「……っ!?」
心臓を素手で激しく鷲掴みにされたような衝撃が走った。
(譲る……優しさ……!?)
私は画面を凝視した。
なぜだ。
なぜ、こいつが親父と同じ言葉を使う。
『……持てる人間は、ごくわずかだ。大半の人間は、無関心に目もくれないだろう。それが今の社会だ。自分さえ良ければいい。自分が座る『特等席』のことしか頭にない。
上に立つ政治家たちも同じだ。数十年前、大鳥官房長官の息子が轢き逃げをし、不起訴になったことを覚えている者がいるはずだ。メディアも政治の力に屈し、誰も騒がない。
それだけじゃない。不正な資金を使い回し、秘書や会社に罪をなすりつけて逃げている議員たち。……数ヶ月前、あの佐々木副大臣の動画を見た者がいるだろう?』
スマートフォンを持つ手が、僅かに震えた。
あの時、爆弾のブラフに怯えきった佐々木が、百万人の視線の前で泣き叫びながら自らの過去を告白した光景が蘇る。
『土地取引で不正をした佐々木は、秘書から報告を受け了承していたにも関わらず、「共謀はない」という法の抜け穴を利用して無罪放免となった。動画の中で、あいつは自分の口ではっきりとそれを認めた。
だが、どうだ? 巨悪が自白したというのに、権力によって隠蔽され、誰も何も言えない。誰も彼を裁けない。
そんな奴らが、私たちの生活を良くするためだと大義名分を掲げて国民を騙し、何か問題を起こせば天下りをして優遇され、今も甘い汁を吸い続けている』
機械音声が、静かな怒りを伴いながら日本中へ問いかけ続けた。
『これを知って、日本が良くなると思いますか? これをどう思う?
だから私たちが、腐りきった特等席の連中を清算する。最大のプロジェクトを開始する』
そこで動画は、プツンと途切れた。
私はベンチへ腰掛けたまま、凍りついたように動くことができなかった。
(……おかしい)
カラスは、ただのサイバーテロリストではない。
あの声明の根底にあったのは、弱者へ向けられた痛切な優しさと、それを見捨て続ける社会への強烈な絶望だった。
そして何より、あいつが使った『譲る優しさ』という言葉が、私の胸へ引っかかったまま離れない。
偶然の一致として片付けるには、あまりにも出来すぎていた。
かつて父親が口にした『優しさ』という言葉を、殺戮の大義名分として掲げる見えないテロリスト。
その矛盾に満ちた絶望的な声明は、曇り空の下で一人ベンチへ座る私の胸の奥に、得体の知れない黒い渦となってこびりついた。
公園での出来事のあと、私は疲労と混乱を引きずったまま、自分のアパートへ戻ってきた。
古びた外階段へ足を掛け、二階の自室へ向かおうとした、まさにその時だった。
「――声明は聞いたかい、真下刑事? いや……『ジョウ』」
闇の中から、静かで、ひどく聞き覚えのある声が響いた。
私は弾かれたように振り返った。
階段の下。
街灯の逆光の中に、一人の男が立っていた。
裏の情報屋であり、天才ハッカーでもある『カラス』だった。
その左右には、全身を黒ずくめで固めた仲間が二人立っている。
二人とも顔の大半を黒い布とフードで隠し、素性はまったく分からない。
そして、その手に握られた拳銃の銃口が、真っ直ぐ私へ向けられていた。
謹慎中の私は、警察手帳も拳銃も置いてきている。
完全な丸腰だった。
それでも私は怯むことなく拳を固く握り締め、階段の下にいる三人を鋭く睨みつけた。
「……カラス、何しに来た?」
カラスは、両脇で仲間が拳銃を構えていることなど気にも留めていないような口調で、淡々と言った。
「ジョウ。僕らは君を迎え入れたいんだ。日下部刑事たちみたいに脅してではなく……味方としてな」
その言葉を聞き、私はぎりっと奥歯を噛み鳴らした。
「馬鹿を言うな。なぜ俺が、大勢の命を弄ぶテロリストに力を貸さなきゃならない」
カラスは私の怒りを正面から受け止めながら、静かに答えた。
「まず第一に、君に会わせたい男がいる」
