椅子に座りますか

 堂島はふっと余裕の笑みを浮かべると、相田の華奢な肩を優しく抱き寄せた。

「心配いらないよ、相田くん。ジャーナリストとは、真実を追えば必ず敵ができるものだ。周囲から責められることなど日常茶飯事だよ」

 堂島は甘く囁いた。

「むしろ、それは私が核心を突いているという勲章に過ぎない」

 そう言いながら、不安げに自分を見上げる相田の顔をじっと見つめた。
 野暮ったくまとめられた黒髪。
 顔の半分を覆うような分厚いフレームの眼鏡。

 だが、そのレンズの奥で潤んでいる瞳は、怯えた小動物のように庇護欲をそそった。

 堂島の目に、獲物を品定めするような暗い熱が宿った。

「……少し、その眼鏡を取ってみてくれないか」
「え……?」
 相田は戸惑ったように瞬きをしたが、堂島へ逆らうことなどできないかのように、指先でゆっくりと眼鏡を外した。

 堂島は、思わず息を呑んだ。
 分厚いレンズと野暮ったいフレームの下に隠されていたのは、息を呑むほど整った、透き通るような美貌だった。

 純粋で無垢な瞳。
 形の良い鼻筋。
 そして、不安げに僅かに震える桜色の唇。

 地味なスーツ姿のせいで今まで気づかなかったが、磨けばどれほど美しくなるか分からない原石が、今、完全に怯えきった様子で自分だけを頼りにしている。

(……これはいい。実に素晴らしい)

 堂島の胸の奥で、どす黒い独占欲が膨れ上がった。
 この美しく無垢な女を完全に自分の手中へ収めたい。

 自分なしでは生きられないように従属させ、己の絶対的な権力と正義を飾るための『コレクション』として飼い慣らしたい。

 そんな、ひどく傲慢な欲望だった。

「……美しいよ、相田くん。君は、そのままで十分に美しい」
 堂島はねっとりとした手つきで、眼鏡を外した相田の頬をゆっくりと撫でた。
「ははは! 恐れることなど何もない。私は民衆の代弁者だ。さあ、本番の準備を急ぎなさい。今日の放送で、我々は歴史を変える!」

 堂島は満足げに相田から手を離し、身だしなみを整えるため鏡へ向かった。

(ああ……最高の気分だ。この国で最も力を持っているのは、政治家でも弁護士でもない。世論を操り、この美しい女の人生すら意のままにできる、この私だ!)

 堂島は、己の全能感という麻薬へ完全に酔いしれていた。

「相田くん、本番前にはスタジオに来てくれたまえよ」
 背後から掛けられた甘い声に、相田は振り返らず、ただ従順に静かに答えた。
「はい、堂島さん。……楽しみにしていますね」

