隣国だが、千代田と八千代の間には高い山がある。
それを日夜馬を飛ばして数年ぶりに八千代に戻って来た。
昔から荒れた北部では珍しく草木が育つ地だったが、記憶よりずっと緑に染まった大地となっていた。
紫陽花、枸杞、桔梗、瑠璃繁縷、エリカ
季節も場所もそれぞれ異なる。だが、これらは自然環境なんて簡単にねじ伏せてしまう力によってこの地で開花したのだった。
だが、
青い紫陽花は無情
枸杞はお互いに忘れましょう
桔梗は薄幸
瑠璃繁縷は悲しみの記憶
エリカは孤独
狂ったように咲く花の意味はどれも悪い。
ーこの力は私の心をそっくりそのまま表すの。だから、嘘つくことはないー
そう言って菫の花を出す咲空の姿が頭に出てきた。
(咲空に何かあったのかもしれない......)
本当は今すぐにでも咲空の元へ飛んでいきたいが、婚約破棄について当主に聞かないといけないことがある。晴はぐっと我慢して当主がいる部屋へやってきた。
「お久しぶりです当主様」
「随分と立派に成長したようだな、晴よ」
当主の厳格さを持ちながらも晴に向ける視線は息子に向けるような温かさを秘めていた。
「単刀直入に言いますが、婚約破棄の件についてお話があります。一体何があったのでしょうか?」
激情を押さえているせいで声が震えているがしょうがない。
「先日楠殿が処刑された」
「は?楠が何かやったんですか⁉」
頭が殴られたような衝撃が襲い掛かって来た。
それと同時に胸にぽっかりと穴が空いた感覚が生まれる。
「楠殿は何をやっていないんだ......。楠殿を守ることができなかったことをどうか許してくれ」
「待って、下さい。楠の身に何があったんですか?」
「どうやら楠殿の父親である三春の主が楠殿に婚約話を持って来ていたようだった。相手は今一番勢力を持っていると過言ではない西の猿の甥。断ることもできず楠殿は旅立ったが、どうやらその甥が謀反を起こしたそうだ。猿が自分の子どもを後継ぎにしたいという欲望によるでっち上げとも言われているが、今ではその真意も分からない。まあ、ともかく猿のせいで婚約話が来ていた楠殿も巻き込まれてしまった。助けようと使者を送ったもののすでに楠殿はすでに行われた後だった。本当にすまない」
「......」
楠の最後を聞いた晴は言葉が出なかった。
遠い地で権力者の後継ぎ争いに巻き込まれて一人で死地へ旅立った友人に何といえばいいのか分からなかった。
「楠殿は晴や連殿が行って一人になった咲空の側にいてくれたおかげであの子はずっと前を向くことができた。だが、楠殿が亡くなったことで咲空は力を暴走させて倒れてしまった。今では体をろくに動かすことはできない上に言葉もたどたどしい。その上、楠殿を亡くした衝撃なのか記憶が抜けている」
晴も友人の死にショックを受けているが、晴よりもずっと近くにいた咲空の衝撃は尋常ではなかったのだろう。
事実を飲み込んでしまえば、咲空が壊れてしまうほど。
自分自身を守る為に全て消してしまった。
「今の咲空に君と過ごした記憶は残っていない。君は今まで咲空のことをずっと見てきた。きっと昔とは異なる咲空を見て優しい君は自分のことのように傷つくだろう。そう思って婚約破棄するよう伝えたんだ。そうすれば咲空を見る前にこちらへやってくると思うし、これ以上君達が悲しい顔になることもない」
婚約破棄は当主も悩んだのだろう。それでも子ども達のことを考えての決断だった。
だが、咲空の父親がそこまで晴のことを思っているとは考えていなかった。
「......婚約破棄するかどうかは一度咲空と会ってからで良いでしょうか?」
「咲空の部屋はあの頃と同じだ」
晴は当主から咲空の居場所を聞くと、走っていないぎりぎりのラインで廊下を迷わず進んで行く。
目的の部屋は襖が開いて入れる状況だった。
ゆっくりと中に足を踏み入れると、少女が畳んだ布団に体を任せながら外を見つめていた。
部屋は同じだが、置かれている調度品は落ち着いた装飾に変化し、目の前にいる少女は思っていたよりずっと大人の女性として成長していた。
その変化に驚きつつも申し訳なさでいっぱいになる。
晴が命令とはいえ咲空を放置して八千代から出て行った現実を突きつけられているようだった。
「咲空」
色々な感情がこみあげてくるが、それを全部押さえて、ゆっくりと近づいていく。
ごめんね
寂しかったよね
元気だった?
