前線の消防隊員の絶叫が、騒然としていた現場の空気を一変させた。
私は弾かれたように首を巡らせた。
もうもうと吹き出す黒煙を掻き分け、崩れかけた非常口の奥から、一人の大柄な男が姿を現した。
全身の制服は焼け焦げ、顔は煤と血で黒く汚れている。
だが、その太く逞しい両腕には、意識を失った小さな子供がしっかりと抱きかかえられていた。
さらに、その背後からは、彼に庇われるようにして、恐怖に震える母親と子供と他数名の人たちが、涙を流しながら歩いてきた。
「親父……ッ!!」
あの絶望的な四十階の業火の中から、修造は自らの命を削り、見ず知らずの市民たちを連れて生還したのだ。
「早く! 毛布と酸素を!」
救護隊員たちが一斉に駆け寄った。
修造は抱えていた子供をそっと引き渡し、母親が泣き崩れながら縋りついてくると、不器用ながらも優しい手つきで、その頭を撫でた。
「……親父! 親父ッ!!」
私はストレッチャーから転げ落ちそうになりながら、血塗れの右脚を引きずるようにして叫んだ。
私の声へ気づいた修造が、ゆっくりこちらを振り向く。
その目はひどく充血し、息をするたびに胸の奥からヒューヒューという異音が漏れていた。
だが、私と日下部が無事だと分かった瞬間、親父は、不器用で温かい『ニカッ』とした笑顔を見せた。
「……よかった、ジョウ……」
泥臭い正義を、最後まで見事に貫き通した。
そう言わんばかりの、誇り高い笑顔だった。
だが、次の瞬間。
修造の巨体が、何の前触れもなくアスファルトへ崩れ落ちた。
「親父ッ!?」
「急げ! 心肺停止だ! AEDを持て!!」
救急隊員たちが一斉に修造へ群がり、必死の心臓マッサージが始まった。
炎の中で市民の盾となり続けた修造の肺は、すでに致死量を遥かに超える一酸化炭素を吸い込んでいた。
最後の気力だけを振り絞って人々を外へ連れ出し、私の顔を見て安心した瞬間、限界を超えていた生命の糸が切れてしまったのだ。
「やめろ……嘘だろ、親父……目を開けてくれよ!!」
私は血みどろになりながら這い寄り、必死に手を伸ばした。
だが、救急隊による懸命な蘇生も虚しく、修造が再び目を開くことはなかった。
「……ああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
私の慟哭が、空へ虚しく吸い込まれていった。
* * *
処置用テントの傍ら。
親父の亡骸には毛布が掛けられ、私はその横で、絶望の底へ沈み込んでいた。
その時だった。
「――ふざけるなッ!! 警察の警備体制はどうなっているんだ!!」
喧騒の向こう側、マスコミやSPに何重にも囲まれた『VIP専用テント』から、ヒステリックな怒声が響いてきた。
大鳥官房長官だった。
彼には傷一つない。
冷たいミネラルウォーターを片手にパイプ椅子へふんぞり返り、周囲の警察幹部たちへ当たり散らしていた。
「長官、申し訳ありません! まさか内部にテロリストが……」
「言い訳など聞きたくない! だいたい、あの控室へ踏み込んできた老いぼれの刑事……なんだ?」
『老いぼれ』という言葉を聞いた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
「あの男は、私を安全な場所へ逃すこともせず、勝手に炎の中へ戻っていきおった! 挙げ句の果てに犬死にとはな! 護衛として完全に失格だ! あんな無能な老いぼれのせいで、私の命が危険に晒されたんだぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが決定的に切れた。
綾瀬に殺されかけていたことさえ理解せず、己の保身だけを喚き散らす外道。
自らの命を削り、見ず知らずの市民を守り抜いた『真の警察官』の最期を、この男は今、『無能な犬死に』と嘲笑ったのだ。
私は松葉杖を掴み、無意識のうちに立ち上がっていた。
鎮痛剤によって鈍っていたはずの右脚の激痛さえ、凄まじい怒りの前では感じなくなっていた。
「おい、君! まだ動いちゃ駄目だ!」
医師の制止を振り切り、私は大鳥のいるテントへ向かって歩き出した。
ずたずたに傷ついた右脚を引きずりながら、ただひたすら、大鳥の醜悪な顔だけを見据えて進んだ。
「……貴様か! 下がれ、ここは貴様のような奴が入れる身分じゃない!」
郷田や他の警察達が気づく。
「真下か! おい、目がいかれてるぞ! 止めろ!」
SPたちが立ちはだかった。
だが、今の私から放たれている常軌を逸した殺気に気圧されたのか、彼らは一瞬だけ動きを止めた。
その隙に、私は松葉杖を投げ捨てた。
血の滲む右脚を強く踏み込み、大鳥の目の前へ立った。
「な、なんだ……! 私に何の用だ!」
私は何も答えなかった。
言葉など、この腐りきった外道には一文字たりとも勿体なかった。
左手で大鳥の胸ぐらを掴み上げる。
全身を捻る。
そして、怒りに任せてのすべてを右の拳へ乗せ、大鳥の顔面へ全力で叩き込んだ。
ドゴォォォォォォンッ!!!!!
