鏡の向こうの私たち

 屋台が並ぶ通りは、どこを見ても人でいっぱいだった。

「うわ、めっちゃ混んでる」
「何食べる?」
「私はりんご飴!」

 みんなであれこれ言いながら、屋台を覗いていく。
 焼きそば、たこ焼き、クレープに、かき氷。甘い香りが過ぎたと思ったら、ソースや油の匂いが押し寄せる。
 暑さのせいか、いつもより食欲をそそられる気がした。

「健は何にする?」
「俺、焼きそば」

 健が財布を出したと同時。

「え、これで五百円? 高くね?」

 男子の一人が顔を覗かせて、焼きそばの屋台の中で言った。

「いや、普通だろ。祭り価格じゃん」
「そうだよ。雰囲気代だよ、雰囲気代」
「にしたって高いだろ。五百円なら、たこ焼きのがいいって」

 笑いながら店のおじさんに聞こえるくらいの声で言う男子。健は財布をしまうと、その男子を見た。

「じゃあ、買わなきゃいいじゃん」
「え?」
「そう思うなら、たこ焼き屋にでも行けばいいだろ。わざわざ店の前で言うことじゃなくね?」

 いつもの明るさが少しだけ消えている。そのせいか、声を荒らげたわけじゃないのに、冗談みたいな空気がぴたりと止まった。
 淡々とした口調に、男子が一瞬だけ黙る。

「……まあ、それはそうだけど」
「だろ?」

 健はそれ以上何も言わず、焼きそばを買った。

「うまそうじゃん」

 さっきまでの空気なんて、もう忘れたみたいに笑っている。

「じゃ……じゃあ、俺はたこ焼き買ってこようかな!」
「俺はロングポテトも食いたい」
「お、いいじゃん」

 歩きながら、男子たちの意見に賛同する健。

「私、ベビーカステラがいい!」
「みんなでシェアしようよ!」

 麻衣と由希も、楽しそうに頷いた。

 ◆

 それぞれ好きなものを買い集めて、私たちは比較的人の少ない土手へ向かった。
 レジャーシートを広げて、買ってきたものを並べる。

「いただきまーす!」

 たこ焼き、焼きそば、ロングポテト、ベビーカステラ。それから持ち寄ったお菓子を、六人で少しずつ分け合った。

「これ、うまっ」
「ちょっと、それ私が買ったやつ!」
「一個くらいいいじゃん」
「一個じゃないでしょ!」

 くだらないことで笑い合う。
 私はそんなみんなの様子をスマホで撮った。画面越しにみんなと笑っている自分は、ずっと昔からここにいたみたいに馴染んで見えた。
 麻衣と由希との三人で自撮りしたあと、SNS用に私だけの写真も撮ってもらって、少し画面を整えて投稿する。

『もうすぐ花火!』

 すぐに通知がいくつか届いた。

『めっちゃ楽しそう!』
『浴衣姿もかわいい』
『髪型似合ってる!』

 画面を眺めながら、頬が緩む。こういう写真を載せられるのも、今の私だからだ。

「そろそろトイレ行っとこ」

 由希が立ち上がった。

「花火始まる前に行っといたほうがいいよね」

 男子たちに留守番を任せて、私たちはトイレへ向かった。
 案の定、そこには長い列ができている。

「うわ、やっぱ混んでる」
「でも、まだ間に合いそうじゃない?」

 そんなことを話しながら、私たちは列の最後尾についた。

「ねえ。健って、実はけっこう怖かったりする?」

 列に並びながら、麻衣が口を開く。由希も「あー、私も思った」と頷いた。

「なんで?」
「なんか、さっきの焼きそばの屋台とか。急に雰囲気変わったなって」
「そう?」

 私は首を傾げた。

「健は、いつもああだよ」
「え、そうなの?」
「うん。思ったこと結構そのまま言うし。ダメだと思ったことは、相手が誰でも言うよ」
「へえ。そうなんだ」

 二人が少し意外そうな顔をした。

「健って、誰にでも態度変えないから。そういうところが、他の男子とちょっと違うんだよね」
「ふぅ〜ん。さすが亜梨沙、健のことなんでも知ってるね」
「別に、一年のときも同じクラスだったから、ちょっと知ってるだけだよ」
「うちらだって同じクラスだったけど、そんなの気にしたことなかったし」
「そうそう。なんなら健より健のこと語れそう」

 二人が顔を見合わせてニヤニヤする。
 
「……なに、その顔」
「いやー、別に?」
「早く付き合っちゃえばいいのにって」
「もう、そんなんじゃないって」

 笑って否定しながらも、胸の奥底は浮ついていた。
 早く付き合えたらいいな──そんなことを、本気で思った。

 ◆

 急いで土手へ戻ると、ちょうど一発目の花火が夜空に上がった。

「間に合ったー!」

 私たちの声と同時に、周囲から歓声が上がる。急いでレジャーシート座って、夜空を見上げた。
 赤、青、黄色、ピンクのハート形の花火まで。たくさんの大きな花火が、夜空に咲いては消えていく。

「すげぇ」
「きれー……」

 みんなが呟いた。
 私も空を見上げながら、隣にいる健をちらりと見る。
 一瞬の光に照らされる、きれいな横顔。でも花火を見上げる瞳は、子どもみたいに輝いていて。

 友たちと笑って、好きな人と同じ景色を見ている。こんな夏を過ごせる自分が、少しだけ誇らしかった。
 今年の夏は──きっと、忘れない。

 花火が終わるまで、私たちはくだらない話をしたり、写真を撮ったり、買ってきたものを食べたりして過ごした。
 帰り道は混雑で大変だったけど、みんなで笑っていたから全然苦じゃなかった。

 私は、この場所が好きだ。
 可愛いと言ってもらえる私。友達と笑える私。そして、健の隣にいられる私。
 昔の私には、なかったものばかりだったんだから。

 ◆

 夏休みも残りわずかとなった、八月下旬。
 私はいつものようにSNSを眺めながら、二学期が始まる日を待っていた。
 夏休み中に投稿した写真には、たくさんの「いいね」がついている。
 特に、花火大会の写真。画面をスクロールするたび、数字が目に入る。
 こんなに増えた──。「いいね」の数だけ、私が認められている気がした。
 スマホを伏せながら思う。早く学校が始まればいいのに、って。
 そんなことを思ったのは、初めてだった。

 ◆

 二学期の始業日。
 久しぶりの教室は、いつも以上に賑やかだった。みんながそれぞれ、夏の思い出を語り合っている。
 私も、友達と挨拶を交わしながら自分の席へ向かった。

「亜梨沙、おはよ」
「おはよ」
「久々に早起きしたから、ちょー眠い」
「あはは。ほんとだよ」

 夏休みの間に撮った写真を見せ合ったり、宿題が終わったかどうかで盛り上がったり。
 そんな、いつもの朝だった。

「ねえ、見て」

 誰かの声がした。

「……誰、あれ?」
「転校生?」
「いや、んなわけないでしょ」

 教室の入り口から、一人の女子が入ってきた。
 すらりと伸びた背。しなやかな身体。あごのラインで切り揃えられた、短い髪。綺麗な鼻筋。それから──ぱっちりとした、二重。
 彼女は何事もないかのように、自分の席へ向かう。カバンを机の横に置いた。
 教室のざわめきが、いっそう強くなる。
 そこは──菊池 彩葉の席だった。