「……極めて異質で、狡猾な知能犯です」
私は即座に答えた。
「犯人は、必ずしも直接的な暴力だけを使っているわけではありません。軍用爆薬のような凶悪な手段も持っていますが、奴の最大の武器は、標的自身が抱えている『内なる弱点』です。数日前の佐々木副大臣の邸宅で起きた一件が、その典型でした」
私は、あの日の佐々木の惨めな姿を思い出しながら続けた。
「実際には、あの椅子へ爆弾など仕掛けられていなかった。しかし犯人は、『死の恐怖』と『大衆の狂気』という完璧なブラフを用意し、佐々木副大臣に大勢の観衆の前で無様に命乞いをさせ、過去の罪まで自白させた」
久我の表情は変わらない。
「物理的な傷は一つも負わせていないのに、政治家としての威厳と信用を地へ堕としたんです」
「……あいつは己の命惜しさに、私の派閥の顔へ泥を塗った。臆病な奴だ」
久我は吐き捨てるように言い、葉巻の灰を灰皿へ落とした。
「そして今日の堂島慎太郎の騒動も、同じ構造です」
私は続けた。
「堂島キャスターの場合、犯人が利用したのは『正義感と傲慢さ』です。数日前の爆弾騒ぎでマスコミの飢餓感を極限まで煽り、堂島が絶対に疑わないだけの『偽の信用』を、完璧なタイミングで提示した。堂島は週刊誌の記事にも乗り、自分が神にでもなったように錯覚し、裏取りという基本すら忘れた。そして最後には、自分自身の手で社会的抹殺の引き金を引いたのです」
久我は、ふっと短く息を吐いた。
「佐々木には『恐怖』を与え、堂島には『優越感』を与えた。そして、それぞれ自滅させたというわけか」
葉巻の紫煙が、久我の顔を薄く覆う。
「……相手の心理構造を完全に掌握していなければ、到底描けないシナリオだな。奴らはただ直接殺しに来るのではない。相手を疑心暗鬼に陥らせ、自ら破滅の道を選ばせる」
久我の目が鋭くなる。
「まるで、チェス盤の駒を外側から一つずつ、丁寧に盤外へ弾き出しているようにな」
私は、その言葉にはっと息を呑んだ。
チェス盤の駒。
「……幹事長。では、犯人の真の狙いは……」
「佐々木でも堂島でもない」
久我の声が、一段と低くなった。
「あんなものは、ただの『撒き餌』であり、盤上の歩兵(ポーン)や騎士(ナイト)に過ぎん」
絶対的な冷気を帯びた声が、薄暗い書斎へ沈んでいく。
「佐々木が醜態を晒し、堂島が失脚したことで、一番損害を被ったのは誰だ?」
久我は自分の胸元を指した。
「……私だよ」
背筋に冷たいものが走った。
「派閥の右腕としての佐々木の求心力は大きく傷つき、我々に有利な世論を形成してきたメディアの防波堤も崩れた。さらにこの間、私の息子、晃生が『暴食』として市民ホールで消し炭にされた」
久我の声には、息子を失った悲しみなど欠片もなかった。
「……犯人は、私という『王(キング)』を丸裸にするために、周囲の城壁を意図的に崩しに来ているのだ」
私は息を止めた。
あの偽の爆弾騒ぎも、堂島の暴露放送も。
すべては、この巨大な権力者――久我晃一郎の周囲を孤立させ、疑心暗鬼の地獄へ追い込むための、壮大な儀式に過ぎなかったのかもしれない。
これほど回りくどく、そして残酷な外堀の埋め方があるだろうか。
透明な敵は、間違いなく久我晃一郎の破滅を企て、一歩ずつ確実に距離を詰めてきている。
「十五年前……」
久我が、ふと忌々しそうに呟いた。
「佐々木が喚き散らしていた通り、奴らは十五年前の『天楽建設の汚職』の亡霊を掘り起こそうとしている」
久我の瞳に、暗い光が宿った。
「私がとうの昔に綺麗に掃除し、法というセメントで完全に蓋をしたはずの、古い墓穴をな」
その目が、猛禽類のような鋭さで私を射抜いた。
「真下くん。警察の組織力など当てにならん。お前は今日から、私の目となり耳となれ。この屋敷へ出入りするすべての人間、そして私の周囲を嗅ぎ回る薄汚いネズミを、お前自身の目でもう一度洗い直せ」
久我は葉巻を灰皿へ押しつけた。
「……この私を盤上の駒扱いし、引きずり下ろそうとする愚か者を、一匹残らず見つけ出し、私の前へ引きずり出せ」
「……承知いたしました」
私が深く頭を下げた、まさにその瞬間だった。
ブブッ、と胸ポケットに入っていた警察支給のセキュア端末が、鋭く振動した。
「……失礼」
私は久我の許可を目線で確認してから、端末を取り出した。
画面に表示されていたのは、特捜本部からの緊急連絡を示す暗号化メッセージだった。
送信元は、綾瀬管理官。
私はパスコードを入力し、メッセージを開いた。
そこに記されていた数行の文章を読んだ瞬間、心臓が大きく跳ねた。
『特命連絡官へ。吉報だ。先ほど、警視庁サイバー犯罪対策課が、例の特設サイト【大罪の椅子】のメインサーバーの特定に成功した。発信源は東ヨーロッパの某国を経由した防弾ホスティングサーバーだったが、国際捜査共助によりドメインを強制的に差し押さえた。現在、犯人の特設サイトは完全にダウンしている。大衆の狂った投票システムも完全に停止した。これより、郷田管理官がマスコミへ向けて「警察がサイバーテロリストの拠点を制圧した」と大々的な勝利宣言の会見を開く。久我幹事長へも、脅威は去ったと伝えておけ。』
