高校生だったハルが大学の試験を受ける頃、私の体に変化が起きた。
視力が少しずつ回復してきたのだ。動かなかった足も毎日のリハビリで、走ることはできないものの歩けるようになった。
少しずつ光が見えてきて、私は病院にくるハルを病室から出て迎えに行けるようになるほどに回復した。
「ハル! 一人でも病室から出れるようになった。歩けるようになったんだよ!」
ハルが出てきたエレベーターには、他の人もいたのに、私は思わず抱きついて泣きながら笑った。
嬉しくて、嬉しくて、他の人の目を気にしている場合じゃなかった。私は多くを望むようになっていた。この病気が完治して、ハルとこの先もずっと一緒にいる。その大きな望みを叶えたかった。
「綾子さん!」
焦ったように慌てだすハルはそれでも私を突き放したりはしないで、周りの冷やかしに少し照れたようにを染めている。
「私、私ね、幸せだよ。本当にありがとう、ずっとそばにいてくれて本当に! ありがとう……」
そういうと少し力なく私の肩を何度か叩いた。
「……うん、おめでとう。俺も、綾子さんと一緒に過ごせて嬉しかったよ。幸せだった」
そっと腕を離して顔を見ると、ハルは寂しそうな顔をしていて、そしてゆっくりと私の手を引いた。
「病室行こう。まだ安静にしとかなきゃ駄目だよ」
嬉しいはずの出来事が、ハルの寂しそうな顔をみて一気に錆びついた。嬉しかったよと言ったハルの言葉。きっとそれはきっと今は違うってことかもしれない。相変わらず優しい力加減のハルの手を握るのは、もう私の手でなくても大丈夫なはずで……。
最初に広い世界に行けと言ったのは自分なのに、いざそうなった時、私は笑って送り出せない。
引きずられるように歩いて病室まで来ると、ハルはやはり元気のない声でこういった。
「大学の話、全然してなかったね……。進学するの、ようやく親に許してもらったし、推薦ももらった。だから、ちゃんと話す。……俺が受けようとしてる大学、ここから遠いんだ」
心臓が強い力でぎゅっと握られたみたいに、苦しくなった。ハルがここまで深刻に話す、その意味から、もうここには来れないことがわかったのに……。それでも聞かないわけにはいかないから声を絞り出し、のような力ない言葉を吐く。
「何処?」
「……九州」
問いただすこともできたはずなのに、わがままだっていうこともできたはずなのに。私の口から声が出ない。少しでも言葉にしたら、内側から壊れていくから――出せない。
「綾子さん俺、医者になりたいんだよ。誰かを救える人になりたいんだ。そうしたら、俺、自分が生きていいって思える。生きたいって望む事が出来る。……俺の学力じゃ、九州の大学の推薦しかもらえなかった、けど! 俺――」
思いがけず、ハルの言葉を私の言葉がった。
「そこに……私はいるの?」
「えっ?」
「ハルが生きたいって思う未来に、私はいるの?」
呆気にとられたように驚くハルが憎らしかった。考えてなかったのだ。私の事なんて少しも。一度、言葉にしたらあとはもう、なだれ込むように言葉にするしかなかった。
「私は、ハルの中から消えちゃうの? 思い出になって、ハルの世界から消えるの?」
言うんじゃなかった。ハルの、見開かれた目が後悔という傷になって頭の奥がしんと冷えた。……違う、私が望むべきなのは、こんな言葉じゃない。ハルの幸せのはずだ。
「――ごめん、感謝してるの。傍に居てくれたこと、すごく、すごく、本当に。でも、ずっと一緒だったから、これからも当たり前に一緒なんだって思ってた。ごめん、そんなはずないのに……」
その言葉で塗りつぶせないことは分かっていた。必死に言い募ったところで、望んでいないわけじゃなかったけど、嘘なんだ。自覚すれば、何処までも深い闇がを作り、私を飲み込む。怯えながら、必死に笑って見せた。
「寂しくなっただけなんだよ、きっと。でも、邪魔したいわけでもなくて……。応援してるのは、嘘じゃない。……嘘じゃないから――本当、頑張って」
予想通りの涙が溢れてきて、顔を隠したくて急いで後ろを向いた。みっともなく肩が震える。泣きたいわけじゃない、本当は心から応援して送り出したい。それが私にできる唯一のお礼なのに――。なんで、本心は違うの?