凄まじい衝撃音と共に、大鳥の巨体が宙を舞った。
パイプ椅子を薙ぎ倒し、無様に吹き飛んでいく。
「ぎゃあああああああッ!!!」
大鳥が悲鳴を上げた。
「取り押さえろ! 早く!!」
数人のSPが一斉に私へ飛びかかり、アスファルトへ乱暴に押さえつけた。
日下部が、SPに血相を変えて言う。
「やめてください! その人は怪我人ですよ!」
と身体を張って制止しようとしたが、多勢に無勢だった。
「離せッ! 離せぇぇぇッ!!」
私は地面へ顔を擦りつけられながらも、血走った目で大鳥を睨みつけ、獣のように吠えた。
「てめえらみたいな外道どもが、親父を殺したんだ!! てめえら全員、俺が地獄へ引きずり下ろしてやるッ!!」
「傷害罪で即刻逮捕しろぉ!!」
郷田の怒号が響く中、私の両腕へ冷たい手錠が掛けられた。
意識が急速に遠のいていく。
最後に目へ映ったのは、赤黒い炎を上げながら燃え続ける、四十階の鋼鉄の要塞だった。
(……親父……)
権力という名の絶対的な暴力の前で、俺たちはただ踏み潰されるだけの存在なのか。
行き場のない怒りと絶望を抱えたまま、私は深い意識の底へ沈んでいった。
* * *
私は弾かれたように首を巡らせた。
もうもうと吹き出す黒煙を掻き分け、崩れかけた非常口の奥から、一人の大柄な男が姿を現した。
全身の制服は焼け焦げ、顔は煤と血で黒く汚れている。
だが、その太く逞しい両腕には、意識を失った小さな子供がしっかりと抱きかかえられていた。
さらに、その背後からは、彼に庇われるようにして、恐怖に震える母親と子供と他数名の人たちが、涙を流しながら歩いてきた。
「親父……ッ!!」
あの絶望的な四十階の業火の中から、修造は自らの命を削り、見ず知らずの市民たちを連れて生還したのだ。
「早く! 毛布と酸素を!」
救護隊員たちが一斉に駆け寄った。
修造は抱えていた子供をそっと引き渡し、母親が泣き崩れながら縋りついてくると、不器用ながらも優しい手つきで、その頭を撫でた。
「……親父! 親父ッ!!」
私はストレッチャーから転げ落ちそうになりながら、血塗れの右脚を引きずるようにして叫んだ。
私の声へ気づいた修造が、ゆっくりこちらを振り向く。
その目はひどく充血し、息をするたびに胸の奥からヒューヒューという異音が漏れていた。
だが、私と日下部が無事だと分かった瞬間、親父は、不器用で温かい『ニカッ』とした笑顔を見せた。
「……よかった、ジョウ……」
泥臭い正義を、最後まで見事に貫き通した。
そう言わんばかりの、誇り高い笑顔だった。
だが、次の瞬間。
修造の巨体が、何の前触れもなくアスファルトへ崩れ落ちた。
「親父ッ!?」
「急げ! 心肺停止だ! AEDを持て!!」
救急隊員たちが一斉に修造へ群がり、必死の心臓マッサージが始まった。
炎の中で市民の盾となり続けた修造の肺は、すでに致死量を遥かに超える一酸化炭素を吸い込んでいた。
最後の気力だけを振り絞って人々を外へ連れ出し、私の顔を見て安心した瞬間、限界を超えていた生命の糸が切れてしまったのだ。
「やめろ……嘘だろ、親父……目を開けてくれよ!!」
私は血みどろになりながら這い寄り、必死に手を伸ばした。
だが、救急隊による懸命な蘇生も虚しく、修造が再び目を開くことはなかった。
「……ああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
私の慟哭が、空へ虚しく吸い込まれていった。
* * *
処置用テントの傍ら。
親父の亡骸には毛布が掛けられ、私はその横で、絶望の底へ沈み込んでいた。
その時だった。
「――ふざけるなッ!! 警察の警備体制はどうなっているんだ!!」
