「これで、堂島と帝都テレビを完全に追い詰める準備が整ったというわけか」
「ええ。直ちに帝都テレビと堂島個人に対し、数億円規模の損害賠償請求訴訟を起こします。併せて、偽計業務妨害や名誉毀損についても責任を追及します」
坂巻の声は氷のように冷たい。
「あそこは現在、スポンサー企業の撤退ドミノが始まり、株価も大暴落しています。法廷へ引きずり出せば、堂島は確実に社会的死を迎えるでしょう。……我々権力者に盾突けばどうなるか、世間へ知らしめる良い見せしめになります」
その冷酷な説明を聞き、佐々木が再び下卑た笑い声を漏らした。
「いい気味だ!」
私はスイートルームの扉の前に直立不動で立ち、久我たちの護衛任務に就きながら、その異様な光景を静かに観察していた。
マスコミという強大な力を持つ『第四の権力』が、自らの傲慢さによって罠へ落ち、たった数時間で崩壊していく。
そして、その機に乗じてメディアを法的に叩き潰し、さらに強固な権力を確立しようとする久我晃一郎。
(これが、政治という化け物たちの殺し合いか……)
私は内心で息を吐いた。
しかし、刑事としての思考はそこで止まらなかった。
胸の奥で、鋭い直感が一つの強烈な違和感を訴え続けていた。
確かに、坂巻の立ち回りは完璧だった。
堂島を法的に逃げられない状況へ追い込んだ手腕は見事だ。
だが――そもそも、堂島を罠へ嵌めたあの精巧な偽造資料を週刊誌やマスコミ各社へ一斉に送りつけ、さらに放送終了と同時に『ネタばらしの動画』をネットへ公開したのは、一体誰なのだ。
久我派閥の人間がやったわけではない。
もし久我側が仕組んでいたのなら、佐々木があれほど本気で青ざめ、慌てふためいていた理由が説明できない。
坂巻もまた、『流出した偽資料を利用して反撃した』だけであり、資料そのものを作ったわけではない。
その時、ある記憶が稲妻のように脳裏へ閃いた。
数日前。
佐々木副大臣の椅子へ爆弾が仕掛けられたとされた、あの偽の爆破騒ぎ。
あの事件の最中、ハッキングされたスピーカーから語りかけてきた連続爆破犯の声が、鮮明に蘇った。
『今日のところはただの大衆を盛り上げるための前座、最高のドッキリだよ。……座面に爆弾なんて、最初から仕掛けちゃいない。完全な嘘(ブラフ)さ!』
『第三の大罪のテーマは「虚偽」。……今日のこれはただの前座だ。メインディッシュはまだこれからだよ』
そして、あの男は確かに、こうも言っていた。
『言ったじゃないか。「数日以内に世に放たれる巨大スキャンダル」が真のターゲットだって』
あの日の言葉が、頭の中で激しく反響した。
(……間違いない。これこそが、あの連続爆破テロ犯が仕掛けた『本命の罠』だ!)
『第三の大罪のテーマは「虚偽」』
あの声が、もう一度脳裏に蘇る。
佐々木への偽の爆破予告。
流出した偽資料。
それへ焦って飛びついた堂島。
放送終了と同時に公開された暴露動画。
それまで散らばっていた点が、一瞬にして一本の線へ繋がった。
(……堂島だ!)