カラスは、私の怒りなど意に介していないように薄く笑った。
「君も知りたいだろ? 我々の真意を」
そう言うと、カラスは懐から黒い布を取り出し、目隠しだと分かるように私の目の前でひらつかせた。
「とりあえず、これを着けてもらおうか」
「ふざけるな! なんでお前たちの言うことを聞かなきゃならない!」
声を荒らげながら一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。
カラスの横に立っていた仲間の一人が、素早く私の背後へ回り込み、後頭部へ拳銃を力任せに押しつけてきた。
「……ここで死体になるか、それともついてくるか。選べ」
低く押し殺した声には、脅しでは済まされない本物の殺気が滲んでいた。
こいつらは本気だ。丸腰の私が少しでも抵抗すれば、躊躇なく引き金を引くだろう。
後頭部へ銃口を押しつけられたまま、私は奥歯を噛み締めた。
「……分かった」
抵抗する意思を見せなくなると、背後の男が私の目へ黒い布をきつく巻きつけた。光は完全に遮断され、視界が一瞬で闇へ落ちる。
そのまま腕を掴まれ、乱暴に車へ押し込まれた。
エンジンがかかり、身体へ振動が伝わってくる。
どこを走っているのか分からせないためなのだろう。何度も車を乗り換えたのか、あるいは意図的に遠回りをしたのか、私は長い時間を目隠しされたまま揺られ続け、途中では何度も車から降ろされて歩かされた。
方向感覚も時間感覚も完全に狂わされた頃、ようやく冷たいコンクリートと湿った埃の臭いが漂う場所へ連れ込まれた。
足を止めた直後、背後の男が目隠しを乱暴に剥ぎ取った。
「……っ」
蛍光灯の強い光が一気に目へ飛び込み、私は眩しさに目を細めた。
少しずつ視界が慣れてくる。
振り返らなくても分かった。
私のすぐ真後ろには、先ほどの男が拳銃を構えたまま張りつき、退路を完全に塞いでいる。
外階段でカラスと一緒にいたもう一人の仲間は見当たらない。だが、どこか近くに潜んでいることだけは、刑事としての本能がはっきりと告げていた。
そして視界が完全に戻った時、目の前に立つ男を見て、私は息を呑んだ。
無精髭。
サングラス。
あの男だった。
燃え盛るネオ・トウキョウ・セキュリティタワーの中で、私を助け、さらに親父たちを救うために炎の中へ戻っていった、あの清掃員の男だ。
男は無言で私を見つめると、ゆっくり右手を上げ、サングラスのフレームへ指を掛けた。
その瞬間、背後に立つ見張りの男の呼吸が、ほんの僅かに乱れた。
目の前の男の素顔が晒されることへ、無意識に意識が引き寄せられたのだ。
(――今だ)
私は目隠しをされている間、極限まで力を抜いていた身体を、一気に沈み込ませた。
後頭部へ押しつけられていた銃口が、頭上の空間を滑った。
そのまま身体を捻り、独楽のように反転する。
男の右手首を両手で下から跳ね上げた。
「なっ!?」
相手が反応するより早く、その手首を強引に捻り上げ、関節を極める。
「ぐあッ!」
男が激痛に顔を歪めて崩れた瞬間、私はその手から漆黒の拳銃を奪い取った。
続けざまに胸板を蹴り飛ばし、相手を床へ転がす。
奪った拳銃を握り直し、即座に前方へ向けた。
流れるような制圧だった。
だが、そこで私の動きは完全に止まった。
銃口を向けられているにもかかわらず、目の前の無精髭の男は一切動揺していなかった。
男は静かにサングラスを外し、そのまま床へ放り投げた。
露わになった素顔を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねた。
全身から一気に血の気が引き、呼吸の仕方さえ忘れたように肺が強張る。
サングラスが床へ落ちた乾いた音だけが、妙に鮮明に耳へ残った。
「……久我……晃生?」
心臓を素手で激しく鷲掴みにされたような衝撃が走った。
(譲る……優しさ……!?)
