鏡の向こうの私たち

「……菊池、さん?」

 女子のひとりが恐る恐る名前を呼んだ。
 彼女が、ゆっくりと顔を向ける。

「おはよう」

 声は、間違いなく菊池 彩葉のものだった。

「え、まじで菊池?」
「うそ。めっちゃ変わってない?」
「髪切っただけじゃないよね?」

 教室のあちこちから声が飛ぶ。菊池 彩葉は少しも気にした様子を見せず、にこりと笑った。

「うん。髪切ったし、二重に整形した」

 あっさりと彼女が頷いたから、ほんの一瞬、教室が静まり返って──

「ええっ!?」

 驚きの声が一斉に上がった。

「まじで!?」
「すご! どこで!?」
「いいなあ! 私もいつか整形したいんだよね!」

 女子たちが一斉に菊池 彩葉の周りへ集まっていく。
 一方で、少し離れたところから男子の声がした。

「整形とか、ちょっと引くわ……」
「まだ高二だろ?」

 そんな声も混じっていたけれど、彩葉は気にしていないようだった。

「おはー」

 そんな中で、健が教室に入ってきた。

「なに、すげえ騒いでんじゃん」

 そう言いながら教室を見回した健は、すぐにその中心にいる人物を見つけた。

「よ、彩葉」
「おはよう、健くん」
「やったんだ」
「うん、ほんとにやった」
「いいじゃん。可愛い。っていうより、かっこいい?」
「ふふ。ありがとう」

 健は笑いながら、菊池 彩葉の髪を眺めた。

「前より顔見えるから、なんか新鮮だな」
「そう?」
「うん。俺は、そのほうがいいと思う」

 そのやり取りを見ていた女子たちが、待ってましたとばかりに口々に褒め始めた。

「ほんとほんと! 背も高しい、細いし、モデルみたい!」
「だよね! 前髪長かったから全然気づかなかったけど、めっちゃ顔ちっちいし、パーツも綺麗だよね!」

 再び女子たちの声が弾む。
 私は、その輪の少し外から菊池 彩葉を見ていた。

「すごー。いいなあ、整形とか」
「ってか、まじでモデルみたい」

 麻衣と由希まで、楽しそうに彩葉を眺めている。

 なに? みんな手のひら返したみたいに。整形なんて、ズルじゃん。今まで散々地味だったくせに、髪型と顔が変わった途端これ? 私がこの身体になるまで、どんなに頑張ってどれだけ我慢したと思ってるの。
 なにもかも、全部気に食わない。
 モデルみたい、なんて。背の低い私には、一生言われない言葉。
 でも、一番引っかかったのは──。

“可愛い”

 さっき、健が菊池 彩葉に言った。
 
 私、健に「可愛い」って言われたこと、あったっけ。
「似合ってる」は、よく言われていた。髪型を変えたときも、浴衣姿も。
 でも──「可愛い」は?
 思い出そうとしても、出てこなかった。

 ◆

 授業中も、胸のざわめきは収まらなかった。
 何を書き写しても、黒板の文字がまったく頭に入ってこない。

 可愛い、可愛い、可愛い、可愛い──。

 さっきの健の声が、ずっと耳に残っているからだ。
 健は誰にでも優しい。私にも、ずっと優しかった。それに、私は一年のときから健を知っている。
 だから大丈夫──きっと、あれはただの「可愛い」だ。意味なんてない、本当に、ただの感想。
 そうだ。そうに決まっている。

 でも。
 健は、彩葉が整形したことに驚いていなかった。最初から知っていたみたいに。

 ──どうして?

 一年のとき、健は私の知らないところで菊池 彩葉と話していた。
 その話を聞いたときは、たいして気にも止めなかったけれで。
 だけど、もしかして。私が知らないだけで、二人はずっと──。

 そう考え始めると、頭から離れなくなった。
 次の日も、その次の日も。
 健と菊池 彩葉が話しているのを見かけるたび、胸がざわついて仕方なかった。
 
 別に、二人が話しているだけだ。
 健は誰にでも優しい──そう思おうとするのに、どうしても気になってしまう。

 私は二人が話しているところを見ないようにした。
 つもりだったのに。
 視界に入れば、勝手に目で追ってしまう。夏休み前には全然気にならなかった光景が、色を変えてしまったみたいに。
 
 菊池 彩葉の噂はどんどんと広がっていった。当然、整形に否定的な意見もあった。でも、それ以上に彼女の容姿を褒める声が多かった。

「めっちゃ可愛くなったよね」
「ていうか、今思えばもともと顔整ってたほうだったよね」
「わかる。髪で隠してただけって感じ」
「私があんな二重にしても、ああはなれなそう」
「それ。背も高しいさあ。性格もサバサバだし、クールビューティー系?」

 そんな声を聞くたびに、黒い感情が渦巻いていく。聞きたくないのに、どうやっても耳に入ってくる。
 
 苛立ちを抑えるように、私はスマホを開いた。
 SNSには、夏休みに投稿した写真が並んでいる。通知を見る。
 また「いいね」が増えていた。数字が増えていくのを見ると、少しだけ落ち着いた。

 大丈夫。私は、ちゃんと可愛い。友達もいる。みんなが私を認めてくれている。
 だったら、何も心配することなんてない。
 それなのに──。
 私は、ずっと気が気じゃなかった。