背中を冷たい汗が流れた。
佐々木だけではない。
犯人は、最初から堂島慎太郎自身を裁くつもりだったのだ。
私は窓の外に広がる東京のコンクリートジャングルへ視線を向けた。
この巨大な街のどこかに、久我派閥とマスコミの双方をチェスの駒のように操りながら、嘲笑っている正体不明の犯人がいる。
無意識のうちに、拳を固く握り締めていた。
「……真下くん」
不意に、久我の冷たい声が私を呼んだ。
「はい、幹事長」
「今日の予定はキャンセルだ。党本部には向かわず、このまま屋敷へ戻る。……佐々木の件は片付いたが、どうにもきな臭い。どこぞのネズミが、我々の足元を嗅ぎ回っているような気がしてな」
久我の視線は、モニターに映し出された『影の代弁者』のアカウントへ鋭く突き刺さっている。
この男もまた、背後で蠢く見えない敵の存在を嗅ぎ取っているのだ。
「承知いたしました。直ちに車を手配させます」
私は深く頭を下げ、部屋を出た。
久我家という巨大な闇。
そして、その闇をさらに深い闇から食い破ろうとしている正体不明の存在。
私は、決して引き返すことのできない恐ろしい渦の中心へ、一歩ずつ足を踏み入れているのだと確信していた。
* * *
午後三時十五分。
千代田区の高級ホテルを滑り出るように出発した黒塗りのマイバッハは、灰色の雲から落ち始めた冷たい雨を切り裂きながら、都心の喧騒の中を静かに進んでいた。
分厚い防弾ガラスと最高級の遮音材に守られた車内は、外界の騒音を完全に遮断した密室だった。
聞こえるのは、微かなエンジンの重低音と、後部座席に備え付けられた小型モニターから流れるニュースの音声だけだった。
『――繰り返しお伝えします。本日午後から放送された帝都テレビの特別番組において、堂島慎太郎キャスターが提示した佐々木副大臣の汚職を示す内部資料が、すべてAIなどを用いた精巧な偽造であった可能性が極めて高まっています。現在、帝都テレビの前には各局の報道陣が殺到しており……』
モニターの中では、帝都テレビ本社ビル前へ群がる無数の報道陣と、怒号が飛び交う混乱状態の現場が中継されていた。
画面の端には、
【帝都テレビ、謝罪会見へ】
【堂島キャスター、連絡取れず】
というセンセーショナルなテロップが躍っている。
つい数時間前まで、この国の『絶対的な正義の代弁者』として神格化されていた堂島慎太郎は、いまや稀代の詐欺師、あるいは権力を私物化した道化として、全国民の嘲笑の的になっていた。
「……見事な手のひら返しだな」
後部座席の奥深くへ身を沈めた久我が、クリスタルグラスに注がれたミネラルウォーターを傾けながら、ひどく退屈そうに呟いた。
久我はニュースを眺め、鼻で笑った。
「昨日まで神と呼んでいた男を、今日は石で打つか」
グラスを傾けたまま、冷たく言い放つ。
「大衆は正義が好きなのではない。――転落が好きなのだよ」
私は助手席から振り返ることなく、ルームミラー越しに久我の表情を窺った。
自らの派閥の重鎮が間一髪で危機を脱した安堵も、世間を騒がせる未曾有のスキャンダルへの焦燥も、その顔にはなかった。
あるのは、チェス盤の上で勝手に動き回る駒を冷笑する、絶対的な支配者の余裕だけだった。
「幹事長。帝都テレビ側は、『堂島キャスターの独断に基づく暴走であり、局としては遺憾である』との声明を発表する準備を進めているようです。完全にトカゲの尻尾切りに動きました」
運転席でハンドルを握るベテラン秘書が、インカムから得た最新情報を報告した。
「ええ。直ちに帝都テレビと堂島個人に対し、数億円規模の損害賠償請求訴訟を起こします。併せて、偽計業務妨害や名誉毀損についても責任を追及します」
坂巻の声は氷のように冷たい。
「あそこは現在、スポンサー企業の撤退ドミノが始まり、株価も大暴落しています。法廷へ引きずり出せば、堂島は確実に社会的死を迎えるでしょう。……我々権力者に盾突けばどうなるか、世間へ知らしめる良い見せしめになります」
その冷酷な説明を聞き、佐々木が再び下卑た笑い声を漏らした。
「いい気味だ!」
私はスイートルームの扉の前に直立不動で立ち、久我たちの護衛任務に就きながら、その異様な光景を静かに観察していた。
マスコミという強大な力を持つ『第四の権力』が、自らの傲慢さによって罠へ落ち、たった数時間で崩壊していく。
そして、その機に乗じてメディアを法的に叩き潰し、さらに強固な権力を確立しようとする久我晃一郎。
(これが、政治という化け物たちの殺し合いか……)
私は内心で息を吐いた。
しかし、刑事としての思考はそこで止まらなかった。
胸の奥で、鋭い直感が一つの強烈な違和感を訴え続けていた。
確かに、坂巻の立ち回りは完璧だった。
堂島を法的に逃げられない状況へ追い込んだ手腕は見事だ。
だが――そもそも、堂島を罠へ嵌めたあの精巧な偽造資料を週刊誌やマスコミ各社へ一斉に送りつけ、さらに放送終了と同時に『ネタばらしの動画』をネットへ公開したのは、一体誰なのだ。
久我派閥の人間がやったわけではない。
もし久我側が仕組んでいたのなら、佐々木があれほど本気で青ざめ、慌てふためいていた理由が説明できない。
坂巻もまた、『流出した偽資料を利用して反撃した』だけであり、資料そのものを作ったわけではない。
その時、ある記憶が稲妻のように脳裏へ閃いた。
数日前。
佐々木副大臣の椅子へ爆弾が仕掛けられたとされた、あの偽の爆破騒ぎ。
あの事件の最中、ハッキングされたスピーカーから語りかけてきた連続爆破犯の声が、鮮明に蘇った。
『今日のところはただの大衆を盛り上げるための前座、最高のドッキリだよ。……座面に爆弾なんて、最初から仕掛けちゃいない。完全な嘘(ブラフ)さ!』
『第三の大罪のテーマは「虚偽」。……今日のこれはただの前座だ。メインディッシュはまだこれからだよ』
そして、あの男は確かに、こうも言っていた。
『言ったじゃないか。「数日以内に世に放たれる巨大スキャンダル」が真のターゲットだって』
あの日の言葉が、頭の中で激しく反響した。
(……間違いない。これこそが、あの連続爆破テロ犯が仕掛けた『本命の罠』だ!)
