 やっぱり健は驚いていなかった。こうなることを知っていたみたいに。

「健って……菊池さんと、仲いいの?」
「まあ、仲はいいと思うけど」
「……いつから?」
「昔から」

 昔から──。
 なんでだろう、胸の奥に引っかかる。
 去年、高校一年生だったときのことを“昔”なんて呼ぶだろうか。私にとっては、ほんの少し前のことなのに。
 
「なんで?」
「なにが?」
「……なんで、そんなに仲いいの?」

 自分でも、変な聞き方だと思った。ますます不思議そうな顔をする健。

「別に、普通に話してただけだけど」
「でも、健……この前、菊池さんに……」

 そこまで言って、喉が詰まった。
 
 可愛い──。

 あの日の光景が鮮明によみがえる。
 健が菊池 彩葉に向かって言った言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っている。

「彩葉に?」
「……菊池さんに……『可愛い』って言ってたじゃん」
「そうだっけ?」

 健は、けろりと言って首を傾げた。
 忘れてる。ああ、なんだ。やっぱり、ただの感想じゃん。
 そう思ったのも束の間。

「まあ、実際可愛くなったし。無意識だったんじゃね」

 あまりにも無邪気に言うから──その眩しさに、胸がぢくりと痛んだ。
 もし健が、デブだった頃の私を知っていたら。私が何もかも我慢して、頑張って努力して痩せたことを知っていたら。
 今の私に、同じような言葉をかけてくれたんだろうか。

「健は……整形とか、イヤじゃないの?」
「別に、なんとも。本人が決めてやることに、他人がどうこういう筋合いないだろ」
「……ふうん」
「何?」
「別に」

 私は視線を逸らした。

 “可愛くなったし──”

 って、可愛くなったのは、整形したからじゃん。そんな理由で。いとも簡単に「可愛い」なんて──私には、言ったことないくせに。

「亜梨沙? なんか今日、変じゃね?」
「……変じゃないよ」
「いや、変だよ」

 どうして、そんなことに気づくんだろう。
 いつもなら嬉しいはずなのに、今日は全然嬉しくない。

「……健って、菊池さんのこと好きなの?」
「は? なんでそうなるの」
「だって……仲いいじゃん」
「まあ、仲はいいけど」
「一年のときからずっと話してたんでしょ?」
「うん」
「整形することも知ってたみたいだったし」
「それは相談されてたから」
「……相談?」

 胸がざわめきが、どんどん大きくなっていく。

「……何を?」
「整形するかどうかとか。どう思うかって」
「……健に?」
「うん」

 さらりと答える健。
 感情が、どす黒く濁っていく感じがする。ふつふつと、何かが湧き上がってくる。

「なんで……どうして健に相談するの!?」
「なんでって、友達だからじゃね?」

 友達──。私だって、健とは友達だ。
 夏休みだって、みんなで何度も遊んだ。SNSだって、たくさん「いいね」がついた。
 それなのに。

「でも……健、菊池さんのこと可愛いって言ったじゃん……! やっぱり好きなんでしょ!?」
「言ったかもしれないけど、それがなんで『好き』になるわけ?」
「だって……! 私には言ったことないじゃん……!」

 口にした瞬間、自分でもしまったと思った。
 思ったけれど──もう止められなかった。

「なんなの、みんなして……! 整形なんてズルじゃん! 楽して可愛くなって、人気者になって……!」

 言葉が止まらない。

「私なんて……私なんて、どれだけ頑張ったと思ってるの! 食べたいものだって我慢したし、毎日運動して、やっと今の私になったのに……!」

 声が震えだす。泣き出しそうだ。

「なのに、健は……! あんな子の味方になるの!?」

 そこまで言って、息を詰める。健は何も言わなかった。

「……私より、菊池さんのほうがいいの?」

 頭は真っ白で、自分でもどうしてそんな言葉が出てきたのかわからなかった。
 しばらくして、健が小さく息を吐いた。

「俺は……亜梨沙のこと、可愛いと思うけど」

 あ──可愛い、だって。
 初めて、やっと聞けた。嬉しい。
 それだけで頭がいっぱいになって──健がいま、どんな顔をしていたのかなんて、気にもしなかった。

「中身は最悪だな」
「……え」

 音が、世界が、心臓が、止まった。

「整形の良し悪しについて、俺はとやかく言うつもりないけどさ」

 少しだけ眉を寄せている健に気づく。

「本人が悩んで、自分で決めたことだろ。それを楽して可愛くなったとか、ズルだとか……なんで亜梨沙が決めつけるんだよ」
「それは……」
「亜梨沙が頑張ったことと、彩葉が整形したことは、別の話じゃね」
 
 健の声だけが、やけに鮮明に聞こえた。鮮明すきで、ナイフみたいに尖っている。

「それに、彩葉がどんな気持ちで整形したのか、亜梨沙は知らないじゃん」

 そんなの、知るわけない。知りたくもない。
 私だって頑張った。私だって、変わりたかった。
 そのために、たくさん、いろんなものを我慢した。昔の私を捨てて、全部忘れるくらいの気持ちで。
 なのに──。

「私だって……頑張ったのに……!」

 気づけば、声になっていた。
 健は、少し黙った。

「……うん」

 頷いて、それから、まっすぐ私を見る。

「でも、それは彩葉には関係ないだろ」

 放たれた一言は、私を突き放すようなものだった。

「…………もういい」
「え?」
「もういいよっ! どうせ健は、私のことなんて何もわかってくれないんだから!」
「なにそれ」
「……帰るっ!」

 カバンを引っ掛けて、中庭を走る。
 健が追いかけて来てくれるって思ったけれど──来なかった。