突き抜けるような青空が広がり、容赦のない日差しがアスファルトを白く照りつける午前十時。 海堂議員の爆死から、二週間が経過していた。
東京の街は、首を絞められたまま痙攣を続ける巨大な獣のように、重苦しい恐怖と疑心暗鬼の毒霧へ沈んでいた。 姿なきテロリストは、『十三万人の大衆』を共犯者として支配している。
いつ、隣にいる人間が起爆ボタンを押すか分からない。 あの日、海堂の第一秘書が、長年仕えてきた主を己の保身のために躊躇なく吹き飛ばし、その直後に狂ったような笑い声を上げた光景が、今も私の脳裏に焼きついて離れなかった。
警察の同僚も、善良そうに見える隣人も、誰一人として無条件には信じられない。この国が長年誇ってきた治安神話は、すでに木っ端微塵に粉砕されていた。 だが、どれほど市井の人々が恐怖という泥水の中で溺れようとも、雲の上の『特等席』に座る者たちは、決して自ら王座を降りようとはしなかった。
「――見ろ、真下くん。愚民どもがどれほど怯えようと、この鋼鉄の城壁だけは決して揺るがない。これこそが、絶対的な権力の証明だ」
黒塗りのマイバッハの助手席から見上げた私の眼前に、太陽の日差しを反射しながら、天を突き刺すような巨大建造物がそびえ立っていた。
『ネオ・トウキョウ・セキュリティタワー』。
皮肉にも、この連続テロで最初期の犠牲者となった社長が率いていた『天楽建設』が、国家肝いりのプロジェクトとして数年の歳月を費やして完成させた、次世代型の巨大インテリジェント・ビルだった。
外壁はすべて防爆仕様の特殊ガラスで覆われ、エントランスには最新鋭のAI顔認証システムと、ミリ波レーダーを用いた透視探知装置が完備されている。
『テロリストの物理的侵入率0パーセント』を豪語するこの要塞は、皮肉にも天楽社長が殺されたことで、その存在意義を国家の威信そのものへと押し上げられていた。
本日、このビルで『極秘プレオープン・視察会』が強行される。 二週間前の講演会で海堂議員を爆殺された政府が、 『我々はテロには絶対に屈しない。この最新鋭のビルこそ、国家の安全の象徴である』 そう国内外へ示すための、あまりにも傲慢なデモンストレーションだった。
マイバッハが地上階のVIP専用車寄せへ滑り込むと、待機していたSPたちが一斉に動き、後部座席のドアを開けた。 久我晃一郎は、実の息子や派閥の議員を次々と爆殺された人間とは思えない涼しい顔で、悠然と車から降り立った。
「おお、久我先生。お待ちしておりましたよ」
エントランスの奥から、取り巻きの議員たちを引き連れ、一人の恰幅の良い男が歩み寄ってきた。 内閣官房長官、大鳥。
髪をオールバックに撫でつけ、高級なカシミアのスーツを着こなした大鳥は、久我に向かって鷹揚に頷いてみせた。
「まったく、忌々しいネズミ一匹のせいで、世間は随分と騒がしい。だが、我々がこうして堂々とこの要塞を視察すれば、愚民どもの不安も一掃されることでしょう」
「ええ。大鳥先生のおっしゃる通りです。我々政治家が自ら盾となり、この国の盤石さを示さなければなりませんからな」
彼らがエントランスを抜け、VIP専用の直通エレベーターへ向かう中、久我の近接護衛として付き従っていた私は、周囲の警戒のため、一度エントランス外周へ視線を向けた。
刺すような日差しの下、ビル周辺では多数の制服警官が汗だくになりながら、物々しい雑踏警備と交通規制へ当たっている。
連続テロへの対応で本庁の人間が要人警護へ割かれているため、所轄の地域課の警察官まで総動員されているのだ。
アスファルトから立ち昇る陽炎が、遠くの景色を歪ませていた。
冷房の効き始めたエントランス内部とは、まるで別世界のような過酷さだった。
その熱気の只中に、見覚えのある大きな背中があった。 義父――真下修造。
「……親父」 思わず私が小さく呟いた時、少し前を歩いていた綾瀬管理官が足を止めた。 そして、炎天下で警備へ当たる修造の方へ静かに振り返った。