「……なんだと?」
私は即座に答えた。
「犯人は、必ずしも直接的な暴力だけを使っているわけではありません。軍用爆薬のような凶悪な手段も持っていますが、奴の最大の武器は、標的自身が抱えている『内なる弱点』です。数日前の佐々木副大臣の邸宅で起きた一件が、その典型でした」
私は、あの日の佐々木の惨めな姿を思い出しながら続けた。
「実際には、あの椅子へ爆弾など仕掛けられていなかった。しかし犯人は、『死の恐怖』と『大衆の狂気』という完璧なブラフを用意し、佐々木副大臣に大勢の観衆の前で無様に命乞いをさせ、過去の罪まで自白させた」
久我の表情は変わらない。
「物理的な傷は一つも負わせていないのに、政治家としての威厳と信用を地へ堕としたんです」
「……あいつは己の命惜しさに、私の派閥の顔へ泥を塗った。臆病な奴だ」
久我は吐き捨てるように言い、葉巻の灰を灰皿へ落とした。
「そして今日の堂島慎太郎の騒動も、同じ構造です」
私は続けた。
「堂島キャスターの場合、犯人が利用したのは『正義感と傲慢さ』です。数日前の爆弾騒ぎでマスコミの飢餓感を極限まで煽り、堂島が絶対に疑わないだけの『偽の信用』を、完璧なタイミングで提示した。堂島は週刊誌の記事にも乗り、自分が神にでもなったように錯覚し、裏取りという基本すら忘れた。そして最後には、自分自身の手で社会的抹殺の引き金を引いたのです」
久我は、ふっと短く息を吐いた。
「佐々木には『恐怖』を与え、堂島には『優越感』を与えた。そして、それぞれ自滅させたというわけか」
葉巻の紫煙が、久我の顔を薄く覆う。
「……相手の心理構造を完全に掌握していなければ、到底描けないシナリオだな。奴らはただ直接殺しに来るのではない。相手を疑心暗鬼に陥らせ、自ら破滅の道を選ばせる」
久我の目が鋭くなる。
「まるで、チェス盤の駒を外側から一つずつ、丁寧に盤外へ弾き出しているようにな」
私は、その言葉にはっと息を呑んだ。
チェス盤の駒。
「……幹事長。では、犯人の真の狙いは……」
「佐々木でも堂島でもない」
久我の声が、一段と低くなった。
「あんなものは、ただの『撒き餌』であり、盤上の歩兵(ポーン)や騎士(ナイト)に過ぎん」
絶対的な冷気を帯びた声が、薄暗い書斎へ沈んでいく。
「佐々木が醜態を晒し、堂島が失脚したことで、一番損害を被ったのは誰だ?」
久我は自分の胸元を指した。
「……私だよ」
背筋に冷たいものが走った。
「派閥の右腕としての佐々木の求心力は大きく傷つき、我々に有利な世論を形成してきたメディアの防波堤も崩れた。さらにこの間、私の息子、晃生が『暴食』として市民ホールで消し炭にされた」
久我の声には、息子を失った悲しみなど欠片もなかった。
「……犯人は、私という『王(キング)』を丸裸にするために、周囲の城壁を意図的に崩しに来ているのだ」
私は息を止めた。
あの偽の爆弾騒ぎも、堂島の暴露放送も。
すべては、この巨大な権力者――久我晃一郎の周囲を孤立させ、疑心暗鬼の地獄へ追い込むための、壮大な儀式に過ぎなかったのかもしれない。
これほど回りくどく、そして残酷な外堀の埋め方があるだろうか。
透明な敵は、間違いなく久我晃一郎の破滅を企て、一歩ずつ確実に距離を詰めてきている。
「十五年前……」
久我が、ふと忌々しそうに呟いた。
「佐々木が喚き散らしていた通り、奴らは十五年前の『天楽建設の汚職』の亡霊を掘り起こそうとしている」
久我の瞳に、暗い光が宿った。
「私がとうの昔に綺麗に掃除し、法というセメントで完全に蓋をしたはずの、古い墓穴をな」
その目が、猛禽類のような鋭さで私を射抜いた。
「真下くん。警察の組織力など当てにならん。お前は今日から、私の目となり耳となれ。この屋敷へ出入りするすべての人間、そして私の周囲を嗅ぎ回る薄汚いネズミを、お前自身の目でもう一度洗い直せ」
久我は葉巻を灰皿へ押しつけた。
「……この私を盤上の駒扱いし、引きずり下ろそうとする愚か者を、一匹残らず見つけ出し、私の前へ引きずり出せ」
「……承知いたしました」
私が深く頭を下げた、まさにその瞬間だった。
ブブッ、と胸ポケットに入っていた警察支給のセキュア端末が、鋭く振動した。
「……失礼」
私は久我の許可を目線で確認してから、端末を取り出した。
画面に表示されていたのは、特捜本部からの緊急連絡を示す暗号化メッセージだった。
送信元は、綾瀬管理官。
私はパスコードを入力し、メッセージを開いた。
そこに記されていた数行の文章を読んだ瞬間、心臓が大きく跳ねた。
『特命連絡官へ。吉報だ。先ほど、警視庁サイバー犯罪対策課が、例の特設サイト【大罪の椅子】のメインサーバーの特定に成功した。発信源は東ヨーロッパの某国を経由した防弾ホスティングサーバーだったが、国際捜査共助によりドメインを強制的に差し押さえた。現在、犯人の特設サイトは完全にダウンしている。大衆の狂った投票システムも完全に停止した。これより、郷田管理官がマスコミへ向けて「警察がサイバーテロリストの拠点を制圧した」と大々的な勝利宣言の会見を開く。久我幹事長へも、脅威は去ったと伝えておけ。』
「……なんだと?」