「綾子さん……何で泣くの?」
「また、聞くの?」
「うん、何で泣いてるのか知りたいから」
真っ直ぐに優しく、けれど彼の言葉は鋭かった。
「なんで、知りたいの?」
私は震える声で聞いた。もう、本当に心を覗かれるのが怖かった。優しいハルに何も返せない情けない自分の、浅ましい心を見透かされるのが、たまらなく嫌だった。
「好きだからだよ」
ガラス窓の雨粒が流れ落ちるように、すっと何のためらいもなくハルは言った。あまりに素直に言い放ったので、私は素っ頓狂な声をあげて振り返ろうとすると後ろからハルに抱きしめられた。
「先の未来見えたね。綾子さんがずっと心配してた悲しい結末は来なかったね。だから、これからも優しい時間が過ごせるように。綾子さんを助けられる医者に俺はなりたい」
振り返ると、ハルは本当に嬉しそうに笑っているから。私は、堰が切れたように溢れだす涙を止めなかった。顔を押しつけたハルの服に涙が染みこむ。
「好きだよ、大好き。ありがとう……ありが……と……」
多分、生きていて一番嬉しかった。嬉しくて、今までの辛さなんて思い出せないくらい――幸せだった。
「大学行く前に、また海見に行こうよ」
私はそっと頷いた。抱きつきながら、今まで流してなかった涙を全部流した。
視力が少しずつ回復してきたのだ。動かなかった足も毎日のリハビリで、走ることはできないものの歩けるようになった。
少しずつ光が見えてきて、私は病院にくるハルを病室から出て迎えに行けるようになるほどに回復した。
「ハル! 一人でも病室から出れるようになった。歩けるようになったんだよ!」
ハルが出てきたエレベーターには、他の人もいたのに、私は思わず抱きついて泣きながら笑った。
嬉しくて、嬉しくて、他の人の目を気にしている場合じゃなかった。私は多くを望むようになっていた。この病気が完治して、ハルとこの先もずっと一緒にいる。その大きな望みを叶えたかった。
「綾子さん!」
焦ったように慌てだすハルはそれでも私を突き放したりはしないで、周りの冷やかしに少し照れたようにを染めている。
「私、私ね、幸せだよ。本当にありがとう、ずっとそばにいてくれて本当に! ありがとう……」
そういうと少し力なく私の肩を何度か叩いた。
「……うん、おめでとう。俺も、綾子さんと一緒に過ごせて嬉しかったよ。幸せだった」
そっと腕を離して顔を見ると、ハルは寂しそうな顔をしていて、そしてゆっくりと私の手を引いた。
「病室行こう。まだ安静にしとかなきゃ駄目だよ」
嬉しいはずの出来事が、ハルの寂しそうな顔をみて一気に錆びついた。嬉しかったよと言ったハルの言葉。きっとそれはきっと今は違うってことかもしれない。相変わらず優しい力加減のハルの手を握るのは、もう私の手でなくても大丈夫なはずで……。
最初に広い世界に行けと言ったのは自分なのに、いざそうなった時、私は笑って送り出せない。
引きずられるように歩いて病室まで来ると、ハルはやはり元気のない声でこういった。
「大学の話、全然してなかったね……。進学するの、ようやく親に許してもらったし、推薦ももらった。だから、ちゃんと話す。……俺が受けようとしてる大学、ここから遠いんだ」
心臓が強い力でぎゅっと握られたみたいに、苦しくなった。ハルがここまで深刻に話す、その意味から、もうここには来れないことがわかったのに……。それでも聞かないわけにはいかないから声を絞り出し、のような力ない言葉を吐く。
「何処?」
「……九州」
問いただすこともできたはずなのに、わがままだっていうこともできたはずなのに。私の口から声が出ない。少しでも言葉にしたら、内側から壊れていくから――出せない。
「綾子さん俺、医者になりたいんだよ。誰かを救える人になりたいんだ。そうしたら、俺、自分が生きていいって思える。生きたいって望む事が出来る。……俺の学力じゃ、九州の大学の推薦しかもらえなかった、けど! 俺――」
思いがけず、ハルの言葉を私の言葉がった。
「そこに……私はいるの?」
「えっ?」
「ハルが生きたいって思う未来に、私はいるの?」
呆気にとられたように驚くハルが憎らしかった。考えてなかったのだ。私の事なんて少しも。一度、言葉にしたらあとはもう、なだれ込むように言葉にするしかなかった。
「私は、ハルの中から消えちゃうの? 思い出になって、ハルの世界から消えるの?」
言うんじゃなかった。ハルの、見開かれた目が後悔という傷になって頭の奥がしんと冷えた。……違う、私が望むべきなのは、こんな言葉じゃない。ハルの幸せのはずだ。
「――ごめん、感謝してるの。傍に居てくれたこと、すごく、すごく、本当に。でも、ずっと一緒だったから、これからも当たり前に一緒なんだって思ってた。ごめん、そんなはずないのに……」
その言葉で塗りつぶせないことは分かっていた。必死に言い募ったところで、望んでいないわけじゃなかったけど、嘘なんだ。自覚すれば、何処までも深い闇がを作り、私を飲み込む。怯えながら、必死に笑って見せた。
「寂しくなっただけなんだよ、きっと。でも、邪魔したいわけでもなくて……。応援してるのは、嘘じゃない。……嘘じゃないから――本当、頑張って」
予想通りの涙が溢れてきて、顔を隠したくて急いで後ろを向いた。みっともなく肩が震える。泣きたいわけじゃない、本当は心から応援して送り出したい。それが私にできる唯一のお礼なのに――。なんで、本心は違うの?
「綾子さん……何で泣くの?」
「また、聞くの?」
「うん、何で泣いてるのか知りたいから」
真っ直ぐに優しく、けれど彼の言葉は鋭かった。
「なんで、知りたいの?」
私は震える声で聞いた。もう、本当に心を覗かれるのが怖かった。優しいハルに何も返せない情けない自分の、浅ましい心を見透かされるのが、たまらなく嫌だった。
「好きだからだよ」
ガラス窓の雨粒が流れ落ちるように、すっと何のためらいもなくハルは言った。あまりに素直に言い放ったので、私は素っ頓狂な声をあげて振り返ろうとすると後ろからハルに抱きしめられた。
「先の未来見えたね。綾子さんがずっと心配してた悲しい結末は来なかったね。だから、これからも優しい時間が過ごせるように。綾子さんを助けられる医者に俺はなりたい」
振り返ると、ハルは本当に嬉しそうに笑っているから。私は、堰が切れたように溢れだす涙を止めなかった。顔を押しつけたハルの服に涙が染みこむ。
「好きだよ、大好き。ありがとう……ありが……と……」
多分、生きていて一番嬉しかった。嬉しくて、今までの辛さなんて思い出せないくらい――幸せだった。
「大学行く前に、また海見に行こうよ」
私はそっと頷いた。抱きつきながら、今まで流してなかった涙を全部流した。

