* * *
親父の手紙を読み終え、泥水の中でもがきながら、それでも前へ進み続けることを誓ってから、数日が経っていた。
謹慎処分を受け、警察という組織の手足を縛られた今の私にできることは、自ら暗闇へ潜り、表には出てこない情報を拾い集めることだけだった。
私は自室のベッドに腰掛け、情報屋の『カラス』へ何度も暗号通信を送り続けていた。久我幹事長の闇を暴くため、そして、この狂った連続爆破テロの主犯へ繋がる情報を、たとえ僅かでも引き出すためだった。
だが、数日経ってもカラスからの返信は一切なかった。これまでなら、どれほど危険な情報であろうとすぐにコンタクトを取ってきた男が、まるで最初からこの世に存在していなかったかのように、完全に消息を絶ってしまったのだ。
理由の分からない沈黙が、日に日に私の焦燥を膨らませていった。
そんなある夜、手元の端末が突然震えた。
『真下さん……助けてください。俺のところに、テロリストから直接連絡が来ました』
電話の向こうから聞こえてきた日下部の声は、尋常ではない恐怖に震え、ひどく掠れていた。
その数時間後、私は日下部からのSOSを受け、彼と共に、テロリストが指定した深夜の廃ビルへ足を踏み入れていた。
人気のない建物の内部には、湿った埃と黴の臭いが漂っていた。非常灯すらほとんど機能していない薄暗いフロアの中央に、不自然なほどぽつんと電子ロック式の保管庫が置かれている。
その操作パネルにはパスワード入力欄と、犯人から送られた短いメッセージだけが表示されていた。
『15年前に散った花』
その言葉を目にした瞬間、私の脳裏に、崩落する密室の中で血を流しながら微笑んだ綾瀬管理官の姿が鮮明に蘇った。
――主犯は……十五年前、天楽建設の汚職で自殺に追い込まれた……桜工事部長の、息子だ。
「……俺がやる」
私は日下部を制し、保管庫の前へ進んだ。
震える指をキーボードへ置き、一文字ずつ入力していく。
【sakura】
エンターキーを押した瞬間、ピピッという無機質な電子音が響き、内部のロックが解除された。重い機械音と共に保管庫の扉が開き、その中から現れたのは、分厚く頑丈な黒いアタッシュケースだった。
「開いた……! 『15年前に散った花』って、桜のことだったんですね……!」
日下部が安堵と恐怖の入り混じった声を漏らし、アタッシュケースを引きずり出した、その時だった。
――バチッ!!
背後の壁に設置されていた大型モニターが、突然眩い光を放って起動した。
「なっ……!?」
映し出された映像を見た瞬間、私と日下部は揃って息を呑んだ。
薄暗いどこかの部屋で、数名の見知らぬ男女が椅子へ縛りつけられていた。二人が恐怖に顔を歪め、がたがたと身体を震わせながら泣き叫んでいる。その首には、赤いランプを点滅させる異様な金属製の首輪が巻かれていた。
見間違えるはずがない。
爆弾だ。
やがて、モニターのスピーカーから、聞き覚えのある冷酷な機械音声が流れ始めた。
『よく来たな、日下部刑事。お前が手にしたそのアタッシュケースの中身は、特殊な爆弾だ。数週間後に行われる【最大のイベント】の際、警察官であるお前の手で、それを指定の場所に持ち込んでもらう』
「ふざけるなッ! 誰がそんな真似――」
日下部が怒鳴り返したが、声は途中で遮られた。
『もし警察にタレ込んだり、私の指示に背いたりすれば……画面に映るこの無関係な市民たちの首を、即座に吹き飛ばす』
「……っ!!」
日下部の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
犯人は最初から、日下部を確実に服従させるために、何の関係もない市民の命を人質として用意していたのだ。警察官である日下部なら、無関係な人間を見殺しにできない。その使命感そのものを利用し、彼をテロの実行犯へと縛りつけるための、残酷極まりない鎖だった。
「クソッ……クソォォッ!!」
日下部は頭を抱え、その場で絶望の叫びを上げた。
だが、私は彼とは別の意味で、背筋を伝う冷たい汗を止められずにいた。
大型モニターの端には、先ほど私が入力した解除キーの文字列が、緑色の文字でまだ点灯し続けていた。
【sakura】
サクラ。
十五年前に死んだ男の苗字。
私はそのアルファベットの並びを、頭の中でもう一度なぞった。
s、a、k、u、r、a。
ふと、何かが引っかかった。
(……待てよ)
私は目を閉じ、暗闇の中で文字を一つずつ組み替えていった。
s、a、k、u、r、a。
並びを変える。
k、a、r、a、s、u。
(……KARASU……!?)
