「嘘だ……。嘘だ、嘘だ、嘘だ!! なぜだ! 筆跡鑑定だって専門家に依頼して……っ!」
そこまで叫んだ瞬間、堂島ははっと息を呑んだ。
あの筆跡鑑定士。
外部への情報漏洩を避けるため、極秘に紹介されたフリーの専門家。
まさか。
あの男まで、最初から仕込まれた手駒だったのか。
堂島の脳裏に、この半年間の記憶が次々とフラッシュバックしていった。
第一のスクープは、某省庁局長による隠し資金の告発。
第二のスクープは、大手ゼネコンによるデータ改ざんの決定的証拠。
第三のスクープは、現職知事による違法接待の裏帳簿。
あの時の歓声。
あの時の拍手。
自分へ向けられた、熱狂的な称賛。
匿名の情報提供者から渡された資料は、これまで一度として外れたことがなかった。
すべて本物だった。
寸分の狂いもなく、真実だった。
だから、信じた。
だから、疑わなかった。
だからこそ――今日も、飛びついた。
「……最初から、今日のためだったのか」
堂島はうわ言のように呟くと、膝から力が抜け、その場へ崩れ落ちた。
今日一日だけの罠ではない。
この半年間、堂島が積み重ねてきた輝かしい栄光そのものが、彼を最も高い場所まで登らせ、そこから地獄へ突き落とすために用意された巨大な処刑台だったのだ。
もし、この構図が事実なら。
堂島はジャーナリストとして、最も犯してはならない大罪を犯したことになる。
佐々木側から巨額の損害賠償を請求され、さらに名誉毀損などで刑事告訴までされれば、数億円単位の賠償だけでなく、刑事責任まで問われることになる。
そして、つい先ほどまで目の前にいた坂巻宗秀の言葉が、死刑宣告のように脳内へ蘇った。
『裁判になってもいいんですか?』
『せいぜい、ご自分の握りしめているその「正義の証拠」に、足元をすくわれないようにお気をつけください』
「あ、あああああ……ッ!!」
堂島は絶叫し、タブレットを床へ叩きつけると、両手で自分の髪を激しく掻き毟った。
その顔には、これまでテレビ画面で見せてきた洗練されたキャスターの面影など、微塵も残っていなかった。
すべてを失った人間の、無様な表情だった。
「お、おい! 誰がこの資料を持ってきたんだ! リサーチしたのは誰だ! 責任者は誰だァァッ!」
堂島は狂ったように喚き散らしながら、部屋の隅にいるはずの相田へ振り返った。
自分だけは逃げ切るために、すべての責任を彼女へ押しつける言い訳を、咄嗟に探そうとしたのだ。
だが、視線を向けた先で、堂島は一瞬だけ奇妙な感覚に囚われた。
相田は、何も言わずに立っていた。
その表情には怯えも、戸惑いも、同情すら浮かんでいない。
つい先ほどまで潤んだ瞳で堂島に縋り、彼の言葉に心酔していた女の顔ではなかった。
そこにいたのは、一切の感情が抜け落ちたような氷の表情で、床に崩れ落ちた堂島を静かに見下ろす、一人の女だった。
「き、君は……」
堂島が呆然と声をかけようとした、その瞬間。
「編集長! スポンサーから一斉に撤退の連絡が!」
開け放たれた扉の外から、スタッフの悲鳴が飛び込んできた。
堂島はびくりと身体を震わせ、反射的にそちらへ顔を向けた。
「う、うるさい! 待てと言え!」
怒鳴り返した、その僅かな隙だった。
相田は音も立てず、静かに部屋を出ていった。
堂島が再び振り返った時、壁際に残されていたのは、ただの冷たい空間だけだった。
阿鼻叫喚の地獄と化した報道フロアの喧騒だけが、呆然とする堂島の耳へ虚しく響き続けていた。
* * *
東京都千代田区。
高級ホテルの最上階に位置する、スイートルーム。
分厚い絨毯が敷き詰められた静寂の空間で、壁掛けの大型モニターには、ネット上で拡散されているあの『暴露動画』が繰り返し流されていた。
「は、ははははっ! 見ましたか幹事長! あの堂島の無様な姿を! ネットじゃもう、あいつのキャスター降板は免れないと大騒ぎですよ!」
モニターを指差しながら下品な笑い声を上げているのは、額の汗をハンカチで拭う恰幅の良い男――佐々木副大臣だった。
