修造が血相を変えて這い寄り、瓦礫を持ち上げようと太い腕へ青筋を浮かべた。
だが、何トンもの重量を持つ鉄骨はびくともしない。
私も激痛に耐えながら顔を上げ、血塗れの右脚を引きずって綾瀬のそばへ這い寄った。
「綾瀬管理官、どうしてなんですか? あなたみたいな人が、こんなことして?」
私が血を吐くような声で問いかけると、綾瀬はゆっくりと首を動かした。
その顔から、十年間張りついていた狂気の仮面が完全に剥がれ落ちていた。そこにあったのは、復讐鬼の顔ではない。ただひどく悲しげで、申し訳なさそうな目を私へ向ける、一人の痛ましい男の素顔だった。
「……すまない、真下。あの連続爆弾魔と繋がっていた『内通者』は……私なんだ」
「な……」
修造の顔に緊張が走った。
警察上層部の機密情報へのアクセス。特捜本部による包囲網の事前察知。
本庁の中枢にいる綾瀬が裏から糸を引いていたからこそ、犯人は常に警察の一歩先を進むことができたのだ。
「あのテロ計画の主犯は……十五年前、天楽建設の汚職で使い捨てにされ、自殺へ追い込まれた桜工事部長の息子だ。彼もまた、私と同じようにこの国の腐敗によって家族を奪われ、復讐のシステムを組み上げた」
綾瀬は荒い呼吸を繰り返しながら、静かに語った。
「これは、桜の息子と私……そんな一人や二人の私怨だけで動いている話ではないのだ…」
地獄の底から響くような、重く、悲痛な声だった。
「この国が繁栄し、特権階級が甘い汁を吸ってきた陰で、どれほど多くの人間が踏みにじられてきたと思う? 権力者の保身のために、人生を狂わされ、理不尽に家族を殺された者たち。……この組織はな、真下。そんな暗闇の中で血の涙を流してきた、無数の被害者たちの『巨大な怒りの集合体』なのだ」
そこまで語ると、綾瀬は限界の近づく目で、私を真っ直ぐに見据えた。
それは、後輩刑事へ何かを試すような、究極の問いだった。
「……だがな、真下。お前が、……本当の真実を知った時。……お前は、どちらの道を選ぶのだろうな……」
「本当の、真実……?」
私が呆然と呟くと、綾瀬はそれ以上は答えず、ゆっくりと傍らの修造へ視線を向けた。
「……修造、さん……怪我は、ないですか……」
修造はすぐには答えることができず、ただ悔しさに顔を歪め、大粒の涙をぼろぼろと零した。
「……私の魂は、泥水に……沈まなくて、済みましたか……?」
修造は無理に口角を上げ、不器用な泣き笑いを作った。
「ああ……ギリギリだ」
そう言って、綾瀬の血まみれの手を両手で強く包み込んだ。 決して取り繕うことのできない修造らしい言葉に、綾瀬の口元へ、ふっと穏やかな、それでいてどこか懐かしい笑みが浮かんだ。
「……相変わらず、厳しいな……」
かつて修造の背中を追い、刑事としての誇りを胸に生きていた、一人の部下の顔だった。 やがて、少しずつ光を失っていく綾瀬の瞳が、再び私へ向けられた。
「……真下ジョウ。久我の闇を……暴け。この国の、特等席を……終わらせてくれ……」
その言葉を最後に、綾瀬の首が力なく横へ傾いた。修造の腕を掴んでいた手からもゆっくりと力が抜け、そのまま床へ落ちる。
綾瀬の瞳から、完全に光が消えた。
「綾瀬ぇぇぇぇぇッ!!!!」
修造の魂を切り裂くような慟哭が、崩壊していく密室に虚しく木霊した。
真実を知った時、俺はどちらの道を選ぶのか。
綾瀬の遺した不吉な謎が、冷たい楔となって私の胸に深く突き刺さっていた。
しかし、悲しみに暮れる時間を世界は与えてくれなかった。
フロアの外から、ゴオオオオッという不気味な火炎の唸り声と、逃げ惑う人々の絶叫が、黒煙と共に部屋の中へ容赦なく雪崩れ込んできたのだ。
