* * *
午前十時五十分。
地上四十階、巨大な吹き抜け構造を持つ『展望レセプションホール』。
そこには、外界で連続テロが続いていることさえ別世界の出来事であるかのような、華やかで異様な熱気が満ちていた。
久我派閥の重鎮議員、政府高官、スポンサー企業の重役など、およそ五十名の『特等席の住人たち』が、下世話な笑い声を上げながら談笑している。
その周囲には、安全性をアピールする目的で全国から集められた『一般モニター』の市民がおよそ二百名。
さらに、全国ネットで視察会を中継するために集まったマスコミ関係者が三十名ほど、大型カメラを抱えて慌ただしく動き回っていた。
総勢三百名を超える人間が、この空中の要塞へ集結していた。
スーツの下は、極度の緊張によって汗ばんでいる。
その時、視界の端を、ケータリング台を片付けている一人の清掃スタッフが横切った。
帽子を目深に被り、無精髭を生やした男だった。
男は私とすれ違いざま、ほんの一瞬だけこちらを見た。
(……なんだ、あの男は?)
訝しんで目を細め、私はとっさにその背中を追おうと片足を踏み出した。刑事としての本能が、あの男の目つきにただならぬ異常を感知していたのだ。
だが、その瞬間だった。
「おい、真下くん。どこへ行くつもりだ。私のそばから離れるなと言ったはずだぞ」
背後から、久我の冷たく不機嫌な声が飛んできた。
「……しかし、幹事長。今の清掃員、少し様子が――」
「下らない妄想で持ち場を離れるな。お前の仕事は私の盾になることだ。……さあ、間もなく大鳥の演説が始まる。こっちへ来たまえ」
久我の絶対的な命令に、私は奥歯を噛み締め、踏み出した足を止めるしかなかった。
再び視線を戻した時には、男はすでに足早に従業員用バックヤードへ向かい、群衆の中へ紛れるように姿を消していた。
午前十一時。
定刻通り、マスコミのカメラから一斉にフラッシュが焚かれた。
ホール中央へ設けられた演壇に、大鳥官房長官が満面の笑みを浮かべながら登壇したのだ。
その背後には、権力者のためだけに用意された、一際豪奢な革張りの『特等席――VIPチェア』が鎮座していた。
「――国民の皆様。本日は、この『ネオ・トウキョウ・セキュリティタワー』のプレオープンにお集まりいただき、誠にありがとうございます」
大鳥のよく通る声が、マイクを通じてホール全体へ響き渡った。
三百人の視線が、一斉に演壇へ集中する。
「現在、我が国は卑劣なテロリストによる前代未聞の脅威に晒されています。しかし! 我々政府は、決して暴力には屈しません!」
大鳥は力強く拳を握った。
「皆様が今立っているこのビルこそが、最新鋭のシステムと堅牢なセキュリティによって守られた、我が国の『不屈の象徴』なのであります!」
議員たちから、わざとらしいほど大きな拍手が湧き上がった。
郷田も、テレビカメラに映る位置で大げさに拍手している。
一方、綾瀬はホールの隅で壁に背を預け、無表情のまま大鳥の背中を見つめていた。
「この鋼鉄の要塞には、いかなる悪意も届きません! 私はここに、国家の絶対的な安全を宣言します!」
大鳥が両腕を大きく広げ、演説のクライマックスを叫んだ。
ホール全体が万雷の拍手に包まれる。
大鳥は満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと後ろを振り返った。
その背後にある豪奢な『特等席』は、海堂議員の爆死事件を受けて、直前にもSPと爆発物処理班によって座面の裏からクッションの内部に至るまで、徹底的な爆発物検査が行われていた。
傍らに控えるSPが「クリア(異常なし)」と小さく頷くのを確認すると、大鳥は自身の安全が完璧に保証されているという醜悪な優越感を顔に張りつかせ、一切の不安を見せることなく、その椅子へ深く腰を下ろした。
その直後だった。
パンッ! パンパンッ!!!