「……カラス」
無意識に零れた名前を聞き、日下部がはっと顔を上げた。
だが、その時の私には、もう彼の反応などほとんど耳に入っていなかった。
頭の中を、巨大なハンマーで殴りつけられたような衝撃が駆け抜けていた。
テロリストを追う私に、これまで何度か的確な情報を与えてきた謎の情報屋、『カラス』。
私が数日前に連絡を入れた途端、不自然なほど完全に音信不通になった男。
そして今、十五年前に死んだ『桜』という名前と、『カラス』という呼び名が、同じアルファベットから組み替えられている。
偶然で済ませられるはずがなかった。
私をずっと裏から誘導し、必要な情報を与え、知らず知らずのうちに手駒として利用していた情報屋のカラスこそが、十三万人もの大衆を奴隷へ変え、連続爆破テロを裏で操る主犯であり、十五年前に自殺した桜工事部長の息子ではないのか!
私は青白い光を放つモニターへ歩み寄り、その向こう側からこちらを見下ろしているであろう『見えない悪魔』へ、血を吐くような声で怒鳴りつけた。
「お前……情報屋の『カラス』なのかッ!! ずっと俺を利用していたのか!!」
親父の手紙を読み終え、泥水の中でもがきながら、それでも前へ進み続けることを誓ってから、数日が経っていた。
謹慎処分を受け、警察という組織の手足を縛られた今の私にできることは、自ら暗闇へ潜り、表には出てこない情報を拾い集めることだけだった。
私は自室のベッドに腰掛け、情報屋の『カラス』へ何度も暗号通信を送り続けていた。久我幹事長の闇を暴くため、そして、この狂った連続爆破テロの主犯へ繋がる情報を、たとえ僅かでも引き出すためだった。
だが、数日経ってもカラスからの返信は一切なかった。これまでなら、どれほど危険な情報であろうとすぐにコンタクトを取ってきた男が、まるで最初からこの世に存在していなかったかのように、完全に消息を絶ってしまったのだ。
理由の分からない沈黙が、日に日に私の焦燥を膨らませていった。
そんなある夜、手元の端末が突然震えた。
『真下さん……助けてください。俺のところに、テロリストから直接連絡が来ました』
電話の向こうから聞こえてきた日下部の声は、尋常ではない恐怖に震え、ひどく掠れていた。
その数時間後、私は日下部からのSOSを受け、彼と共に、テロリストが指定した深夜の廃ビルへ足を踏み入れていた。
人気のない建物の内部には、湿った埃と黴の臭いが漂っていた。非常灯すらほとんど機能していない薄暗いフロアの中央に、不自然なほどぽつんと電子ロック式の保管庫が置かれている。
その操作パネルにはパスワード入力欄と、犯人から送られた短いメッセージだけが表示されていた。
『15年前に散った花』
その言葉を目にした瞬間、私の脳裏に、崩落する密室の中で血を流しながら微笑んだ綾瀬管理官の姿が鮮明に蘇った。
――主犯は……十五年前、天楽建設の汚職で自殺に追い込まれた……桜工事部長の、息子だ。
「……俺がやる」
私は日下部を制し、保管庫の前へ進んだ。
震える指をキーボードへ置き、一文字ずつ入力していく。
【sakura】
エンターキーを押した瞬間、ピピッという無機質な電子音が響き、内部のロックが解除された。重い機械音と共に保管庫の扉が開き、その中から現れたのは、分厚く頑丈な黒いアタッシュケースだった。
「開いた……! 『15年前に散った花』って、桜のことだったんですね……!」
日下部が安堵と恐怖の入り混じった声を漏らし、アタッシュケースを引きずり出した、その時だった。
――バチッ!!