「……親父、行くぞ! ここもすぐに崩れ落ちる! とにかく外のホールへ出て、避難ルートを探すんだ!」
私が血を吐くような思いで叫ぶと、修造は綾瀬の亡骸へ一度だけ深く頷いた。そして、その目に宿っていた悲しみを凄まじい怒りの炎へ変えると、部屋の隅でがたがたと震えている大鳥官房長官の胸ぐらを荒々しく掴み上げた。
「ひぃぃッ! た、助けろ! 私は官房長官だぞ! お前は警察官だろう、私を最優先で守れ!」
「勘違いするな。お前の肩書きなんざ、今のこの地獄じゃクソの役にも立たねえ!」
修造は血走った獣のような目で睨みつけ、地を這うような怒声を浴びせた。
「てめえの保身と嘘が、綾瀬から愛する娘を奪い、あいつを怪物に変えちまったんだ! ……だがな、俺たちは、デカだ。てめえみたいな外道でも、見殺しにはしねえ。その代わり、綾瀬の無念は、てめえのその薄汚い命で一生涯背負って、生きて償え! 立て! 命が惜しけりゃ走れ!!」
修造の怒号に気圧され、大鳥は腰を抜かしたまま泣き叫びながら何度も頷いた。
私たちは崩れゆく控室を飛び出し、再び展望ホールへ戻った。
ホールはすでに、この世のものとは思えない地獄絵図と化していた。綾瀬がパニックを起こすために仕掛けた爆発によって至る所で火の手が上がり、凄まじい黒煙と熱気がフロア全体を支配している。
銃を持たされていた民衆たちは、すでにSPや機動隊によって床へ押さえつけられ、取り押さえられていた。
しかし、エレベーターは完全に破壊され、三百人の市民やSPたちに残された退路は、バックヤードの奥に設けられた『手動式・緊急防爆隔壁』の向こう側――コンクリート造りの非常階段へ殺到するしかなかった。
そこに統制など存在せず、ただ死の恐怖に追い立てられた群衆が、一つの巨大な奔流となって出口を目指していた。
「ジョウ、俺たちも続くぞ!」
だが、何トンもの重量を持つ鉄骨はびくともしない。
私も激痛に耐えながら顔を上げ、血塗れの右脚を引きずって綾瀬のそばへ這い寄った。
「綾瀬管理官、どうしてなんですか? あなたみたいな人が、こんなことして?」
私が血を吐くような声で問いかけると、綾瀬はゆっくりと首を動かした。
その顔から、十年間張りついていた狂気の仮面が完全に剥がれ落ちていた。そこにあったのは、復讐鬼の顔ではない。ただひどく悲しげで、申し訳なさそうな目を私へ向ける、一人の痛ましい男の素顔だった。
「……すまない、真下。あの連続爆弾魔と繋がっていた『内通者』は……私なんだ」
「な……」
修造の顔に緊張が走った。
警察上層部の機密情報へのアクセス。特捜本部による包囲網の事前察知。
本庁の中枢にいる綾瀬が裏から糸を引いていたからこそ、犯人は常に警察の一歩先を進むことができたのだ。
「あのテロ計画の主犯は……十五年前、天楽建設の汚職で使い捨てにされ、自殺へ追い込まれた桜工事部長の息子だ。彼もまた、私と同じようにこの国の腐敗によって家族を奪われ、復讐のシステムを組み上げた」
綾瀬は荒い呼吸を繰り返しながら、静かに語った。
「これは、桜の息子と私……そんな一人や二人の私怨だけで動いている話ではないのだ…」
地獄の底から響くような、重く、悲痛な声だった。
「この国が繁栄し、特権階級が甘い汁を吸ってきた陰で、どれほど多くの人間が踏みにじられてきたと思う? 権力者の保身のために、人生を狂わされ、理不尽に家族を殺された者たち。……この組織はな、真下。そんな暗闇の中で血の涙を流してきた、無数の被害者たちの『巨大な怒りの集合体』なのだ」
そこまで語ると、綾瀬は限界の近づく目で、私を真っ直ぐに見据えた。