私は画面を凝視した。
なぜだ。
なぜ、こいつが親父と同じ言葉を使う。
『……持てる人間は、ごくわずかだ。大半の人間は、無関心に目もくれないだろう。それが今の社会だ。自分さえ良ければいい。自分が座る『特等席』のことしか頭にない。
上に立つ政治家たちも同じだ。数十年前、大鳥官房長官の息子が轢き逃げをし、不起訴になったことを覚えている者がいるはずだ。メディアも政治の力に屈し、誰も騒がない。
それだけじゃない。不正な資金を使い回し、秘書や会社に罪をなすりつけて逃げている議員たち。……数ヶ月前、あの佐々木副大臣の動画を見た者がいるだろう?』
スマートフォンを持つ手が、僅かに震えた。
あの時、爆弾のブラフに怯えきった佐々木が、百万人の視線の前で泣き叫びながら自らの過去を告白した光景が蘇る。
『土地取引で不正をした佐々木は、秘書から報告を受け了承していたにも関わらず、「共謀はない」という法の抜け穴を利用して無罪放免となった。動画の中で、あいつは自分の口ではっきりとそれを認めた。
だが、どうだ? 巨悪が自白したというのに、権力によって隠蔽され、誰も何も言えない。誰も彼を裁けない。
そんな奴らが、私たちの生活を良くするためだと大義名分を掲げて国民を騙し、何か問題を起こせば天下りをして優遇され、今も甘い汁を吸い続けている』
機械音声が、静かな怒りを伴いながら日本中へ問いかけ続けた。
『これを知って、日本が良くなると思いますか? これをどう思う?
だから私たちが、腐りきった特等席の連中を清算する。最大のプロジェクトを開始する』
そこで動画は、プツンと途切れた。
私はベンチへ腰掛けたまま、凍りついたように動くことができなかった。
(……おかしい)
カラスは、ただのサイバーテロリストではない。
あの声明の根底にあったのは、弱者へ向けられた痛切な優しさと、それを見捨て続ける社会への強烈な絶望だった。
そして何より、あいつが使った『譲る優しさ』という言葉が、私の胸へ引っかかったまま離れない。
偶然の一致として片付けるには、あまりにも出来すぎていた。
かつて父親が口にした『優しさ』という言葉を、殺戮の大義名分として掲げる見えないテロリスト。
その矛盾に満ちた絶望的な声明は、曇り空の下で一人ベンチへ座る私の胸の奥に、得体の知れない黒い渦となってこびりついた。
公園での出来事のあと、私は疲労と混乱を引きずったまま、自分のアパートへ戻ってきた。
古びた外階段へ足を掛け、二階の自室へ向かおうとした、まさにその時だった。
「――声明は聞いたかい、真下刑事? いや……『ジョウ』」
闇の中から、静かで、ひどく聞き覚えのある声が響いた。
私は弾かれたように振り返った。
階段の下。
街灯の逆光の中に、一人の男が立っていた。
裏の情報屋であり、天才ハッカーでもある『カラス』だった。
その左右には、全身を黒ずくめで固めた仲間が二人立っている。
二人とも顔の大半を黒い布とフードで隠し、素性はまったく分からない。
そして、その手に握られた拳銃の銃口が、真っ直ぐ私へ向けられていた。
謹慎中の私は、警察手帳も拳銃も置いてきている。
完全な丸腰だった。
それでも私は怯むことなく拳を固く握り締め、階段の下にいる三人を鋭く睨みつけた。
「……カラス、何しに来た?」
カラスは、両脇で仲間が拳銃を構えていることなど気にも留めていないような口調で、淡々と言った。
「ジョウ。僕らは君を迎え入れたいんだ。日下部刑事たちみたいに脅してではなく……味方としてな」
その言葉を聞き、私はぎりっと奥歯を噛み鳴らした。
「馬鹿を言うな。なぜ俺が、大勢の命を弄ぶテロリストに力を貸さなきゃならない」
カラスは私の怒りを正面から受け止めながら、静かに答えた。
「まず第一に、君に会わせたい男がいる」