数時間前まで自分の政治生命が『終わった』と思い込んでいた男の顔には、今や地獄の底から這い上がってきたような安堵と歓喜が入り混じった、卑屈な笑みが浮かんでいる。
「いやぁ、一時はどうなることかと肝を冷やしましたが……まさか、あの証拠資料自体が堂島を嵌めるための精巧な偽物だったとは! これで私は『マスコミのフェイクニュースの被害者』だ! 同情票も集まるし、派閥への影響も完全に防げましたぞ!」
興奮気味にまくしたてる佐々木を、久我晃一郎は革張りのソファへ深く腰掛けたまま、まるで羽虫の羽音でも聞くような冷ややかな目で見つめていた。
「……喜ぶのはまだ早いぞ、佐々木」
久我の低く冷徹な声が響いた瞬間、佐々木の笑い声がぴたりと止まった。
「確かに、今回の件でお前は『濡れ衣を着せられた被害者』という強力なカードを手に入れた。だが、十年前の件で、お前が脇の甘い真似をしていたという事実そのものが消えたわけではない」
久我は冷たい目で佐々木を見た。
「……勘違いするな。お前が生き延びられたのは、ただ運が良かっただけだ」
「は、はい……申し訳ありません、幹事長……」
佐々木はたちまち縮み上がり、深々と頭を下げた。
「しかし、見事な手際でしたね、坂巻先生」
久我の視線の先には、窓際に立ち、静かにシャンパングラスを傾けている坂巻宗秀の姿があった。
「お褒めにあずかり光栄です」
坂巻は銀縁眼鏡の奥の目を細め、薄く笑った。
「堂島という男は、己の正義と自己顕示欲に完全に溺れていました。誰がこれほど精巧な罠を仕組んだのかは存じませんが、見事にメディア間の競争心理を利用されたのでしょう」
坂巻はグラスを軽く揺らしながら、淡々と続けた。
「あのような輩は、自分が『絶対的な真実の側にいる』と錯覚さえすれば、自らの正義を疑わなくなる。週刊誌が先に報じたという安心感もあり、裏取りという基本的な手順すら忘れ、勝手に罠へ飛び込んだ」
「……」
「私が放送直前に、わざわざ『警告』へ赴いたのも、後になって彼らが『知らなかった』と言い逃れできないよう、完全に逃げ道を塞ぐための布石に過ぎません」
そこまで叫んだ瞬間、堂島ははっと息を呑んだ。
あの筆跡鑑定士。
外部への情報漏洩を避けるため、極秘に紹介されたフリーの専門家。
まさか。
あの男まで、最初から仕込まれた手駒だったのか。
堂島の脳裏に、この半年間の記憶が次々とフラッシュバックしていった。
第一のスクープは、某省庁局長による隠し資金の告発。
第二のスクープは、大手ゼネコンによるデータ改ざんの決定的証拠。
第三のスクープは、現職知事による違法接待の裏帳簿。
あの時の歓声。
あの時の拍手。
自分へ向けられた、熱狂的な称賛。
匿名の情報提供者から渡された資料は、これまで一度として外れたことがなかった。
すべて本物だった。
寸分の狂いもなく、真実だった。
だから、信じた。
だから、疑わなかった。
だからこそ――今日も、飛びついた。
「……最初から、今日のためだったのか」
堂島はうわ言のように呟くと、膝から力が抜け、その場へ崩れ落ちた。
今日一日だけの罠ではない。
この半年間、堂島が積み重ねてきた輝かしい栄光そのものが、彼を最も高い場所まで登らせ、そこから地獄へ突き落とすために用意された巨大な処刑台だったのだ。
もし、この構図が事実なら。
堂島はジャーナリストとして、最も犯してはならない大罪を犯したことになる。
佐々木側から巨額の損害賠償を請求され、さらに名誉毀損などで刑事告訴までされれば、数億円単位の賠償だけでなく、刑事責任まで問われることになる。
そして、つい先ほどまで目の前にいた坂巻宗秀の言葉が、死刑宣告のように脳内へ蘇った。
『裁判になってもいいんですか?』
『せいぜい、ご自分の握りしめているその「正義の証拠」に、足元をすくわれないようにお気をつけください』
「あ、あああああ……ッ!!」
堂島は絶叫し、タブレットを床へ叩きつけると、両手で自分の髪を激しく掻き毟った。
その顔には、これまでテレビ画面で見せてきた洗練されたキャスターの面影など、微塵も残っていなかった。