『第三の大罪のテーマは「虚偽」』
あの声が、もう一度脳裏に蘇る。
佐々木への偽の爆破予告。
流出した偽資料。
それへ焦って飛びついた堂島。
放送終了と同時に公開された暴露動画。
それまで散らばっていた点が、一瞬にして一本の線へ繋がった。
(……堂島だ!)
背中を冷たい汗が流れた。
佐々木だけではない。
犯人は、最初から堂島慎太郎自身を裁くつもりだったのだ。
私は窓の外に広がる東京のコンクリートジャングルへ視線を向けた。
この巨大な街のどこかに、久我派閥とマスコミの双方をチェスの駒のように操りながら、嘲笑っている正体不明の犯人がいる。
無意識のうちに、拳を固く握り締めていた。
「……真下くん」
不意に、久我の冷たい声が私を呼んだ。
「はい、幹事長」
「今日の予定はキャンセルだ。党本部には向かわず、このまま屋敷へ戻る。……佐々木の件は片付いたが、どうにもきな臭い。どこぞのネズミが、我々の足元を嗅ぎ回っているような気がしてな」
久我の視線は、モニターに映し出された『影の代弁者』のアカウントへ鋭く突き刺さっている。
この男もまた、背後で蠢く見えない敵の存在を嗅ぎ取っているのだ。
「承知いたしました。直ちに車を手配させます」
私は深く頭を下げ、部屋を出た。
久我家という巨大な闇。
そして、その闇をさらに深い闇から食い破ろうとしている正体不明の存在。
私は、決して引き返すことのできない恐ろしい渦の中心へ、一歩ずつ足を踏み入れているのだと確信していた。
* * *
午後三時十五分。
千代田区の高級ホテルを滑り出るように出発した黒塗りのマイバッハは、灰色の雲から落ち始めた冷たい雨を切り裂きながら、都心の喧騒の中を静かに進んでいた。
分厚い防弾ガラスと最高級の遮音材に守られた車内は、外界の騒音を完全に遮断した密室だった。
聞こえるのは、微かなエンジンの重低音と、後部座席に備え付けられた小型モニターから流れるニュースの音声だけだった。
『――繰り返しお伝えします。本日午後から放送された帝都テレビの特別番組において、堂島慎太郎キャスターが提示した佐々木副大臣の汚職を示す内部資料が、すべてAIなどを用いた精巧な偽造であった可能性が極めて高まっています。現在、帝都テレビの前には各局の報道陣が殺到しており……』
モニターの中では、帝都テレビ本社ビル前へ群がる無数の報道陣と、怒号が飛び交う混乱状態の現場が中継されていた。
画面の端には、
【帝都テレビ、謝罪会見へ】
【堂島キャスター、連絡取れず】
というセンセーショナルなテロップが躍っている。
つい数時間前まで、この国の『絶対的な正義の代弁者』として神格化されていた堂島慎太郎は、いまや稀代の詐欺師、あるいは権力を私物化した道化として、全国民の嘲笑の的になっていた。
「……見事な手のひら返しだな」
後部座席の奥深くへ身を沈めた久我が、クリスタルグラスに注がれたミネラルウォーターを傾けながら、ひどく退屈そうに呟いた。
久我はニュースを眺め、鼻で笑った。
「昨日まで神と呼んでいた男を、今日は石で打つか」
グラスを傾けたまま、冷たく言い放つ。
「大衆は正義が好きなのではない。――転落が好きなのだよ」
私は助手席から振り返ることなく、ルームミラー越しに久我の表情を窺った。
自らの派閥の重鎮が間一髪で危機を脱した安堵も、世間を騒がせる未曾有のスキャンダルへの焦燥も、その顔にはなかった。
あるのは、チェス盤の上で勝手に動き回る駒を冷笑する、絶対的な支配者の余裕だけだった。
「幹事長。帝都テレビ側は、『堂島キャスターの独断に基づく暴走であり、局としては遺憾である』との声明を発表する準備を進めているようです。完全にトカゲの尻尾切りに動きました」
運転席でハンドルを握るベテラン秘書が、インカムから得た最新情報を報告した。