カラスは、私の怒りなど意に介していないように薄く笑った。
「君も知りたいだろ? 我々の真意を」
そう言うと、カラスは懐から黒い布を取り出し、目隠しだと分かるように私の目の前でひらつかせた。
「とりあえず、これを着けてもらおうか」
「ふざけるな! なんでお前たちの言うことを聞かなきゃならない!」
声を荒らげながら一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。
カラスの横に立っていた仲間の一人が、素早く私の背後へ回り込み、後頭部へ拳銃を力任せに押しつけてきた。
「……ここで死体になるか、それともついてくるか。選べ」
低く押し殺した声には、脅しでは済まされない本物の殺気が滲んでいた。
こいつらは本気だ。丸腰の私が少しでも抵抗すれば、躊躇なく引き金を引くだろう。
後頭部へ銃口を押しつけられたまま、私は奥歯を噛み締めた。
「……分かった」
抵抗する意思を見せなくなると、背後の男が私の目へ黒い布をきつく巻きつけた。光は完全に遮断され、視界が一瞬で闇へ落ちる。
そのまま腕を掴まれ、乱暴に車へ押し込まれた。
エンジンがかかり、身体へ振動が伝わってくる。
どこを走っているのか分からせないためなのだろう。何度も車を乗り換えたのか、あるいは意図的に遠回りをしたのか、私は長い時間を目隠しされたまま揺られ続け、途中では何度も車から降ろされて歩かされた。
方向感覚も時間感覚も完全に狂わされた頃、ようやく冷たいコンクリートと湿った埃の臭いが漂う場所へ連れ込まれた。
足を止めた直後、背後の男が目隠しを乱暴に剥ぎ取った。
「……っ」
蛍光灯の強い光が一気に目へ飛び込み、私は眩しさに目を細めた。
少しずつ視界が慣れてくる。
振り返らなくても分かった。
私のすぐ真後ろには、先ほどの男が拳銃を構えたまま張りつき、退路を完全に塞いでいる。
外階段でカラスと一緒にいたもう一人の仲間は見当たらない。だが、どこか近くに潜んでいることだけは、刑事としての本能がはっきりと告げていた。
そして視界が完全に戻った時、目の前に立つ男を見て、私は息を呑んだ。
無精髭。
サングラス。
あの男だった。
燃え盛るネオ・トウキョウ・セキュリティタワーの中で、私を助け、さらに親父たちを救うために炎の中へ戻っていった、あの清掃員の男だ。
男は無言で私を見つめると、ゆっくり右手を上げ、サングラスのフレームへ指を掛けた。
その瞬間、背後に立つ見張りの男の呼吸が、ほんの僅かに乱れた。
目の前の男の素顔が晒されることへ、無意識に意識が引き寄せられたのだ。
(――今だ)
私は目隠しをされている間、極限まで力を抜いていた身体を、一気に沈み込ませた。
後頭部へ押しつけられていた銃口が、頭上の空間を滑った。
そのまま身体を捻り、独楽のように反転する。
男の右手首を両手で下から跳ね上げた。
「なっ!?」
相手が反応するより早く、その手首を強引に捻り上げ、関節を極める。
「ぐあッ!」
男が激痛に顔を歪めて崩れた瞬間、私はその手から漆黒の拳銃を奪い取った。
続けざまに胸板を蹴り飛ばし、相手を床へ転がす。
奪った拳銃を握り直し、即座に前方へ向けた。
流れるような制圧だった。
だが、そこで私の動きは完全に止まった。
銃口を向けられているにもかかわらず、目の前の無精髭の男は一切動揺していなかった。
男は静かにサングラスを外し、そのまま床へ放り投げた。
露わになった素顔を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねた。
全身から一気に血の気が引き、呼吸の仕方さえ忘れたように肺が強張る。
サングラスが床へ落ちた乾いた音だけが、妙に鮮明に耳へ残った。
「……久我……晃生?」