喧騒の向こう側、マスコミやSPに何重にも囲まれた『VIP専用テント』から、ヒステリックな怒声が響いてきた。
大鳥官房長官だった。
彼には傷一つない。
冷たいミネラルウォーターを片手にパイプ椅子へふんぞり返り、周囲の警察幹部たちへ当たり散らしていた。
「長官、申し訳ありません! まさか内部にテロリストが……」
「言い訳など聞きたくない! だいたい、あの控室へ踏み込んできた老いぼれの刑事……なんだ?」
『老いぼれ』という言葉を聞いた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
「あの男は、私を安全な場所へ逃すこともせず、勝手に炎の中へ戻っていきおった! 挙げ句の果てに犬死にとはな! 護衛として完全に失格だ! あんな無能な老いぼれのせいで、私の命が危険に晒されたんだぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが決定的に切れた。
綾瀬に殺されかけていたことさえ理解せず、己の保身だけを喚き散らす外道。
自らの命を削り、見ず知らずの市民を守り抜いた『真の警察官』の最期を、この男は今、『無能な犬死に』と嘲笑ったのだ。
私は松葉杖を掴み、無意識のうちに立ち上がっていた。
鎮痛剤によって鈍っていたはずの右脚の激痛さえ、凄まじい怒りの前では感じなくなっていた。
「おい、君! まだ動いちゃ駄目だ!」
医師の制止を振り切り、私は大鳥のいるテントへ向かって歩き出した。
ずたずたに傷ついた右脚を引きずりながら、ただひたすら、大鳥の醜悪な顔だけを見据えて進んだ。
「……貴様か! 下がれ、ここは貴様のような奴が入れる身分じゃない!」
郷田や他の警察達が気づく。
「真下か! おい、目がいかれてるぞ! 止めろ!」
SPたちが立ちはだかった。
だが、今の私から放たれている常軌を逸した殺気に気圧されたのか、彼らは一瞬だけ動きを止めた。
その隙に、私は松葉杖を投げ捨てた。
血の滲む右脚を強く踏み込み、大鳥の目の前へ立った。
「な、なんだ……! 私に何の用だ!」
私は何も答えなかった。
言葉など、この腐りきった外道には一文字たりとも勿体なかった。
左手で大鳥の胸ぐらを掴み上げる。
全身を捻る。
そして、怒りに任せてのすべてを右の拳へ乗せ、大鳥の顔面へ全力で叩き込んだ。
ドゴォォォォォォンッ!!!!!
凄まじい衝撃音と共に、大鳥の巨体が宙を舞った。
パイプ椅子を薙ぎ倒し、無様に吹き飛んでいく。
「ぎゃあああああああッ!!!」
大鳥が悲鳴を上げた。
「取り押さえろ! 早く!!」
数人のSPが一斉に私へ飛びかかり、アスファルトへ乱暴に押さえつけた。
日下部が、SPに血相を変えて言う。
「やめてください! その人は怪我人ですよ!」
と身体を張って制止しようとしたが、多勢に無勢だった。
「離せッ! 離せぇぇぇッ!!」
私は地面へ顔を擦りつけられながらも、血走った目で大鳥を睨みつけ、獣のように吠えた。
「てめえらみたいな外道どもが、親父を殺したんだ!! てめえら全員、俺が地獄へ引きずり下ろしてやるッ!!」
「傷害罪で即刻逮捕しろぉ!!」
郷田の怒号が響く中、私の両腕へ冷たい手錠が掛けられた。
意識が急速に遠のいていく。
最後に目へ映ったのは、赤黒い炎を上げながら燃え続ける、四十階の鋼鉄の要塞だった。
(……親父……)
権力という名の絶対的な暴力の前で、俺たちはただ踏み潰されるだけの存在なのか。
行き場のない怒りと絶望を抱えたまま、私は深い意識の底へ沈んでいった。
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