 放送開始まで、あと僅か。
 帝都テレビの報道フロアは、これから始まる『正義の執行』へ向けて、異様な熱気と狂騒に包まれ続けていた。

 午後二時。

 帝都テレビ、第一スタジオ。
「――国民の皆様。今日、我々はこの国の暗部に巣食う、極めて深刻な巨悪の正体を暴かなければなりません」

 眩いカクテル光線に照らされたメインセットの中央で、堂島慎太郎はカメラのレンズを真っ直ぐに見据え、低く重々しい口調で語りかけていた。

 『真相の代弁者』特別拡大枠。

 画面右下には、
【独占スクープ! 与党重鎮・佐々木副大臣、十年前の汚職の真実】
 という毒々しいテロップが躍っている。

 スタジオは水を打ったような静寂に包まれ、何千万人もの視聴者が、テレビやスマートフォンの画面越しに堂島の一挙手一投足へ釘付けになっていた。

「十年前、一人の秘書がすべての罪を被り、刑務所へ送られました。当時の佐々木議員は、『秘書の独断である』と涙ながらに身の潔白を訴えました」

 堂島は静かに間を取った。
「多くの国民がその涙を信じ、あるいは権力の壁の前で泣き寝入りするしかなかった。……しかし、真実は違ったのです」

 芝居がかった手振りで、背後の巨大モニターを指し示す。

 そこへ大写しになったのは、今朝の週刊誌で報じられたものと全く同じ、黒塗りのない密約書のコピーと、佐々木の直筆とされる生々しい指示メモの画像だった。

「今朝、週刊誌が報じたこの疑惑。我々取材班は、極めて信頼のおける独自の情報筋から、全く同じこの『決定的な証拠』の現物を託されました」

 堂島の言葉に迷いはない。

「この情報源は過去半年間にわたり、三度にわたって政界の深い闇を暴く本物の証拠を提供してくれた、我々が最も信頼を置く人物です」

 事実、その匿名の情報提供者は、この半年間、誰も知る由もない官僚の横領や、大企業によるデータ改ざんの決定的な証拠を堂島へ提供し続けてきた。
 その情報はすべて百パーセントの真実であり、そのおかげで番組は何度も特大スクープを連発している。

 これほど絶対的な実績を持つ情報源が、今さら嘘をつくはずがない。
 しかも、今回は週刊誌まで同じ内容を報じている。
 その強烈な思い込みと焦りが、堂島の警戒心を完全に麻痺させていた。

「この直筆メモは、我々が外部の専門機関へ依頼した簡易鑑定においても、佐々木議員の筆跡と極めて高い確率で一致するとの結果が出ています」

 堂島の声に、ますます力がこもる。
「これは当時のダミー会社の口座記録とも完全に符合し、さらに……当時の佐々木議員の肉声データまで発見されたのです。お聞きください」

 スタジオへ、ノイズ混じりの音声が流れ始めた。
『……いいか。この件は全部お前が被れ。俺に火の粉が飛べば、お前の家族がどうなるか分かってるな?』

 佐々木の声に酷似した、冷酷で威圧的な男の声。

 その音声が流れた瞬間、ひな壇に座るコメンテーターたちが一斉に顔をしかめ、「これは酷い」「信じられない」と、わざとらしい溜息を漏らした。
 堂島の口角が、誰にも気づかれないほど僅かに、しかし確かな歓喜を伴って吊り上がった。

(完璧だ。世論は完全に私の手のひらの上にある!)

「国民を欺き、自らの保身のために他者の人生を平然と踏みにじる。これが、我が国の中枢に座る政治家の本当の姿です!」

 堂島はカメラを真っ直ぐに睨みつけた。
「佐々木副大臣、あなたは直ちに真実を語り、議員バッジを外すべきだ。我々メディアは、この不正を絶対に許しません!」

 その力強い糾弾と共に、番組は最高のボルテージを維持したままエンディングへ突入した。

「カット! 放送終了です!」

 フロアディレクターの声が響いた瞬間、スタジオは割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

「堂島さん、最高でした! 視聴率、瞬間最高で二十五パーセント超えてます!」
「週刊誌のバズりを完全にうちがかっ攫いましたよ! 他局は完全に沈黙しています! ネットのトレンドも我々の番組の話題で独占状態です。完全勝利ですよ!」

 スタッフたちが次々と駆け寄り、堂島を絶賛した。

 堂島は「皆の努力の賜物だよ」と謙虚な笑みを浮かべながらも、その胸の奥では神にも等しい全能感に酔いしれていた。
 権力のお抱え弁護士である坂巻が乗り込んできた時はどうなるかと思ったが、結果的に奴は尻尾を巻いて逃げた。

 佐々木の政治生命は、今日で完全に絶たれる。
 そして堂島慎太郎という名前は、『権力の闇を暴いた伝説のジャーナリスト』として歴史へ刻まれる。

(……さて。勝利の美酒を味わうとしよう)

 堂島はスタジオを後にし、熱狂するフロアを抜けて、自分の編集長室へ向かった。
 その足取りは羽が生えたように軽かった。
 頭の中は、すでに次の『報酬』――相田のことでいっぱいだった。
 ガチャリ、と重厚な扉が閉まり、堂島は編集長室の鍵を内側からかけた。