さようならの先に

 どれほど剣技ができていても、どれほど勉学ができていても、身分しか見られない。
 その現実を知ってしまった和心(おみ)の心は荒ぶれることはない。むしろ、凪いでしまった。
 努力で身に付けた能力は決して見られることはない。それなら、何をしても無駄ではないか。
 頑張っても、努力しても無駄であると考えてしまったら、何をしても気持ちが入らなくなってしまった。
 どこか投げやりで時間を消費するだけの日々が続いていたある日の休憩時間中、

 「手が荒れてるぞ。大丈夫か?」

 声変わりしたばかりの少年が和心に声をかけてきた。

 「晴、様」

 領主の温情で学びを得ているしがない農民の息子でも知っている。
 隣国である八千代の次期領主で千代田の当主から認められるほどの実力を兼ね備えながら、他者を思いやる誠実な態度から女性男性問わず人気者。
 そんな凄い人がどうして自分に話しかけてくるのか和心にはすぐわかった。
 (単なる興味)
 いくら人気で評判が良くても好奇心で聞いてきたに違いない。怪我を心配したのはそのカモフラージュだ。
 同じような目に何度もあってその度に痛い目に会って人間不信になっている和心はそう結論出した。

 「別にこれくらいの怪我どうだってことありません。晴様の方こそ忙しいでしょう?僕なんかに構うことありません」

 ちらっと横目を見て周囲を探ると自分が晴と話していることによく思っていない者達がじっと見つめてきた。

 「......北の庭園に来い。師範には言っておくから」

 和心だけが聞こえるくらいの小声でそう呟くと晴はこの場を去ってしまった。
 何でも昔の領主に庭いじりの趣味があったらしく、この城には東西南北それぞれに庭園がある。その中で北の庭園は庭園以外何もないので秘密話するにはもってこいの場所だった。
 (人に見られると嫌だから、か)
 内心ほくそ笑みながら、言われた通り北の庭園にいると先に着いていた晴と目が合う。

 「ここなら、僕しかいないから目線を気にすることないだろう?ほら、手見せて」
 「な、なんで......」
 「これじゃあ、木刀を握るだけでそうとう痛かったはずだ。待ってて」

 思ってもいなかった反応に動揺する和心の横で晴はその辺に生えている草をいくつか引っこ抜いてすりつぶすと、手に塗った。

 「臭いがきついと思うが、我慢してくれ。炎症緩和の薬草を塗っているだけだから」
 「は......?」
 「北の庭園には薬草がいっぱい植えてあるんだ。このドクダミだってそう。診療施設に行きたくないならここにおいで。ここなら、痛みを軽くできるから」

 (どうしてそんな情報まで知っているんだ?)
 これまで和心のことなんて誰一人知ろうとしてこなかったのに、晴は全てを知っているかのような態度だった。しかも、身分の理由でろくに治療を受けることができない和心に人知れず治すことができることを教えてくれた。

 「......どうしてそこまでやってくれるんですか?」
 「自己満足だよ、これは。君を見ていると昔の僕を思い出すんだ。下級武士、いわゆる足軽の家だった僕は身分差を実力で補おうとしても、実力を妬んだ他の者にいじめられた。努力しても生まれ持った身分で結局言われて、それをただ我慢するだけで、そんな自分が心底嫌いだった」

 晴の言葉は和心の心をほとんど反映していたようなものだった。
 違うのは、晴は対抗したが、和心は受け入れたことだろう。

 「でも、そんな僕を庇ってどこにも居場所がなかった僕に手を差し伸ばしてくれた人がいて、一緒にいることを受け入れてくれた人達がいた。だからさ、僕と一緒に来ないか、和心?」

 甘美な誘い
 期待して裏切られて信じられない和心にはどうしたら良いのか分からなかった。
 (期待したらもう戻れなくなる......)
 手を出して取るか取らないか迷っていると、

 「ほら、行くぞ」

 晴の方から手を掴んだ。

 「僕を雇ってもどうしようもないですし、恩を返しきれませんよ?」

 この機会に及んでもまだ自分を下げるような言葉が出てしまう。こうすれば、きっと相手は諦めてくれる。はじめて期待してくれた人間にこういうのは心がズキッとしたがしょうがない。きっと落胆したような表情になる。そう思って顔を上げると、

 「自分を卑下するな。少しずつでいい。君を信じている人に心を開いて欲しい。そして、僕が君に恩を渡したとなれば、返す必要はない。どうしても返したいのなら、その恩で他の誰かを救ってあげて欲しい」

 優しく頭を撫でてくれるその大きな手は傷だらけで固かった。
 (どうしてこの方は......)
 今一番必要とする言葉をくれるんだろう。
 冷たく冷え切った和心が少しずつ溶けていくような気がした。