椅子に座りますか

 ブラウザが強制的に立ち上がり、あの不気味な黒と赤を基調としたアンケートサイトが表示される。

 トップページに映し出されていたのは、市民ホールの控室だった。

 主賓用の豪奢な椅子、そこへ久我晃生が腰を下ろす瞬間を捉えた、隠しカメラの映像、ただし、爆発する瞬間は映されていない。

 久我が周囲を気にすることもなく、自分のために用意された椅子へ深く腰を下ろす。そこで映像は途切れ、再び最初へ戻る。
 何度も。
 何度も。
『彼は、自らその席を選んだ』
 犯人は、その事実だけを強調するように、同じ場面を延々と繰り返していた。
 その下のコメント欄には参加者はさらに膨れ上がっていた。

 六十万人。

 書き込みは、もはや文字として読むことが難しいほどの速度で流れていた。

『見たかよ!
 隠蔽警察が逃げた代わりに二世議員が炭になったらしいぞww』

『親のすねかじりのゴミが消えてマジで最高!
 次は誰だ!?』

『俺たちの投票で世の中が浄化されていく!
 もっとやれ!
 腐った特権階級を全部燃やせ!』

『次は「怠惰」か「色欲」か?
 早く新しい候補者のリストを出せ!!』

 画面から溢れ出しているのは、純粋で、無責任な狂気だった。

 彼らには、自分たちが殺人に加担しているという自覚など、ほとんどない。
 安全なディスプレイの向こう側。

 自宅。
 電車。
 職場。

 自分だけは決して血を浴びない場所から、自分より恵まれている人間が引きずり下ろされ、惨たらしく処刑されていく様子を、極上の娯楽として消費している。

「……これが、犯人の手口か」
 私はスマートフォンを強く握った。

 犯人は、自分の殺人を正当化するために、大衆の『ルサンチマン――嫉妬と怨恨』を徹底的に利用している。

 警察が真実を隠す。
 大衆が警察を疑う。

 犯人が、その隙間へ「自分こそが真実を暴く者」という顔で入り込む。

 そして、警察への不信が強まれば強まるほど、犯人は『ダークヒーロー』として祭り上げられていく。

 その熱狂に、新たな人間が加わる。
 さらに投票が増える。
 憎悪が膨らむ。まるで雪崩だった。

 一度動き始めれば、もはや誰にも止められない、もし警察が、このまま犯人を止められなければ。

 この狂騒はやがて、ネットの中だけでは収まらなくなる。
 社会全体が誰かを『悪』と決め、誰かを『裁く』ことに酔い。

 数の暴力を正義と信じるようになれば、その先に待っているのは、制御不能のパニックだ。

 その時サイトの画面が、一度大きく明滅した。
 コメント欄が消える。中央に、血のような赤い文字が浮かび上がった。

【次なる大罪・虚偽】
 続いて。
【候補者の発表は、明日正午】
「……虚偽」
 私はその二文字を睨みつけた。

 次の大罪、次の標的。
 犯人は、すでに動き始めている。

 明日の正午、それまでに新たな『大罪人』を選び出し、六十万人へ提示し再び。大衆の殺意を一人の人間へ集中させるつもりだ。

 タイムリミットが設定された。

 私はスマートフォンを助手席へ置き、シフトレバーへ手を伸ばした。
 明日までにどうしても確かめなければならないことがある。
 アクセルを踏み込む、タイヤが濡れた路面を噛み、セダンが勢いよく走り出した。
 私は雨に濡れる夜の街へ、再び車を滑り込ませた。

  * * *