たくさん頑張ったね
すごいよ
言いたいことは山ほどある。
それなのに喉で止まって出てこない。
「……咲空」
口に出せたのは守ると決めた姫の名前だけだった。
足音と自分の名前を呼ぶ声で意識をこちらに向けた少女は瞳に晴を映して
「だ れ です か ?」
そう返して来た。
(分かってたつもりだけど......)
頭の中では理解しようとしている。でも、自分のことを見知らぬ人のように見ている彼女の姿を見ると理解を拒んでしまう。
「はじめまして、咲空。僕は晴。君に会いたくてやってきたんだよ......!」
震えた声
悲しみと嬉しさが混ぜ混ぜになった半泣きの顔
ごつごつした手
とてもじゃないが、お姫様を迎えに来たかっこいい皇子様には見えそうもない。
それでも不格好な皇子様は胸に秘めていた言葉を現世に紡ぎ出した。
「どう して 泣いて いるん です か? どこか 痛い の? だい じょう ぶ?」
たどたどしい声
布団の上で少しだけ上げてもすぐに落ちてしまう手
自分1人で何もできないか弱い少女
あの時のようにかばって守ることはない。
それでも
ーえっと、その、大丈夫?ー
整った眉をまげてこちらに飛んできた小さなお姫様の姿は変わらない。
(咲空は......咲空のままだ)
記憶を失っても動けなくても変わらない。
自分のことよりも他人のことばかり気にしていつも手を差し伸ばしてくれた。
(今度は僕が守る番なんだから)
「大丈夫......大丈夫だから......」
そしてゆっくりと後ろで見守っていた当主といつのまにかいた当主の妻で咲空の母親に伝える。
「僕は......咲空が良いです......。だから......お願いします......」
涙でぐしゃぐしゃな顔で晴は婚約破棄の件を取り消した。
それを日夜馬を飛ばして数年ぶりに八千代に戻って来た。
昔から荒れた北部では珍しく草木が育つ地だったが、記憶よりずっと緑に染まった大地となっていた。
紫陽花、枸杞、桔梗、瑠璃繁縷、エリカ
季節も場所もそれぞれ異なる。だが、これらは自然環境なんて簡単にねじ伏せてしまう力によってこの地で開花したのだった。
だが、
青い紫陽花は無情
枸杞はお互いに忘れましょう
桔梗は薄幸
瑠璃繁縷は悲しみの記憶
エリカは孤独
狂ったように咲く花の意味はどれも悪い。
ーこの力は私の心をそっくりそのまま表すの。だから、嘘つくことはないー
そう言って菫の花を出す咲空の姿が頭に出てきた。
(咲空に何かあったのかもしれない......)
