ソファに座ったまま、久我晃一郎がマイセンのティーカップを優雅にソーサーへ戻していた。
その一言を聞いた瞬間、佐々木の野心的な目が大きく見開かれた。
「……く、久我先生……? しかし、こいつは私を……」
つい先ほどまで怒りに任せて怒鳴り散らしていた佐々木が、蛇に睨まれた蛙のように顔色を変え、しどろもどろになっている。
(……これが、本当の力関係か)
私は息を呑んだ。
佐々木は表向きこそ派閥の重鎮として大きな顔をしているが、彼をここまで引き上げたのは久我晃一郎だ。久我の前では完全に萎縮し、頭が上がらないのも当然だった。
実の息子の告別式を離れてまで、この密室で何が話し合われていたのか。
少なくとも、この部屋で本当の意味で権力を握っているのは佐々木ではない。
久我晃一郎――この男だ。
「十五年前の亡霊に取り憑かれたテロリスト、か」
久我は能面のような顔をこちらへ向け、薄く笑った。
「そういえば君は、昨夜の通夜に来ていたね。あの時も、どこか思い詰めたような鋭い目をしていた」
その言葉に、背筋が凍るような戦慄を覚えた。
政界の重鎮の通夜。数多くの弔問客が出入りする異常な熱気の中で、久我は遺族席から、最後尾近くへ紛れ込んでいた私の存在を正確に記憶していたのだ。
「それで?」
私の動揺を見透かすように、久我が続けた。
「そのテロリストの妄想は、何重ものセキュリティに守られたこの強固な屋敷の中にいる佐々木を、どうやって狙うと言うんだね。刑事くん」
久我の底知れない視線に晒されながら、私は佐々木が腰を沈めている巨大な漆黒のレザーチェアを指差した。
「……犯人は、標的が『自ら座る椅子』に細工をします」
尋常ではない悪寒が、背筋を駆け上がった。
「もし、先生が毎日座り続けているその玉座そのものが、清掃業者などに扮した犯人によって密かにすり替えられ、あるいは改造されていたとしたら?」
私は佐々木を真っ直ぐに見据えた。
「佐々木先生、その椅子から今すぐ立ってください!」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「な、なんだと……?」
佐々木が恐怖に顔を引き攣らせ、椅子から腰を浮かせようとした、まさにその時だった。
【正午(ゼロ)】
応接室の壁に設置されていた巨大な薄型テレビが、バチン、と音を立てて突然起動した。
同時に部屋の照明がすべて消え、スマートホームのコントロールパネルが狂ったように明滅を始める。続いて、室内のスピーカーというスピーカーから、耳障りなハウリング音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
佐々木が驚愕し、郷田も明らかにパニックを起こしている。
巨大テレビの画面に映し出されていたのは通常の放送ではなく、黒と赤を基調とした、あの毒々しい『大罪の椅子』の特設サイトだった。
アクセス数は凄まじい勢いで増え続け、画面中央には血のような赤い文字が大きく表示された。
【・虚偽(ウソ)】
【ターゲット:数日以内に世に放たれる、国家を揺るがす巨大スキャンダルの中心にいる『巨悪』】
【罪状:十五年前、忠実なる部下にすべての建設汚職の罪を被せて死に追いやり、その屍の上に権力の城を築いた厚顔無恥なる嘘つき】
「ひ、ひぃぃッ!! わ、私のことだ!! 十五年前の件が……!」
罪状を見た佐々木が顔面を蒼白にして叫び、デスク上のインターホンを乱暴に叩いた。
名前こそ『数日以内のスキャンダルの中心にいる巨悪』と濁されている。だが、十五年前の建設汚職で部下へ罪を被せた政治家と聞けば、この場にいる誰もが佐々木義泰を連想する。
「せ、先生! やはり先生が狙われている! 早く逃げましょう!」
郷田も喚き散らしていた。
しかし、インターホンから聞こえてきたのは警備員の声ではなかった。
チー……という微かなノイズのあと、あの理知的で冷酷な男の声が響いた。
『――初めまして、佐々木先生。そして、真下刑事。やはり君は優秀だ。僕が用意した最高のショーの最前列に、こうしてちゃんと間に合ってくれたのだから』
「犯人……!」
私は腰のホルスターへ手を伸ばしながら、部屋の四隅に設置された監視カメラを睨みつけた。
犯人は、どこかからこの部屋をリアルタイムで見ている。
その一方で、久我晃一郎だけはソファに座ったまま、まるで面白い舞台でも観劇するように、無表情で画面を見つめていた。
『どうだい、佐々木先生。百万人もの愚かな大衆が、十五年間あなたが隠し続けてきた「嘘」の暴露に狂喜乱舞し、あなたの死を熱狂的に望んでいる。その気分は、どんなものですか?』
「ふざけるなッ! どこから入り込んだ! この松濤のセキュリティを、どうやって破った!」
佐々木が怒号を上げ、椅子から完全に立ち上がろうと腰を浮かせた、その瞬間だった。
『――ああ、動かない方がいい』
