***
東京都港区、帝都テレビ本社ビル報道局。
フロア全体が、まるで蜂の巣をつついたような狂騒に包まれていた。
「今朝六時に配信された『週刊激報』のウェブ速報、アクセス過多でサーバーダウンしてます!」
「佐々木事務所の電話は完全に回線がパンクしています! 検察庁に張り付いている連中は何をやってる!」
「特番の枠を押さえろ! スポンサー調整は後回しだ! 週刊誌のバズりの後追いじゃ終わらせねえ! 昼の帯を全部ぶち抜いて、うちが完全に息の根を止めるんだ!」
怒号と、キーボードを叩く乾いた音、そして鳴り止まない電話のコール音が入り乱れていた。報道局のフロアは、血の匂いを嗅ぎつけた飢えた獣たちの檻と化している。
その狂騒の中心にある、ガラス張りで仕切られた編集長兼メインキャスターの個室で、一人の男がゆったりと革張りの椅子へ深く腰掛けていた。
堂島慎太郎。
夕方の大型報道番組『真相の代弁者』の顔であり、国民から絶大な支持を集めるジャーナリストだった。白髪交じりの整った髪と、知的で深みのある声。そして何より、権力に媚びず社会の悪を鋭く糾弾する『民衆の代弁者』としての圧倒的なカリスマ性を持つ男だった。
世間にとって、堂島慎太郎は、この国における正義の象徴とも呼べる存在だった。
「……素晴らしい。実に素晴らしい朝だ」
堂島はデスクの上にばら撒かれた数十枚のコピー用紙を見下ろしながら、陶酔したように呟いた。
事の発端は、今から十年前にまで遡る。
当時、大規模な違法献金と土地開発を巡る汚職事件が世間を大いに騒がせた。その黒幕と目されていたのが、当時すでに政界で台頭し始めていた佐々木代議士だった。
しかし、検察の捜査の手が伸びた時、すべての罪を被って逮捕されたのは、佐々木の第一秘書を務めていた『杉山』という男だった。
佐々木は「秘書が独断でやったことだ」と涙ながらに会見を開き、杉山は実刑判決を受けて刑務所へ送られた。
誰もが、それがトカゲの尻尾切りであることを薄々察していた。それでも決定的な証拠は出ず、事件はそのまま風化していった。
だが今朝、大手週刊誌『週刊激報』のネット版が、その十年前の事件の『真実』を完全に裏付ける証拠資料をすっぱ抜いた。
世論はすでに沸騰している。
しかも堂島のデスクの上には、週刊誌が報じたものと全く同じ『裏付け資料』が、匿名の情報源から直接送り届けられていた。
佐々木本人が直接指示を出していたことを示す直筆のメモ。黒塗りのない密約書の写し。そして杉山に罪を被るよう強要した際の、生々しい録音データの文字起こし。
「週刊誌が火をつけ、私が全国ネットでガソリンを注ぎ込み、大衆という炎が佐々木を焼き尽くす……」
堂島は薄い唇を歪め、満足そうに笑った。
週刊誌が先陣を切ってリスクを負ってくれたおかげで、自分は『独自に入手した同じ証拠』を掲げ、安全な高台から佐々木へ止めを刺すことができる。
堂島にとって、政治家のスキャンダルは極上のエンターテインメントであり、自らの神のような影響力をさらに拡大するための薪でしかなかった。
コンコン、と控えめなノック音が響き、ガラス戸が開いた。
入ってきたのは、番組のリサーチャーを務める若手女性社員、相田だった。
黒髪をきっちりと束ね、地味なスーツを着て、分厚いファイルの束を抱えている。その表情には極度の緊張と、堂島へ向ける盲信的な眼差しが張り付いていた。
「ど、堂島編集長……。資料の裏付け、完了しました。うちに送られてきた口座記録と、今朝の週刊誌が報じたダミー会社の登記簿の内容が完全に一致しています」
相田の声は熱を帯び、僅かに震えていた。
「……それと、この件でずっと悔しい思いをしてきた当時の関係者の方々からも、番組で真実を話してほしいと、次々に電話が……」
堂島はゆっくりと立ち上がり、彼女のもとへ歩み寄った。
その目は獲物を前にした爬虫類のように冷たく、それでいて異様な熱を帯びている。
「よくやってくれたね、相田くん。君のその誠実な仕事ぶりが、この国の腐敗を暴く一歩になるんだ」
堂島は低く、優しく、甘い声で囁きながら、相田の華奢な肩へ手を置いた。
相田の肩が、びくりと跳ねる。