すべてを失った人間の、無様な表情だった。
「お、おい! 誰がこの資料を持ってきたんだ! リサーチしたのは誰だ! 責任者は誰だァァッ!」
堂島は狂ったように喚き散らしながら、部屋の隅にいるはずの相田へ振り返った。
自分だけは逃げ切るために、すべての責任を彼女へ押しつける言い訳を、咄嗟に探そうとしたのだ。
だが、視線を向けた先で、堂島は一瞬だけ奇妙な感覚に囚われた。
相田は、何も言わずに立っていた。
その表情には怯えも、戸惑いも、同情すら浮かんでいない。
つい先ほどまで潤んだ瞳で堂島に縋り、彼の言葉に心酔していた女の顔ではなかった。
そこにいたのは、一切の感情が抜け落ちたような氷の表情で、床に崩れ落ちた堂島を静かに見下ろす、一人の女だった。
「き、君は……」
堂島が呆然と声をかけようとした、その瞬間。
「編集長! スポンサーから一斉に撤退の連絡が!」
開け放たれた扉の外から、スタッフの悲鳴が飛び込んできた。
堂島はびくりと身体を震わせ、反射的にそちらへ顔を向けた。
「う、うるさい! 待てと言え!」
怒鳴り返した、その僅かな隙だった。
相田は音も立てず、静かに部屋を出ていった。
堂島が再び振り返った時、壁際に残されていたのは、ただの冷たい空間だけだった。
阿鼻叫喚の地獄と化した報道フロアの喧騒だけが、呆然とする堂島の耳へ虚しく響き続けていた。
* * *
東京都千代田区。
高級ホテルの最上階に位置する、スイートルーム。
分厚い絨毯が敷き詰められた静寂の空間で、壁掛けの大型モニターには、ネット上で拡散されているあの『暴露動画』が繰り返し流されていた。
「は、ははははっ! 見ましたか幹事長! あの堂島の無様な姿を! ネットじゃもう、あいつのキャスター降板は免れないと大騒ぎですよ!」
モニターを指差しながら下品な笑い声を上げているのは、額の汗をハンカチで拭う恰幅の良い男――佐々木副大臣だった。
数時間前まで自分の政治生命が『終わった』と思い込んでいた男の顔には、今や地獄の底から這い上がってきたような安堵と歓喜が入り混じった、卑屈な笑みが浮かんでいる。
「いやぁ、一時はどうなることかと肝を冷やしましたが……まさか、あの証拠資料自体が堂島を嵌めるための精巧な偽物だったとは! これで私は『マスコミのフェイクニュースの被害者』だ! 同情票も集まるし、派閥への影響も完全に防げましたぞ!」
興奮気味にまくしたてる佐々木を、久我晃一郎は革張りのソファへ深く腰掛けたまま、まるで羽虫の羽音でも聞くような冷ややかな目で見つめていた。
「……喜ぶのはまだ早いぞ、佐々木」
久我の低く冷徹な声が響いた瞬間、佐々木の笑い声がぴたりと止まった。
「確かに、今回の件でお前は『濡れ衣を着せられた被害者』という強力なカードを手に入れた。だが、十年前の件で、お前が脇の甘い真似をしていたという事実そのものが消えたわけではない」
久我は冷たい目で佐々木を見た。
「……勘違いするな。お前が生き延びられたのは、ただ運が良かっただけだ」
「は、はい……申し訳ありません、幹事長……」
佐々木はたちまち縮み上がり、深々と頭を下げた。
「しかし、見事な手際でしたね、坂巻先生」
久我の視線の先には、窓際に立ち、静かにシャンパングラスを傾けている坂巻宗秀の姿があった。
「お褒めにあずかり光栄です」
坂巻は銀縁眼鏡の奥の目を細め、薄く笑った。
「堂島という男は、己の正義と自己顕示欲に完全に溺れていました。誰がこれほど精巧な罠を仕組んだのかは存じませんが、見事にメディア間の競争心理を利用されたのでしょう」
坂巻はグラスを軽く揺らしながら、淡々と続けた。
「あのような輩は、自分が『絶対的な真実の側にいる』と錯覚さえすれば、自らの正義を疑わなくなる。週刊誌が先に報じたという安心感もあり、裏取りという基本的な手順すら忘れ、勝手に罠へ飛び込んだ」
「……」
「私が放送直前に、わざわざ『警告』へ赴いたのも、後になって彼らが『知らなかった』と言い逃れできないよう、完全に逃げ道を塞ぐための布石に過ぎません」