爆発音ではない。
乾いた、耳を劈くような破裂音。
銃声だった。
「きゃああああッ!」
「うわぁぁぁ! 誰か撃たれたぞ!」
三百人の群衆の中から悲鳴が爆発した。
私は弾かれたように拳銃を抜き、久我の前へ立ちはだかった。
「幹事長! 伏せてください!」
パニックに陥り、逃げ惑う市民たちの中に、黒い拳銃を構えている数人の男たちが見えた。
だが、その動きには違和感があった。
プロのテロリストでも、訓練された暗殺者でもない。
銃を持つ手はがたがたと震え、顔は恐怖と絶望で歪み、中には涙を流しながら、
「撃ちたくない!」
「許してくれ!」
そう泣き叫びながら、闇雲に引き金を引いている者さえいた。
(なんだ……!? あれはただの素人だ! なぜ、あんな連中が銃を持っている!?)
弾丸が天井のシャンデリアを砕き、細かなガラス片が雨のように降り注いだ。
怒号と悲鳴が入り乱れる阿鼻叫喚の中、会場の警備に当たっていたSPや機動隊員たちが一斉に動いた。
「対象を確保しろ! 銃を奪え!」
「議員の方々を伏せさせろ! 人間の盾を作れ!」
銃を乱射する素人の民衆たちへ、複数人の警察官が肉弾戦で飛びかかり、次々と床へねじ伏せていく。
同時に、他のSPたちは会場内に多数いる政府高官や他の有力議員たちへ覆い被さり、それぞれが担当する要人を最優先で守るために完全に戦力が分散してしまった。
三百人が逃げ惑い、警備の陣形が崩壊する極限のパニック。
その混乱の渦中で、一人だけ異様なほど冷静に動いている男がいた。
綾瀬管理官だった。
「大鳥長官! 危険です! 早くこちらへ!!」
綾瀬は暴徒と化した市民たちと、制圧に追われるSPたちの間をすり抜けた。護衛が手薄になり孤立しかけていた大鳥のそばへ真っ直ぐに近づくと、腰を抜かしかけている大鳥の腕を力強く掴み上げた。
ドドォォォォンッ!!
直後、ホールの出入口付近――脱出ルートであるエレベーターホールで凄まじい爆発が起こり、一気に激しい火の手が上がった。
午前十時五十分。
地上四十階、巨大な吹き抜け構造を持つ『展望レセプションホール』。
そこには、外界で連続テロが続いていることさえ別世界の出来事であるかのような、華やかで異様な熱気が満ちていた。
久我派閥の重鎮議員、政府高官、スポンサー企業の重役など、およそ五十名の『特等席の住人たち』が、下世話な笑い声を上げながら談笑している。
その周囲には、安全性をアピールする目的で全国から集められた『一般モニター』の市民がおよそ二百名。
さらに、全国ネットで視察会を中継するために集まったマスコミ関係者が三十名ほど、大型カメラを抱えて慌ただしく動き回っていた。
総勢三百名を超える人間が、この空中の要塞へ集結していた。
スーツの下は、極度の緊張によって汗ばんでいる。
その時、視界の端を、ケータリング台を片付けている一人の清掃スタッフが横切った。
帽子を目深に被り、無精髭を生やした男だった。
男は私とすれ違いざま、ほんの一瞬だけこちらを見た。
(……なんだ、あの男は?)
