椅子に座りますか

 数か月前、確かに死んだ男だった。
 私は爆発の瞬間を映像で見ている。

 そして現場から回収された遺体は、高熱と爆風によって、人間だった姿や細胞も残さなかった。

 到底、生き残れるような爆発ではなかった。
 それなのに、死んだはずの久我晃生が、今、私の目の前で確かに呼吸をしていた。

(なぜだ……。あれほどの爆発だったんだぞ……!)

 あまりにも大きな衝撃が、刑事としての警戒を一瞬だけ奪った。
 その僅かな隙を、相手は逃さなかった。
 暗がりから、金属が擦れる冷たい音が立て続けに響いた。

 私が久我晃生の顔へ意識を奪われている間に、外階段から同行していたもう一人の男が部屋の影から姿を現していた。

 同時に、さらに奥へ潜んでいた別の男も拳銃を構える。
 そして、カラスも懐から拳銃を抜き放っていた。
 三つの銃口が、私の頭と心臓を三方向から完全に捉えた。

「……チッ!」

 我に返った私は銃を構え直そうとしたが、すでに遅かった。
 少しでも動けば、即座に撃ち抜かれる。

 額を冷たい汗が伝った。

 一触即発の空気が部屋を満たす中、久我晃生だけは、私から拳銃を向けられているにもかかわらず、何ひとつ恐れていないように立っていた。

「……落ち着こう。まず、話を聞いてくれ。真下さん」

 その声にも、私は違和感を覚えた。
 かつて親の権力を笠に着てふんぞり返り、『暴食』の罪人として糾弾された久我晃生の姿とは、まるで別人だった。

 目の前の男が持つのは、幾つもの修羅場を潜り抜けてきた人間だけが持つ、静かで芯のある眼差しだった。

 そして声もまた、あのタワーの踊り場で私に、
『あなたは生き延びてください』
 と告げ、炎の中へ戻っていった時のものと同じだった。

 私は三つの銃口に囲まれながら、目の前に立つ死人へ、低く震える声を絞り出した。

「……なぜ、生きている?」
「何から話せばいいか迷うが……」

 久我晃生は、こちらの銃口を前にしても顔色一つ変えず、静かに息を吐いた。
「まずは真下さん。その拳銃を渡してくれないか」
「……誰が渡すか」
 私は奪い取った拳銃のグリップをさらに強く握り、引き金に掛けた指へ力を込めた。

 相手が死人であろうと何であろうと、こんな状況で自ら武装を解く理由などない。
 私の態度を見た久我は、小さく肩をすくめた。
 そして、私の頭と心臓を狙っている三人へ視線を向けた。

「君たち、真下さんに拳銃を向けるのをやめろ。銃を下ろすんだ」
「で、ですが……!」
 三人のうち一人が、焦った声で食い下がった。

「あなたが撃たれるかもしれません! この男は刑事です。危険すぎます!」
「いいから下ろせと言っている」

 久我の声が低く響いた。
 怒鳴っているわけではない。
 それなのに、反論を許さない圧があった。

 親の威光を笠に着て威張っていた二世議員の声音ではない。幾つもの死線を越え、自分の決断に責任を負う者だけが持つ、『上に立つ人間』の声だった。

「……まず、我々が敵対してどうするんだ」

 三人は戸惑った様子を見せながらも、最終的にはその命令へ従った。
 ゆっくりと銃口が床へ下がっていく。
 部屋を満たしていた殺気が、僅かに薄れた。

 私はその様子を見ながら、まだ拳銃を構えたまま固まっていた。

(我々が……?)

 久我は今、テロリストである自分たちと、警察官である私を同じ『我々』という言葉で括った。

 しかも、日下部たちのように脅して従わせようとしているわけでもない。
 仲間へ自ら銃を下ろさせ、無防備な身体をこちらへ晒してまで、私と話そうとしている。

「……どういうことだ」

 私は銃口を男の眉間へ向けたまま、乾いた声で問い詰めた。

「死んだはずのお前が、なぜ生きている? それに、なぜ大勢の命を奪う!」

 私の怒りを受けても、無精髭の男は反論せず、静かに目を伏せた。
 少し間を置いてから、思いもよらない言葉を口にした。

「……その問いに答える前に、俺はあんたに、どうしても謝らなければならないことがある」
「謝る、だと……?」

 男の瞳にあったのは、テロリストの狂気でも、権力者の傲慢さでもなかった。
 そこに浮かんでいたのは、ただ深く、痛切な悲しみだった。

「あのタワーで……あんたの父親を、修造さんを、最後まで救いきれなかった。……本当に、すまなかった」

 心臓が大きく跳ねた。

「お前……あの時……!」

 炎と黒煙が渦巻く四十階。
 意識を失いかけていた私を安全な階段へ押し込み、
『あなたは生き延びてください』
と告げたあと、再び地獄の中へ戻っていった清掃員の姿が、鮮明に蘇った。

「あんたを非常階段へ逃したあと、俺はすぐに修造さんのところへ向かったんだ」
 男は悔しそうに拳を握った。
「だが……修造さんは、自分の命を削って、見ず知らずの市民たちを炎から庇い続けていた。俺が裏ルートのロックを解除して、残っていた人たちを外へ誘導した時には、もう……あの人の肺は限界を超えていた」

 男の顔が苦痛に歪んだ。

「俺がもっと早く、もっと早く助け出せていれば……ッ」

 演技には見えなかった。
 大切な人を失ったことを、本気で悔やんでいる人間の顔だった。

 拳銃を構える私の両腕が、かたかたと震え始めた。
 理解できない。
 頭の中で、何もかもが矛盾している。

「ふざけるな……! なんでだ!」
 私は銃口を震わせたまま、男へ向かって叫んだ。
「なんでテロリストの主犯であるお前が、親父を……俺たちを助けようとしたんだ!」

 声が、冷たいコンクリートの壁に反響する。
「お前は久我晃生だろ! 弱者を見下し、甘い汁を吸ってきた、あの冷酷な久我幹事長の息子だ! なのに、なぜそんな真似をする! なぜそんな悲しそうな顔をするんだ!!」

 私の叫びを受けた男は、震える銃口を見つめながら、ほんの少し寂しそうに笑った。