「……お久しぶりです、修造さん。暑い中、ご苦労様です」
綾瀬は、かつての上司である修造へ向かって、穏やかではあるものの、どこかひどく平坦な声で挨拶した。
修造は交通整理の誘導棒を下ろし、制帽の下に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、綾瀬の顔を見返した。
「ああ……綾瀬か。お前さんも大変だな」
修造の労いに、綾瀬は静かに一礼しただけだった。
そして再び久我たちの後を追い、ビル内部のエレベーターホールへ消えていった。 強烈な日差しに焼かれながら、修造は綾瀬の消えた自動ドアを、いつまでもじっと見つめていた。
やがて一行は、直通エレベーターで地上四十階へ上がった。
壁一面に広がる分厚い特注の防弾ガラス越しに、陽光を浴びた東京のコンクリートジャングルが眼下に広がっている。
その景色を見下ろしながら、久我と大鳥は、死の恐怖などどこ吹く風とばかりに傲慢な笑みを交わしていた。
二人の手には、高級なクリスタルグラスへ注がれた冷たいシャンパンが揺れている。
下界で続く連続テロの脅威など、空調の効いたこの安全な『特等席』には届かない。二人とも、心の底からそう信じ切っている顔だった。
十五年前、天楽建設を巡る巨大汚職事件で、罪のない下請けの人間たちへすべての責任を被せ、工事部長を死へ追いやった男たち。 他人の血肉を養分にしながら生き延びることを、まるで息をするのと同じほど当然の権利だと信じている。
「――幹事長、官房長官。本日の警備体制は、我が警視庁が威信をかけて完璧に構築しております。どうか、ご安心ください!」
二人の権力者へ擦り寄るように前へ出たのは、特捜本部の郷田管理官だった。
過剰なほど揉み手をしながら媚びへつらい、冷房の効いた室内だというのに、その額には緊張と卑屈さの混じった脂汗が浮いている。
その後ろには、先ほど修造へ声を掛けた綾瀬管理官が、完璧に仕立てられたスーツに身を包み、眼鏡の奥に一切の感情を浮かべることなく、彫像のように静かに控えていた。
東京の街は、首を絞められたまま痙攣を続ける巨大な獣のように、重苦しい恐怖と疑心暗鬼の毒霧へ沈んでいた。 姿なきテロリストは、『十三万人の大衆』を共犯者として支配している。
いつ、隣にいる人間が起爆ボタンを押すか分からない。 あの日、海堂の第一秘書が、長年仕えてきた主を己の保身のために躊躇なく吹き飛ばし、その直後に狂ったような笑い声を上げた光景が、今も私の脳裏に焼きついて離れなかった。
警察の同僚も、善良そうに見える隣人も、誰一人として無条件には信じられない。この国が長年誇ってきた治安神話は、すでに木っ端微塵に粉砕されていた。 だが、どれほど市井の人々が恐怖という泥水の中で溺れようとも、雲の上の『特等席』に座る者たちは、決して自ら王座を降りようとはしなかった。
「――見ろ、真下くん。愚民どもがどれほど怯えようと、この鋼鉄の城壁だけは決して揺るがない。これこそが、絶対的な権力の証明だ」
黒塗りのマイバッハの助手席から見上げた私の眼前に、太陽の日差しを反射しながら、天を突き刺すような巨大建造物がそびえ立っていた。
『ネオ・トウキョウ・セキュリティタワー』。
皮肉にも、この連続テロで最初期の犠牲者となった社長が率いていた『天楽建設』が、国家肝いりのプロジェクトとして数年の歳月を費やして完成させた、次世代型の巨大インテリジェント・ビルだった。
外壁はすべて防爆仕様の特殊ガラスで覆われ、エントランスには最新鋭のAI顔認証システムと、ミリ波レーダーを用いた透視探知装置が完備されている。
『テロリストの物理的侵入率0パーセント』を豪語するこの要塞は、皮肉にも天楽社長が殺されたことで、その存在意義を国家の威信そのものへと押し上げられていた。
本日、このビルで『極秘プレオープン・視察会』が強行される。 二週間前の講演会で海堂議員を爆殺された政府が、 『我々はテロには絶対に屈しない。この最新鋭のビルこそ、国家の安全の象徴である』 そう国内外へ示すための、あまりにも傲慢なデモンストレーションだった。
