椅子に座りますか

「虚偽……嘘つき、か」
「はい。ネット上では、次に選ばれるのは誰だ、また政治家か、それとも一昨日の会見で嘘をついた警察上層部か、と完全に祭り状態です。アクセス数は100万人に迫る勢いで、大衆は完全に狂乱状態です」

 私は画面を睨みながら、ゆっくり目を細めた。

 犯人はこれまで、社会の暗部に潜み続けてきた人間を狙っている。
 もし次の『虚偽』が過去に巨大な嘘をつき、その嘘を隠し誰かを踏み台にしながら今も特権階級の椅子へ座り続けている人間だとすれば。

(佐々木副大臣……)
 そして。
(久我晃一郎……)

 正午の候補者発表まで、あと二時間。
 これ以上、ネットの海を眺めていても真実へは辿り着けない。

「少し外へ出てくる。情報に動きがあったら、すぐ端末へ連絡をくれ」
 私はコートを羽織り、若手捜査員へそう告げて道場を後にした。
 背後からは、綾瀬管理官が他の捜査員たちへ的確な指示を飛ばす、冷静な声が聞こえていた。
 
*  *  *
 
 新宿署の重い回転扉を抜けると、昨夜から降り続いていた雨は完全に上がっていた。

 雲の切れ間から薄日が差し込み、濡れた東京のアスファルトを白く照らしている。
 私は駐車場へ向かいながら、内ポケットからスマートフォンを取り出し、裏の情報屋『カラス』への暗号化通信を立ち上げた。

 三度のコール音。

 やがて、無機質な電子音声が繋がった。
『やあ、真下。昨日はよく眠れたかい?』
「寝ている暇はない」
 私は歩きながら答えた。

「昨日の通夜で、殺された久我晃生が、かつて佐々木義泰の秘書をしていたという話を聞いた。爆殺された天楽建設の社長と、久我一族。この二つの点を繋ぐ線が、必ず佐々木の周辺にあるはずだ」
 通信の向こうで、カラスが短く息を吐く音がした。
『さすがだね。……ああ、君の言う通りだ』
「何か見つけたのか」
『俺もついさっき、ディープウェブの最深部で暗号化された過去のアーカイブを漁って、ようやくその「見えない糸」に辿り着いたところだ。正直、今回こうして調べるまで、俺自身もまったく知らなかった事実だがね』

 カラスの声が、一段低くなった。

『真下。今から十五年前、政界の裏で起きた「天楽建設・裏金事件」を知っているかい?』
「十五年前……? いや、全く知らない。何だ、それは」
『無理もない。現在三十二歳の君は、当時まだ十七歳の高校生だ。それに何より、この事件は表沙汰になる前に、警察と政界の強力な裏工作によって完全に揉み消されていた』

 私は思わず足を止めた。

「揉み消された事件……公共工事の汚職か?」
『その通りだ。公共工事の受注を巡って、億単位の裏金が動いた一大スキャンダルだった』

 カラスは淡々と続ける。
『だが、本格的にメスを入れる直前、天楽建設の桜工事部長が「すべて自分の独断でやったことだ」という遺書を残して自殺した。被疑者死亡。たった一人の死によって、事件は完全に幕引きとされた』
「典型的な、トカゲの尻尾切りというわけか」
『ああ』

 カラスの声に、微かな苛立ちが混じった。
『十五年前といえば、今ほど何でもオンラインで完結する時代じゃない。大口の裏金を、足のつきやすい露骨な電子送金で動かすような真似は避ける。現金、ダミー会社、名義、後援会、政治資金パーティー。そうしたアナログとデジタルの境目を何重にも重ねて、資金の流れを見えなくする』
「だが、何か記録が残っていたんだな」
『完全な形ではないがね』

 カラスは続けた。
『複雑な資金移動を管理するための裏帳簿や、ダミー法人の登記データ。連中自身も、いざとなった時の保身の切り札として、それらの一部を暗号化して電子データ化していたらしい』
「それが流出したのか」
『何年か経ってからな。派閥争いか何かの巻き添えで、断片的なデータがディープウェブの底へ流れた。ほとんどは死んだリンクか、破損したアーカイブだ』

 カラスの声が僅かに弾んだ。
『だが、そのゴミの山から十五年前の資金移動の痕跡を拾い直してみたら、面白いバイパス工事の跡が出てきたよ』
「バイパス?」
『裏金は、直接政治家の懐へ一円も入っていない』
「……どういうことだ」
『天楽建設から出た金は、おそらく複数のダミー団体を経由して、ある政治家の後援会への寄付や、政治資金パーティーのパー券購入という形で洗浄された』
「なんだって?」