さようならの先に

 晴と会って早数年が経過した。
 晴は下級武士の家出身にも関わらず、剣技の才能を開花させ、その努力家で誠実な性格から婿養子となることが決まった。
 ようは咲空と婚約したのである。
 対して咲空というと、栄養不足で植物が育たない大地を緑に変え、美しい花々が咲きほこる『花の都』にさせたのだった。
 下のさらにその下出身の者が努力で姫の婚約者となり、その姫は荒野に春を呼んだ。
 おとぎ話のような展開に周囲の人間は興奮せずにはいられないし、そのような話は娯楽へと変化する。
 元から有名だった姫と優秀な騎士の話は八千代から出ようとしていた。
 そんな話題の本人達はというと


 「お疲れ様!」
 「待っててくれてありがとう、咲空」


 数年前と同じような日常を送っていた。
 あの頃と違うのは晴が咲空に敬称なしで呼ぶようになり、ため口で話すようになったことだろう。


 「待っていたのは咲空だけじゃないぞ?」
 「まあまあそう怒らないでくださいませ。一番最初に婚約者様のところへ行きたくなるのは分かりますから」



 口調は悪い上に顔はむすっとしているが、これが彼の平常運転である。
 蓮は次期当主の座を放棄し、今では八千代で一番腕の良い医者となっていた。
 そして、兄を諫める妹の楠も三春に戻らず、咲空の話し相手として八千代に住む傍ら手先が器用なことを活かして手芸・料理などに手を出していた。


 「楠!」
 「あら?嘘でしたか?てっきりそうだと思ってしまいましたので」
 「からかいすぎ!」


 頬に手を当てて顔を少し傾ける姿は楠の繊細な姿との相乗効果でとても絵になる光景だが、婚約した幼馴染を茶化しているだけである。
楠の口から出た言葉に晴は顔を真っ赤にすることしかできず、からかわれた咲空の耳も真っ赤に染まっていた。


 「こうして四人で話すのも今日で最後なんだな」


 蓮がつぶやいたことで盛り上がっていた空気は冷めて沈黙が訪れる。


 「そう、だね」


 明日から蓮はここからさらに西にある都に位置する医学研究所へ学びに、晴は山を挟んだ隣国ー千代田ーを治める若い武将に奉公することが決まっている。
 咲空と楠は八千代で留守番。
 咲空だって本当は二人と離れたくない。ずっと一緒にいたい。
 だが、これは2人が自分で決めたことである。そこに咲空が余計なことを言って止めるわけにはいかない。
 昔からずっと一緒にいたからこそ、二人がどれだけ頑張ってきたことをずっと見てきたから。なおさら引き留められない。


 「二人とも、頑張って!ここから、応援するから!」


 (早く帰って来てね......)
 涙は出ていないだろうか?
 ちゃんと笑えているだろうか?
 2人のことを見送れているのだろうか?
 会えない不安とおいて行かれる悲しみで震えそうになる肩をそっと楠が抑えてくれた。わずかに揺れる手で。


 「咲空のことならわたくしに任せて下さいませ。晴とお兄様が無事に帰って来るのを待っていますよ」
 「お前は兄が死地の旅に出ると思っているのか。そんなに心配しなくても戻って来るさ。もっとこの国を豊かにするためにな」


 楠もいつも一緒にいた蓮と別れることに不安だったのだろう。それなのに、自分のことよりも咲空を支えてくれることが心強いけど自分の弱さのせいで楠に押し付けてしまったことに対して申し訳なかった。
 肩を添えられている少女がまさか申し訳なく思っているだなんてこれっぽちも考えていない楠は


 「そうですね。わたくしも自身の能力全て活用してこの国と将来を支えるお二人のために奮闘いたしましょう」


 自国よりも八千代のために頑張ると宣言した。


 「わたしも二人が帰って来た時にはもっと綺麗な景色にするね!この場所が日の本で最も美しいって呼ばれる『花の都』を作り出すから」
 「それなら僕は咲空が作る『花の都』に相応しい人間になって帰って来るよ」


 そう言いながら晴は咲空の髪をそっと優しく触った。
 その手は昔と違って血だらけではない。何度も何度も怪我をして皮膚が分厚くなって荒くなった手に変わっていた。
 咲空は必死に鍛錬する晴の理由を知らない。それでも、晴の頑張りが伝わってくる手に触れるのは嫌ではなかった。
 2人だけの空気になっている横で


 「(この男の怖いところはそういうことを無意識で言うんだよな)」
 「(良いじゃないですか) 」


 邪魔にならないようにこっそりとおしゃべりする兄妹の姿があった。今日が終わったらしばらく会えなくなる。いつもなら続く会話もここで途切れ、辺りには沈黙が訪れる。
 幼馴染の幸せを壊さないように、4人がこれから進む道に幸があることを祈って笑顔でいたい。
 冷静沈着で微笑みを絶やさない姿から頼られてばかりの楠も今日この瞬間だけはその姿でいられなかった。
 ぎゅっと抱きしめるのは兄と言っても行動が幼すぎるし、何よりも自分が弱く見える。いつもなら絶対にやらない。
 だけど、今日だけなら見せても大丈夫な気がした。


 「(お兄様......!) 」
 「(珍しいな。お前から来るなんて)」


 いつ帰って来るか未定。
 もしかしたら帰ってこられないかもしれない。
 悲しみと不安と与えられた自分の役目に押し潰れている妹が持っている荷物を妹の代わりに持とう。明日前を向けるようになるまで。兄らしくない兄ができる数少ない妹への甘やかしなんだから。