だが堂島は気にすることなく、慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「不安だったろう。これほど巨大な権力と戦うのは、恐ろしいはずだ。だが、もう大丈夫だ。週刊誌のスクープを、絶対的な『歴史の真実』へ変えるのは私だ。君が身を粉にして集めてくれた声は、決して無駄にはしない」
堂島は相田の目を見据え、さらに低く、心の奥へ染み込ませるような声で続けた。
「私が、君の悲痛な声を、そして君が救いたいと願う弱者たちの声を、世の中へ届けてやろう。だから……私を信じなさい。君のすべてを、君の正義のすべてを、私に預ければいい」
「……は、はい。ありがとうございます……堂島さん」
相田は堂島の威光と甘い言葉へ完全に絡め取られたように、安堵の期待をうかべて深く頭を下げた。
堂島は、他人の不幸や正義感を目の前にすると、胸の奥にどす黒い支配欲が膨れ上がるのを感じていた。
彼にとって、自分へ縋りついてくる人間たちは、決して対等な命ではない。自らの絶対的な正義と権力を証明するための、手頃な部品に過ぎなかった。
密室の編集長室で言葉巧みに相手の自己判断能力を奪い、『私がいなければあなたたちは救われない』という依存状態へ追い込む。不都合な真実は自らの権限で握り潰し、他人の人生の悲劇を都合よく切り貼りして、自分の全能感を満たす。
それこそが、堂島慎太郎という醜悪な捕食者の本性だった。
「さあ、急いで原稿をまとめなさい。今日の放送で、十年前の亡霊と共に、佐々木の政治生命を完全に断ち切る。我々が、民衆の怒りを代弁するのだ」
堂島が芝居がかった手振りで指示を出すと、相田は縋るような目で彼を見つめ返し、慌ただしく部屋を出ていった。
一人残された堂島は、ブラインドの隙間から報道フロアの狂騒を見下ろし、静かに笑い声を漏らした。
世間はこれから、佐々木という巨悪の転落へ熱狂する。
送り主が誰であろうと、そんなことはどうでもいい。週刊誌の連中は、せいぜいネットの海で騒いでいればいい。
この祭りの主役は、誰よりも鮮やかに全国ネットで佐々木を糾弾する自分なのだから。
東京都港区、帝都テレビ本社ビル報道局。
フロア全体が、まるで蜂の巣をつついたような狂騒に包まれていた。
「今朝六時に配信された『週刊激報』のウェブ速報、アクセス過多でサーバーダウンしてます!」
「佐々木事務所の電話は完全に回線がパンクしています! 検察庁に張り付いている連中は何をやってる!」
「特番の枠を押さえろ! スポンサー調整は後回しだ! 週刊誌のバズりの後追いじゃ終わらせねえ! 昼の帯を全部ぶち抜いて、うちが完全に息の根を止めるんだ!」
怒号と、キーボードを叩く乾いた音、そして鳴り止まない電話のコール音が入り乱れていた。報道局のフロアは、血の匂いを嗅ぎつけた飢えた獣たちの檻と化している。
その狂騒の中心にある、ガラス張りで仕切られた編集長兼メインキャスターの個室で、一人の男がゆったりと革張りの椅子へ深く腰掛けていた。
堂島慎太郎。
夕方の大型報道番組『真相の代弁者』の顔であり、国民から絶大な支持を集めるジャーナリストだった。白髪交じりの整った髪と、知的で深みのある声。そして何より、権力に媚びず社会の悪を鋭く糾弾する『民衆の代弁者』としての圧倒的なカリスマ性を持つ男だった。
世間にとって、堂島慎太郎は、この国における正義の象徴とも呼べる存在だった。
「……素晴らしい。実に素晴らしい朝だ」
堂島はデスクの上にばら撒かれた数十枚のコピー用紙を見下ろしながら、陶酔したように呟いた。
事の発端は、今から十年前にまで遡る。
当時、大規模な違法献金と土地開発を巡る汚職事件が世間を大いに騒がせた。その黒幕と目されていたのが、当時すでに政界で台頭し始めていた佐々木代議士だった。
しかし、検察の捜査の手が伸びた時、すべての罪を被って逮捕されたのは、佐々木の第一秘書を務めていた『杉山』という男だった。
佐々木は「秘書が独断でやったことだ」と涙ながらに会見を開き、杉山は実刑判決を受けて刑務所へ送られた。
誰もが、それがトカゲの尻尾切りであることを薄々察していた。それでも決定的な証拠は出ず、事件はそのまま風化していった。
