鏡の向こうの私たち

 それから数週間後。
 私たちは、同じ高校の制服を着ていた。

「久々じゃん」
「健くんも、元気そうだね」

 健くんは、すごく背が伸びていた。
 昔「でっけー」なんて言われたけれど、今はもうずっと健くんのほうが高い。性格も、変わっていなさそうだった。
 モテるんだろうな──とぼんやり思ったけれど、予想通り、実際にモテていたようだった。

 入学して数ヶ月経った、ある日の放課後。
 校門を出たところで、健くんが私の前髪について触れた。

「彩葉さ、さすがに前髪長すぎじゃね?」
「これがいい。落ち着くから」
「そなの? なんか、もったいねぇ気もするけど」
「なにが?」
「彩葉、綺麗だから」

 足が止まりかけた。

「……お世辞ならいらないから」
「そんなんじゃねぇって」

 知ってる。健くんは、思ったことをそのまま言う人だから。
 昔からそうだった。初めて会ったときだって、私の背を見て「でっけー」なんて言ったあと、かっこいいと笑った。
 だから、たぶん今も本心なのだろう。なのに──ううん、だからこそ、胸の奥が苦しくなった。

「……私、綺麗じゃないよ」
「え?」
「この顔、嫌いだから」

 健くんが黙った。

「昔からそう。鏡を見るのも嫌」
「なんで?」
「母親に似てるから。目元とか、もうそっくり」
「母親、嫌いなの?」
「……うん」

 母の姿を思い出す。酒の匂い、怒鳴り声、私を見下ろす目、それから、あの暴力的な手。
 自分の顔を見るたび、その記憶まで蘇ってくる。成長するにつれて、どんどん母親に似てくるこの顔が、吐き気がするほど嫌だった。
 
「……そっか」

 健くんは、それ以上を聞かなかった。
 ずっと押し込めていたものを吐き出したせいだろうか。泣くつもりなんて、これっぽちもなかったのに──気づけば、涙が頬を伝っていた。

 ◆

 七月二十二日。夏休みに入ってすぐ、今年も健くんからメールかきた。

《誕生日おめでとう。来年は同じクラスになれたらいいな》

 添えられた一言が思いのほか嬉しくて──「ありがとう」と返すのに少しだけ時間がかかった。

 十六歳になった夏。
 私は、ますます鏡を見るのが嫌になった。
 鏡の中に、あの人がいる──そんな感覚に苛まれて仕方がない。
 だから私は、部屋の鏡に布をかけた。

 夏休みは、普通に楽しかった。友だちと遊んで、宿題をして。
 そんなふうに過ごす中で、決定的なことが起きた。

「はーい、みんな笑って」

 スマホを向けられる。
 正直、写真も嫌いだった。極力映らないようにしていたけれど、夏休みで浮かれていたのもあったと思う。その日は、普通に笑っていた。
 あとから送られてきた写真を見て、私は固まった。

 ──これ、私……?

 笑っていたはずなのに、目だけが笑っていない。重いまぶたが、陰鬱(いんうつ)な印象を与えている。
 そして何より──母と、瓜二つだった。
 胸の奥からぞくりと冷たいものが上がって、それはあっという間に身体中を駆け巡った。

 見たくない。こんな顔──もう、見たくない。
 
 私は、その日のうちに整形について調べ始めた。

 ◆

 やると決めてからは、早かった。
 まずはお金を作るために、バイトを始めた。
 冬休みが近づいた頃には、貯めたお金もそれなりの額になっていた。

 私は、おばさんに話すことにした。

「おばさん。お願いがあるの」
「どうしたの?」
「私、整形したい」

 お茶を飲んでいたおばさんの手が止まった。

「……整形?」
「うん。自分のお金で払う。だから……同意してほしい」

 未成年の整形には、保護者の同意が必要だ。
 せめて成人になるまで待てないのか、とおばさんは言ったけれど、私は首を横に振った。

「……お願い。どうしても、嫌なの」
「そんなに急がなくても……」
「急いでるんじゃない。ずっと、嫌だったの」

 言葉にしているうちに、涙がこぼれた。

「私、この顔を見るたびに……お母さんを思い出すの」
「彩葉ちゃん……」
「だから……変えたい。もう……嫌だよ……」

 おばさんは、しばらく何も言わなかった。

「……一度、病院で話を聞いてみようか」

 その言葉に、私は何度も頷いた。

 ◆

 迎えた、春。
 二年生になって、健くんとも同じクラスになった。
 彼は相変わらず人気者で、いつだって輪の中心にいた。
 可愛い子やかっこいい人たちに囲まれているのに、私にも変わらず声をかけてくれる。
 本当に、優しい人だと思った。
 だから、きっと──私の決意も、受け入れてくれるんだろう。

 一学期最後の、終業式の日。
 私は、健くんを呼び出していた。
 校舎裏のベンチ。人の少ない場所で、二人並んで座った。
 
「あっつー」
「ほんと、毎日暑いね」
「髪、切っちゃえばいいのに」
「まだ言うか」

 ひとしきり笑ったあと、私は口を開いた。

「健くん……私、二重に整形する」
「うん。いいと思う」
「……引かないの?」
「彩葉が決めたんでしょ。引くことある?」

 太陽みたいに眩しい笑顔。
 健くんは、やっぱり受け入れてくれた。

 七月二十二日。
 私は、十七歳になった。

《誕生日おめでとう》

 二十四時ぴったりに、メールが届く。

《ありがとう》
《あれからちょっと調べてみたけど、なんか整形ってすげぇ大変そうだな》
《ダウンタイムがね》
《頑張れよ。夏休み明け、楽しみにしてる》
《うん》

 メールを閉じて、スマホを胸に抱える。

「……ありがとう」

 気づけば、声に出していた。

 ◆

 その次の日にはもう、私は診察台の上で横になっていた。
 緊張で心臓がバクバクしていたけれど、麻酔の効果で施術中は意識がふわふわとしていた。
 施術後すぐ、鏡を見せてもらう。

 ──すごい……。

 重かったまぶたが、くっきりとした二重に変わっていた。
 でも調べてた通り、ダウンタイム中の目はパンパンに腫れていて。それを見たおばさんは、ひどく心配していた。

「本当に治るの? よくなるの? 大丈夫なの?」

 そのたびに、私は「大丈夫だよ」と笑ってるみせた。
 三日、五日、一週間。少しずつ腫れが引いていく。
 二週間目を迎えるころには、ずいぶん落ち着いていた。

「すごいわ、別人みたい! 可愛くなったわね」

 おばさんも、ようやく安心したように笑った。

 日が経つにつれて、鏡を見れる時間が増えていった。
 腫れが引いていくたびに、少しずつ自分の顔が見えてくる。卵の殻がぺりぺりと剥がれていくみたいだった。

 夏休みが終わりを迎えそうな頃。
 長かった髪をバッサリ切る。
 鏡を見ても、もう母の顔を思い出さなかった。