背後の壁に設置されていた大型モニターが、突然眩い光を放って起動した。
「なっ……!?」
映し出された映像を見た瞬間、私と日下部は揃って息を呑んだ。
薄暗いどこかの部屋で、数名の見知らぬ男女が椅子へ縛りつけられていた。二人が恐怖に顔を歪め、がたがたと身体を震わせながら泣き叫んでいる。その首には、赤いランプを点滅させる異様な金属製の首輪が巻かれていた。
見間違えるはずがない。
爆弾だ。
やがて、モニターのスピーカーから、聞き覚えのある冷酷な機械音声が流れ始めた。
『よく来たな、日下部刑事。お前が手にしたそのアタッシュケースの中身は、特殊な爆弾だ。数週間後に行われる【最大のイベント】の際、警察官であるお前の手で、それを指定の場所に持ち込んでもらう』
「ふざけるなッ! 誰がそんな真似――」
日下部が怒鳴り返したが、声は途中で遮られた。
『もし警察にタレ込んだり、私の指示に背いたりすれば……画面に映るこの無関係な市民たちの首を、即座に吹き飛ばす』
「……っ!!」
日下部の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
犯人は最初から、日下部を確実に服従させるために、何の関係もない市民の命を人質として用意していたのだ。警察官である日下部なら、無関係な人間を見殺しにできない。その使命感そのものを利用し、彼をテロの実行犯へと縛りつけるための、残酷極まりない鎖だった。
「クソッ……クソォォッ!!」
日下部は頭を抱え、その場で絶望の叫びを上げた。
だが、私は彼とは別の意味で、背筋を伝う冷たい汗を止められずにいた。
大型モニターの端には、先ほど私が入力した解除キーの文字列が、緑色の文字でまだ点灯し続けていた。
【sakura】
サクラ。
十五年前に死んだ男の苗字。
私はそのアルファベットの並びを、頭の中でもう一度なぞった。
s、a、k、u、r、a。
ふと、何かが引っかかった。
(……待てよ)
私は目を閉じ、暗闇の中で文字を一つずつ組み替えていった。
s、a、k、u、r、a。
並びを変える。
k、a、r、a、s、u。
(……KARASU……!?)
「……カラス」
無意識に零れた名前を聞き、日下部がはっと顔を上げた。
だが、その時の私には、もう彼の反応などほとんど耳に入っていなかった。
頭の中を、巨大なハンマーで殴りつけられたような衝撃が駆け抜けていた。
テロリストを追う私に、これまで何度か的確な情報を与えてきた謎の情報屋、『カラス』。
私が数日前に連絡を入れた途端、不自然なほど完全に音信不通になった男。
そして今、十五年前に死んだ『桜』という名前と、『カラス』という呼び名が、同じアルファベットから組み替えられている。
偶然で済ませられるはずがなかった。
私をずっと裏から誘導し、必要な情報を与え、知らず知らずのうちに手駒として利用していた情報屋のカラスこそが、十三万人もの大衆を奴隷へ変え、連続爆破テロを裏で操る主犯であり、十五年前に自殺した桜工事部長の息子ではないのか!
私は青白い光を放つモニターへ歩み寄り、その向こう側からこちらを見下ろしているであろう『見えない悪魔』へ、血を吐くような声で怒鳴りつけた。
「お前……情報屋の『カラス』なのかッ!! ずっと俺を利用していたのか!!」