マイバッハが地上階のVIP専用車寄せへ滑り込むと、待機していたSPたちが一斉に動き、後部座席のドアを開けた。 久我晃一郎は、実の息子や派閥の議員を次々と爆殺された人間とは思えない涼しい顔で、悠然と車から降り立った。
「おお、久我先生。お待ちしておりましたよ」
エントランスの奥から、取り巻きの議員たちを引き連れ、一人の恰幅の良い男が歩み寄ってきた。 内閣官房長官、大鳥。
髪をオールバックに撫でつけ、高級なカシミアのスーツを着こなした大鳥は、久我に向かって鷹揚に頷いてみせた。
「まったく、忌々しいネズミ一匹のせいで、世間は随分と騒がしい。だが、我々がこうして堂々とこの要塞を視察すれば、愚民どもの不安も一掃されることでしょう」
「ええ。大鳥先生のおっしゃる通りです。我々政治家が自ら盾となり、この国の盤石さを示さなければなりませんからな」
彼らがエントランスを抜け、VIP専用の直通エレベーターへ向かう中、久我の近接護衛として付き従っていた私は、周囲の警戒のため、一度エントランス外周へ視線を向けた。
刺すような日差しの下、ビル周辺では多数の制服警官が汗だくになりながら、物々しい雑踏警備と交通規制へ当たっている。
連続テロへの対応で本庁の人間が要人警護へ割かれているため、所轄の地域課の警察官まで総動員されているのだ。
アスファルトから立ち昇る陽炎が、遠くの景色を歪ませていた。
冷房の効き始めたエントランス内部とは、まるで別世界のような過酷さだった。
その熱気の只中に、見覚えのある大きな背中があった。 義父――真下修造。
「……親父」 思わず私が小さく呟いた時、少し前を歩いていた綾瀬管理官が足を止めた。 そして、炎天下で警備へ当たる修造の方へ静かに振り返った。
「……お久しぶりです、修造さん。暑い中、ご苦労様です」
綾瀬は、かつての上司である修造へ向かって、穏やかではあるものの、どこかひどく平坦な声で挨拶した。
修造は交通整理の誘導棒を下ろし、制帽の下に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、綾瀬の顔を見返した。
「ああ……綾瀬か。お前さんも大変だな」
修造の労いに、綾瀬は静かに一礼しただけだった。
そして再び久我たちの後を追い、ビル内部のエレベーターホールへ消えていった。 強烈な日差しに焼かれながら、修造は綾瀬の消えた自動ドアを、いつまでもじっと見つめていた。
やがて一行は、直通エレベーターで地上四十階へ上がった。
壁一面に広がる分厚い特注の防弾ガラス越しに、陽光を浴びた東京のコンクリートジャングルが眼下に広がっている。
その景色を見下ろしながら、久我と大鳥は、死の恐怖などどこ吹く風とばかりに傲慢な笑みを交わしていた。
二人の手には、高級なクリスタルグラスへ注がれた冷たいシャンパンが揺れている。
下界で続く連続テロの脅威など、空調の効いたこの安全な『特等席』には届かない。二人とも、心の底からそう信じ切っている顔だった。
十五年前、天楽建設を巡る巨大汚職事件で、罪のない下請けの人間たちへすべての責任を被せ、工事部長を死へ追いやった男たち。 他人の血肉を養分にしながら生き延びることを、まるで息をするのと同じほど当然の権利だと信じている。
「――幹事長、官房長官。本日の警備体制は、我が警視庁が威信をかけて完璧に構築しております。どうか、ご安心ください!」
二人の権力者へ擦り寄るように前へ出たのは、特捜本部の郷田管理官だった。
過剰なほど揉み手をしながら媚びへつらい、冷房の効いた室内だというのに、その額には緊張と卑屈さの混じった脂汗が浮いている。
その後ろには、先ほど修造へ声を掛けた綾瀬管理官が、完璧に仕立てられたスーツに身を包み、眼鏡の奥に一切の感情を浮かべることなく、彫像のように静かに控えていた。