だが今朝、大手週刊誌『週刊激報』のネット版が、その十年前の事件の『真実』を完全に裏付ける証拠資料をすっぱ抜いた。
世論はすでに沸騰している。
しかも堂島のデスクの上には、週刊誌が報じたものと全く同じ『裏付け資料』が、匿名の情報源から直接送り届けられていた。
佐々木本人が直接指示を出していたことを示す直筆のメモ。黒塗りのない密約書の写し。そして杉山に罪を被るよう強要した際の、生々しい録音データの文字起こし。
「週刊誌が火をつけ、私が全国ネットでガソリンを注ぎ込み、大衆という炎が佐々木を焼き尽くす……」
堂島は薄い唇を歪め、満足そうに笑った。
週刊誌が先陣を切ってリスクを負ってくれたおかげで、自分は『独自に入手した同じ証拠』を掲げ、安全な高台から佐々木へ止めを刺すことができる。
堂島にとって、政治家のスキャンダルは極上のエンターテインメントであり、自らの神のような影響力をさらに拡大するための薪でしかなかった。
コンコン、と控えめなノック音が響き、ガラス戸が開いた。
入ってきたのは、番組のリサーチャーを務める若手女性社員、相田だった。
黒髪をきっちりと束ね、地味なスーツを着て、分厚いファイルの束を抱えている。その表情には極度の緊張と、堂島へ向ける盲信的な眼差しが張り付いていた。
「ど、堂島編集長……。資料の裏付け、完了しました。うちに送られてきた口座記録と、今朝の週刊誌が報じたダミー会社の登記簿の内容が完全に一致しています」
相田の声は熱を帯び、僅かに震えていた。
「……それと、この件でずっと悔しい思いをしてきた当時の関係者の方々からも、番組で真実を話してほしいと、次々に電話が……」
堂島はゆっくりと立ち上がり、彼女のもとへ歩み寄った。
その目は獲物を前にした爬虫類のように冷たく、それでいて異様な熱を帯びている。
「よくやってくれたね、相田くん。君のその誠実な仕事ぶりが、この国の腐敗を暴く一歩になるんだ」
堂島は低く、優しく、甘い声で囁きながら、相田の華奢な肩へ手を置いた。
相田の肩が、びくりと跳ねる。
だが堂島は気にすることなく、慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「不安だったろう。これほど巨大な権力と戦うのは、恐ろしいはずだ。だが、もう大丈夫だ。週刊誌のスクープを、絶対的な『歴史の真実』へ変えるのは私だ。君が身を粉にして集めてくれた声は、決して無駄にはしない」
堂島は相田の目を見据え、さらに低く、心の奥へ染み込ませるような声で続けた。
「私が、君の悲痛な声を、そして君が救いたいと願う弱者たちの声を、世の中へ届けてやろう。だから……私を信じなさい。君のすべてを、君の正義のすべてを、私に預ければいい」
「……は、はい。ありがとうございます……堂島さん」
相田は堂島の威光と甘い言葉へ完全に絡め取られたように、安堵の期待をうかべて深く頭を下げた。
堂島は、他人の不幸や正義感を目の前にすると、胸の奥にどす黒い支配欲が膨れ上がるのを感じていた。
彼にとって、自分へ縋りついてくる人間たちは、決して対等な命ではない。自らの絶対的な正義と権力を証明するための、手頃な部品に過ぎなかった。
密室の編集長室で言葉巧みに相手の自己判断能力を奪い、『私がいなければあなたたちは救われない』という依存状態へ追い込む。不都合な真実は自らの権限で握り潰し、他人の人生の悲劇を都合よく切り貼りして、自分の全能感を満たす。
それこそが、堂島慎太郎という醜悪な捕食者の本性だった。
「さあ、急いで原稿をまとめなさい。今日の放送で、十年前の亡霊と共に、佐々木の政治生命を完全に断ち切る。我々が、民衆の怒りを代弁するのだ」
堂島が芝居がかった手振りで指示を出すと、相田は縋るような目で彼を見つめ返し、慌ただしく部屋を出ていった。
一人残された堂島は、ブラインドの隙間から報道フロアの狂騒を見下ろし、静かに笑い声を漏らした。
世間はこれから、佐々木という巨悪の転落へ熱狂する。
送り主が誰であろうと、そんなことはどうでもいい。週刊誌の連中は、せいぜいネットの海で騒いでいればいい。
この祭りの主役は、誰よりも鮮やかに全国ネットで佐々木を糾弾する自分なのだから。
