椅子に座りますか

「カラス……お前……!」

 カラスはゆっくり私の前へ進み出た。
 いつものモニター越しで見せていた飄々とした態度は消えている。ひどく重く、痛切な眼差しを向けると、私に向かって深く頭を下げた。

「……ずっと正体を隠し、あんたを利用していてすまなかった、真下刑事。だが、俺たちの『痛み』を、警察の中で唯一、泥水をすすりながら生きているあんたにだけは……分かってほしかったんだ」

 私は言葉を失った。
 その時、綾瀬管理官が死の直前に語った言葉が、頭の中へ蘇った。

『あの計画の主犯は……十五年前の天楽建設の汚職で使い捨てにされ、自殺に追い込まれた桜工事部長の息子だ』

 私はカラスを見た。
 それから、ユウへ視線を戻した。

「……待て」
「どうした、兄さん」
「綾瀬さんは言っていた」

 私は低い声で続けた。
「この計画の主犯は、桜工事部長の息子――カラスだと」

 一瞬、部屋が静まり返った。
 だが、ユウは驚かなかった。むしろ、どこか寂しそうに目を細めた。

「……そうか。綾瀬さんは、最期の瞬間まで俺を守ってくれたんだね」
「どういう意味だ」

 ユウは静かに答えた。
「綾瀬さんは俺たちに協力する時、はっきりとこう言っていたんだ。『俺は大鳥への復讐が終わったら、あるいはいざ自分が追い詰められたら、お前たちを裏切って主犯の名前を警察に売るかもしれない。俺にとってお前たちは、復讐を果たすためのただの道具だ』って」

 私は息を呑んだ。
「じゃあ、なぜ綾瀬さんは……死の間際に、主犯はカラスだと言ったんだ。お前を売る絶好の機会だったはずだろ」

「……俺たちのことを、信頼してくれたからだよ」

 ユウは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「計画を進める中で、綾瀬さんは俺たちの痛みを理解してくれた。ただの殺人鬼じゃないってことを分かってくれたんだ。」

カラスが横から静かに口を挟んだ。

「ユウの正体をあそこでバラせば、久我晃一郎の力で即座に握り潰されるか、最悪の場合、アンタが自分の実の弟を逮捕しなきゃならなくなる。……綾瀬さんはユウを売るような真似はせず、アンタ自身の手で真実を掘り起こし、久我の闇へ辿り着かせる道を選んだんだ。だから、あえて俺(桜の息子)の名前をカモフラージュとして使ったんだよ」

 私は黙ったまま、カラスを見た。
 ユウが言葉を継いだ。

「カラスがシステムを作り、綾瀬さんが警察内部から俺たちを支えた。そして――俺が、全員を一つにつないだ」

 ようやく構図が見えた。
 情報屋のカラスが、この巨大なテロシステムを裏から構築していた。

 綾瀬管理官が、警察内部から彼らへ情報を流していた。
 そして主犯であるユウが、権力の底辺で泣き寝入りするしかなかった被害者たちを集め、五人を一つの『組織』としてまとめ上げたのだ。

「兄さん。俺たちは、もう誰も殺させないために、巨悪を殺すことにしたんだ。法が奴らを裁かないなら、俺たちがこの手で裁くしかない」

 ユウの瞳は、狂気に濁ってはいなかった。
 だからこそ、恐ろしかった。
 そこに宿っているのは、恐ろしいほど澄み切った悲壮な覚悟だった。

「信じてもらえるとは思っていない。でも、俺たちが最初に決めたルールが一つある。無実の人間を標的にしないことだ。狙うのは、俺たちなりに証拠を積み上げた『特等席の罪人』だけだった」

 私は黙ったまま、ユウを見つめた。
 その言葉をそのまま受け入れることは、到底できなかった。

「俺たちが、ターゲットを『七つの大罪』になぞらえて処分してきたのには、そういう意味があるんだ。ただし、昔からある七つの大罪を、そのまま使っているわけじゃない」

「……どういうことだ」
「俺たちは、この社会で人を踏みつける罪に置き換えた。権力者の『傲慢』、際限なく利益を貪る『強欲』や『暴食』。そして、真実を捻じ曲げて人の人生を破壊する『虚偽』も含めた」

 ユウは真っ直ぐに私を見据えた。
「昔の宗教的な罪を再現したかったわけじゃない。この社会で人を苦しめている『現代の大罪』を、俺たちなりに七つへ分類したんだ」

 そして、落ち着いた声で続けた。
「法で裁けない奴らの罪を、大罪になぞらえて誰の目にも分かる形で可視化する。権力や自己中心的なエゴの陰へ隠された『傲慢』や『暴食』をあぶり出し、あの特等席から物理的に排除する。……それが、俺たちの行き着いた答えだ」

 理路整然とした大義名分だった。
 確かに、彼らが私利私欲だけで人を殺しているわけではない。その根底に何があるのかを知った今、刑事である私の心のどこかが、その痛みへ僅かに共鳴しかけていた。

 しかし、すぐに脳裏へ浮かんだのは、紅蓮の炎を吹き上げながら崩れていくネオ・トウキョウ・セキュリティタワーだった。

 そして、アスファルトの上へ崩れ落ち、二度と目を開けなかった親父の姿だった。

 私は奥歯を強く噛み締めた。
「ふざけるなッ! 無実の人間は標的にしないだと!? じゃあ、あのネオ・トウキョウタワーの惨劇は何なんだ! あの展望ホールには大勢の一般市民がいて、実際に死にかけたんだぞ! そして……俺の親父は、あそこで死んだじゃないか!!」

 血を吐くような絶叫が、冷たいコンクリートの壁へ反響した。
「あれのどこが、ターゲットだけを狙った正義だ! あの爆発が無差別な殺戮じゃないとでも言うのか!!」

 私の激しい怒りを前に、相田と深川は悲痛な表情で目を伏せた。門別も唇を噛んだまま、何も言わない。

 ユウだけは私から目を逸らさなかったが、その顔はひどく苦しげに歪んでいた。
「……兄さんの言う通りだ。あのタワーでの爆発は、到底許されるものじゃない」
絞り出すような声だった。

「だが……あれは、俺たちの計画じゃない。大鳥官房長官への復讐心に呑まれた綾瀬管理官が、土壇場で俺たちとの約束を裏切って暴走したんだ」

「綾瀬さんは俺たちを最後まで庇ってくれた恩人だ。でも、同時に……激しい憎悪に完全に呑まれ、俺たちが決めた『無実の人間を巻き込まない』というルールだけは、あの土壇場で裏切ってしまったんだ」