本当は今すぐにでも咲空の元へ飛んでいきたいが、婚約破棄について当主に聞かないといけないことがある。晴はぐっと我慢して当主がいる部屋へやってきた。
「お久しぶりです当主様」
「随分と立派に成長したようだな、晴よ」
当主の厳格さを持ちながらも晴に向ける視線は息子に向けるような温かさを秘めていた。
「単刀直入に言いますが、婚約破棄の件についてお話があります。一体何があったのでしょうか?」
激情を押さえているせいで声が震えているがしょうがない。
「先日楠殿が処刑された」
「は?楠が何かやったんですか⁉」
頭が殴られたような衝撃が襲い掛かって来た。
それと同時に胸にぽっかりと穴が空いた感覚が生まれる。
「楠殿は何をやっていないんだ......。楠殿を守ることができなかったことをどうか許してくれ」
「待って、下さい。楠の身に何があったんですか?」
「どうやら楠殿の父親である三春の主が楠殿に婚約話を持って来ていたようだった。相手は今一番勢力を持っていると過言ではない西の猿の甥。断ることもできず楠殿は旅立ったが、どうやらその甥が謀反を起こしたそうだ。猿が自分の子どもを後継ぎにしたいという欲望によるでっち上げとも言われているが、今ではその真意も分からない。まあ、ともかく猿のせいで婚約話が来ていた楠殿も巻き込まれてしまった。助けようと使者を送ったもののすでに楠殿はすでに行われた後だった。本当にすまない」
「......」
楠の最後を聞いた晴は言葉が出なかった。
遠い地で権力者の後継ぎ争いに巻き込まれて一人で死地へ旅立った友人に何といえばいいのか分からなかった。
「楠殿は晴や連殿が行って一人になった咲空の側にいてくれたおかげであの子はずっと前を向くことができた。だが、楠殿が亡くなったことで咲空は力を暴走させて倒れてしまった。今では体をろくに動かすことはできない上に言葉もたどたどしい。その上、楠殿を亡くした衝撃なのか記憶が抜けている」
晴も友人の死にショックを受けているが、晴よりもずっと近くにいた咲空の衝撃は尋常ではなかったのだろう。
事実を飲み込んでしまえば、咲空が壊れてしまうほど。
自分自身を守る為に全て消してしまった。
「今の咲空に君と過ごした記憶は残っていない。君は今まで咲空のことをずっと見てきた。きっと昔とは異なる咲空を見て優しい君は自分のことのように傷つくだろう。そう思って婚約破棄するよう伝えたんだ。そうすれば咲空を見る前にこちらへやってくると思うし、これ以上君達が悲しい顔になることもない」
婚約破棄は当主も悩んだのだろう。それでも子ども達のことを考えての決断だった。
だが、咲空の父親がそこまで晴のことを思っているとは考えていなかった。
「......婚約破棄するかどうかは一度咲空と会ってからで良いでしょうか?」
「咲空の部屋はあの頃と同じだ」
晴は当主から咲空の居場所を聞くと、走っていないぎりぎりのラインで廊下を迷わず進んで行く。
目的の部屋は襖が開いて入れる状況だった。
ゆっくりと中に足を踏み入れると、少女が畳んだ布団に体を任せながら外を見つめていた。
部屋は同じだが、置かれている調度品は落ち着いた装飾に変化し、目の前にいる少女は思っていたよりずっと大人の女性として成長していた。
その変化に驚きつつも申し訳なさでいっぱいになる。
晴が命令とはいえ咲空を放置して八千代から出て行った現実を突きつけられているようだった。
「咲空」
色々な感情がこみあげてくるが、それを全部押さえて、ゆっくりと近づいていく。
ごめんね
寂しかったよね
元気だった?
たくさん頑張ったね
すごいよ
言いたいことは山ほどある。
それなのに喉で止まって出てこない。
「……咲空」
口に出せたのは守ると決めた姫の名前だけだった。
足音と自分の名前を呼ぶ声で意識をこちらに向けた少女は瞳に晴を映して
「だ れ です か ?」
そう返して来た。
(分かってたつもりだけど......)
頭の中では理解しようとしている。でも、自分のことを見知らぬ人のように見ている彼女の姿を見ると理解を拒んでしまう。
「はじめまして、咲空。僕は晴。君に会いたくてやってきたんだよ......!」
震えた声
悲しみと嬉しさが混ぜ混ぜになった半泣きの顔
ごつごつした手
とてもじゃないが、お姫様を迎えに来たかっこいい皇子様には見えそうもない。
それでも不格好な皇子様は胸に秘めていた言葉を現世に紡ぎ出した。
「どう して 泣いて いるん です か? どこか 痛い の? だい じょう ぶ?」
たどたどしい声
布団の上で少しだけ上げてもすぐに落ちてしまう手
自分1人で何もできないか弱い少女
あの時のようにかばって守ることはない。
それでも
ーえっと、その、大丈夫?ー
整った眉をまげてこちらに飛んできた小さなお姫様の姿は変わらない。
(咲空は......咲空のままだ)
記憶を失っても動けなくても変わらない。
自分のことよりも他人のことばかり気にしていつも手を差し伸ばしてくれた。
(今度は僕が守る番なんだから)
「大丈夫......大丈夫だから......」
そしてゆっくりと後ろで見守っていた当主といつのまにかいた当主の妻で咲空の母親に伝える。
「僕は......咲空が良いです......。だから......お願いします......」
涙でぐしゃぐしゃな顔で晴は婚約破棄の件を取り消した。