訝しんで目を細め、私はとっさにその背中を追おうと片足を踏み出した。刑事としての本能が、あの男の目つきにただならぬ異常を感知していたのだ。
だが、その瞬間だった。
「おい、真下くん。どこへ行くつもりだ。私のそばから離れるなと言ったはずだぞ」
背後から、久我の冷たく不機嫌な声が飛んできた。
「……しかし、幹事長。今の清掃員、少し様子が――」
「下らない妄想で持ち場を離れるな。お前の仕事は私の盾になることだ。……さあ、間もなく大鳥の演説が始まる。こっちへ来たまえ」
久我の絶対的な命令に、私は奥歯を噛み締め、踏み出した足を止めるしかなかった。
再び視線を戻した時には、男はすでに足早に従業員用バックヤードへ向かい、群衆の中へ紛れるように姿を消していた。
午前十一時。
定刻通り、マスコミのカメラから一斉にフラッシュが焚かれた。
ホール中央へ設けられた演壇に、大鳥官房長官が満面の笑みを浮かべながら登壇したのだ。
その背後には、権力者のためだけに用意された、一際豪奢な革張りの『特等席――VIPチェア』が鎮座していた。
「――国民の皆様。本日は、この『ネオ・トウキョウ・セキュリティタワー』のプレオープンにお集まりいただき、誠にありがとうございます」
大鳥のよく通る声が、マイクを通じてホール全体へ響き渡った。
三百人の視線が、一斉に演壇へ集中する。
「現在、我が国は卑劣なテロリストによる前代未聞の脅威に晒されています。しかし! 我々政府は、決して暴力には屈しません!」
大鳥は力強く拳を握った。
「皆様が今立っているこのビルこそが、最新鋭のシステムと堅牢なセキュリティによって守られた、我が国の『不屈の象徴』なのであります!」
議員たちから、わざとらしいほど大きな拍手が湧き上がった。
郷田も、テレビカメラに映る位置で大げさに拍手している。
一方、綾瀬はホールの隅で壁に背を預け、無表情のまま大鳥の背中を見つめていた。
「この鋼鉄の要塞には、いかなる悪意も届きません! 私はここに、国家の絶対的な安全を宣言します!」
大鳥が両腕を大きく広げ、演説のクライマックスを叫んだ。
ホール全体が万雷の拍手に包まれる。
大鳥は満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと後ろを振り返った。
その背後にある豪奢な『特等席』は、海堂議員の爆死事件を受けて、直前にもSPと爆発物処理班によって座面の裏からクッションの内部に至るまで、徹底的な爆発物検査が行われていた。
傍らに控えるSPが「クリア(異常なし)」と小さく頷くのを確認すると、大鳥は自身の安全が完璧に保証されているという醜悪な優越感を顔に張りつかせ、一切の不安を見せることなく、その椅子へ深く腰を下ろした。
その直後だった。
パンッ! パンパンッ!!!
爆発音ではない。
乾いた、耳を劈くような破裂音。
銃声だった。
「きゃああああッ!」
「うわぁぁぁ! 誰か撃たれたぞ!」
三百人の群衆の中から悲鳴が爆発した。
私は弾かれたように拳銃を抜き、久我の前へ立ちはだかった。
「幹事長! 伏せてください!」
パニックに陥り、逃げ惑う市民たちの中に、黒い拳銃を構えている数人の男たちが見えた。
だが、その動きには違和感があった。
プロのテロリストでも、訓練された暗殺者でもない。
銃を持つ手はがたがたと震え、顔は恐怖と絶望で歪み、中には涙を流しながら、
「撃ちたくない!」
「許してくれ!」
そう泣き叫びながら、闇雲に引き金を引いている者さえいた。
(なんだ……!? あれはただの素人だ! なぜ、あんな連中が銃を持っている!?)
弾丸が天井のシャンデリアを砕き、細かなガラス片が雨のように降り注いだ。
怒号と悲鳴が入り乱れる阿鼻叫喚の中、会場の警備に当たっていたSPや機動隊員たちが一斉に動いた。
「対象を確保しろ! 銃を奪え!」
「議員の方々を伏せさせろ! 人間の盾を作れ!」
銃を乱射する素人の民衆たちへ、複数人の警察官が肉弾戦で飛びかかり、次々と床へねじ伏せていく。
同時に、他のSPたちは会場内に多数いる政府高官や他の有力議員たちへ覆い被さり、それぞれが担当する要人を最優先で守るために完全に戦力が分散してしまった。
三百人が逃げ惑い、警備の陣形が崩壊する極限のパニック。
その混乱の渦中で、一人だけ異様なほど冷静に動いている男がいた。
綾瀬管理官だった。
「大鳥長官! 危険です! 早くこちらへ!!」
綾瀬は暴徒と化した市民たちと、制圧に追われるSPたちの間をすり抜けた。護衛が手薄になり孤立しかけていた大鳥のそばへ真っ直ぐに近づくと、腰を抜かしかけている大鳥の腕を力強く掴み上げた。
ドドォォォォンッ!!
直後、ホールの出入口付近――脱出ルートであるエレベーターホールで凄まじい爆発が起こり、一気に激しい火の手が上がった。