それは、後輩刑事へ何かを試すような、究極の問いだった。
「……だがな、真下。お前が、……本当の真実を知った時。……お前は、どちらの道を選ぶのだろうな……」
「本当の、真実……?」
私が呆然と呟くと、綾瀬はそれ以上は答えず、ゆっくりと傍らの修造へ視線を向けた。
「……修造、さん……怪我は、ないですか……」
修造はすぐには答えることができず、ただ悔しさに顔を歪め、大粒の涙をぼろぼろと零した。
「……私の魂は、泥水に……沈まなくて、済みましたか……?」
修造は無理に口角を上げ、不器用な泣き笑いを作った。
「ああ……ギリギリだ」
そう言って、綾瀬の血まみれの手を両手で強く包み込んだ。 決して取り繕うことのできない修造らしい言葉に、綾瀬の口元へ、ふっと穏やかな、それでいてどこか懐かしい笑みが浮かんだ。
「……相変わらず、厳しいな……」
かつて修造の背中を追い、刑事としての誇りを胸に生きていた、一人の部下の顔だった。 やがて、少しずつ光を失っていく綾瀬の瞳が、再び私へ向けられた。
「……真下ジョウ。久我の闇を……暴け。この国の、特等席を……終わらせてくれ……」
その言葉を最後に、綾瀬の首が力なく横へ傾いた。修造の腕を掴んでいた手からもゆっくりと力が抜け、そのまま床へ落ちる。
綾瀬の瞳から、完全に光が消えた。
「綾瀬ぇぇぇぇぇッ!!!!」
修造の魂を切り裂くような慟哭が、崩壊していく密室に虚しく木霊した。
真実を知った時、俺はどちらの道を選ぶのか。
綾瀬の遺した不吉な謎が、冷たい楔となって私の胸に深く突き刺さっていた。
しかし、悲しみに暮れる時間を世界は与えてくれなかった。
フロアの外から、ゴオオオオッという不気味な火炎の唸り声と、逃げ惑う人々の絶叫が、黒煙と共に部屋の中へ容赦なく雪崩れ込んできたのだ。
「……親父、行くぞ! ここもすぐに崩れ落ちる! とにかく外のホールへ出て、避難ルートを探すんだ!」
私が血を吐くような思いで叫ぶと、修造は綾瀬の亡骸へ一度だけ深く頷いた。そして、その目に宿っていた悲しみを凄まじい怒りの炎へ変えると、部屋の隅でがたがたと震えている大鳥官房長官の胸ぐらを荒々しく掴み上げた。
「ひぃぃッ! た、助けろ! 私は官房長官だぞ! お前は警察官だろう、私を最優先で守れ!」
「勘違いするな。お前の肩書きなんざ、今のこの地獄じゃクソの役にも立たねえ!」
修造は血走った獣のような目で睨みつけ、地を這うような怒声を浴びせた。
「てめえの保身と嘘が、綾瀬から愛する娘を奪い、あいつを怪物に変えちまったんだ! ……だがな、俺たちは、デカだ。てめえみたいな外道でも、見殺しにはしねえ。その代わり、綾瀬の無念は、てめえのその薄汚い命で一生涯背負って、生きて償え! 立て! 命が惜しけりゃ走れ!!」
修造の怒号に気圧され、大鳥は腰を抜かしたまま泣き叫びながら何度も頷いた。
私たちは崩れゆく控室を飛び出し、再び展望ホールへ戻った。
ホールはすでに、この世のものとは思えない地獄絵図と化していた。綾瀬がパニックを起こすために仕掛けた爆発によって至る所で火の手が上がり、凄まじい黒煙と熱気がフロア全体を支配している。
銃を持たされていた民衆たちは、すでにSPや機動隊によって床へ押さえつけられ、取り押さえられていた。
しかし、エレベーターは完全に破壊され、三百人の市民やSPたちに残された退路は、バックヤードの奥に設けられた『手動式・緊急防爆隔壁』の向こう側――コンクリート造りの非常階段へ殺到するしかなかった。
そこに統制など存在せず、ただ死の恐怖に追い立てられた群衆が、一つの巨大な奔流となって出口を目指していた。
「ジョウ、俺たちも続くぞ!」