犯人の声が、氷のように冷たく鋭くなった。
その一言を聞いた瞬間、佐々木の野心的な目が大きく見開かれた。
「……く、久我先生……? しかし、こいつは私を……」
つい先ほどまで怒りに任せて怒鳴り散らしていた佐々木が、蛇に睨まれた蛙のように顔色を変え、しどろもどろになっている。
(……これが、本当の力関係か)
私は息を呑んだ。
佐々木は表向きこそ派閥の重鎮として大きな顔をしているが、彼をここまで引き上げたのは久我晃一郎だ。久我の前では完全に萎縮し、頭が上がらないのも当然だった。
実の息子の告別式を離れてまで、この密室で何が話し合われていたのか。
少なくとも、この部屋で本当の意味で権力を握っているのは佐々木ではない。
久我晃一郎――この男だ。
「十五年前の亡霊に取り憑かれたテロリスト、か」
久我は能面のような顔をこちらへ向け、薄く笑った。
「そういえば君は、昨夜の通夜に来ていたね。あの時も、どこか思い詰めたような鋭い目をしていた」
その言葉に、背筋が凍るような戦慄を覚えた。
政界の重鎮の通夜。数多くの弔問客が出入りする異常な熱気の中で、久我は遺族席から、最後尾近くへ紛れ込んでいた私の存在を正確に記憶していたのだ。
「それで?」
私の動揺を見透かすように、久我が続けた。
「そのテロリストの妄想は、何重ものセキュリティに守られたこの強固な屋敷の中にいる佐々木を、どうやって狙うと言うんだね。刑事くん」
久我の底知れない視線に晒されながら、私は佐々木が腰を沈めている巨大な漆黒のレザーチェアを指差した。
「……犯人は、標的が『自ら座る椅子』に細工をします」
尋常ではない悪寒が、背筋を駆け上がった。
「もし、先生が毎日座り続けているその玉座そのものが、清掃業者などに扮した犯人によって密かにすり替えられ、あるいは改造されていたとしたら?」
私は佐々木を真っ直ぐに見据えた。
「佐々木先生、その椅子から今すぐ立ってください!」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「な、なんだと……?」
佐々木が恐怖に顔を引き攣らせ、椅子から腰を浮かせようとした、まさにその時だった。
【正午(ゼロ)】
応接室の壁に設置されていた巨大な薄型テレビが、バチン、と音を立てて突然起動した。
同時に部屋の照明がすべて消え、スマートホームのコントロールパネルが狂ったように明滅を始める。続いて、室内のスピーカーというスピーカーから、耳障りなハウリング音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
佐々木が驚愕し、郷田も明らかにパニックを起こしている。
巨大テレビの画面に映し出されていたのは通常の放送ではなく、黒と赤を基調とした、あの毒々しい『大罪の椅子』の特設サイトだった。
アクセス数は凄まじい勢いで増え続け、画面中央には血のような赤い文字が大きく表示された。
【・虚偽(ウソ)】
【ターゲット:数日以内に世に放たれる、国家を揺るがす巨大スキャンダルの中心にいる『巨悪』】
【罪状:十五年前、忠実なる部下にすべての建設汚職の罪を被せて死に追いやり、その屍の上に権力の城を築いた厚顔無恥なる嘘つき】
「ひ、ひぃぃッ!! わ、私のことだ!! 十五年前の件が……!」
罪状を見た佐々木が顔面を蒼白にして叫び、デスク上のインターホンを乱暴に叩いた。
名前こそ『数日以内のスキャンダルの中心にいる巨悪』と濁されている。だが、十五年前の建設汚職で部下へ罪を被せた政治家と聞けば、この場にいる誰もが佐々木義泰を連想する。
「せ、先生! やはり先生が狙われている! 早く逃げましょう!」
郷田も喚き散らしていた。
しかし、インターホンから聞こえてきたのは警備員の声ではなかった。
チー……という微かなノイズのあと、あの理知的で冷酷な男の声が響いた。
『――初めまして、佐々木先生。そして、真下刑事。やはり君は優秀だ。僕が用意した最高のショーの最前列に、こうしてちゃんと間に合ってくれたのだから』
「犯人……!」
私は腰のホルスターへ手を伸ばしながら、部屋の四隅に設置された監視カメラを睨みつけた。
犯人は、どこかからこの部屋をリアルタイムで見ている。
その一方で、久我晃一郎だけはソファに座ったまま、まるで面白い舞台でも観劇するように、無表情で画面を見つめていた。
『どうだい、佐々木先生。百万人もの愚かな大衆が、十五年間あなたが隠し続けてきた「嘘」の暴露に狂喜乱舞し、あなたの死を熱狂的に望んでいる。その気分は、どんなものですか?』
「ふざけるなッ! どこから入り込んだ! この松濤のセキュリティを、どうやって破った!」
佐々木が怒号を上げ、椅子から完全に立ち上がろうと腰を浮かせた、その瞬間だった。
『――ああ、動かない方がいい』
犯人の声が、氷のように冷たく鋭くなった。
