本庁や所轄から集められ、捜査情報を直接共有する刑事たち――およそ五十名が、一斉に巨大なホワイトボードへ顔を向けた。
壁際に急造されたサイバー犯罪対策課や通信班のブースでは、依然として無数のモニターが光り、キーボードを叩く音が続いている。
その中で、特捜本部の中心だけが、急速に張り詰めていった。
ホワイトボードには、一昨日の天楽建設社長。
そして昨日の久我晃生議員。
二件の爆殺事件のタイムラインが、凄惨な現場写真と共に克明に記されている。
捜査員たちが、それぞれ足で稼いだ情報を報告していく。
私は一番後ろの席で腕を組み、その声を聞きながら、思考の深淵へ潜っていた。
犯人は、郷田が昨日の正午に記者会見へ出席し、壇上の『特等席』へ座ることを完璧に見越して爆弾を仕掛けていた。
それだけではない。
私が江東区の地下施設で第一ゲートウェイを破壊し、郷田への起爆を止めた瞬間。
システムは寸分の狂いもなく、第二候補である久我晃生へ標的を切り替えた。
しかも。
久我晃生がその時間、市民ホールの控室に滞在していること。
一人になる時間帯。
警備の配置。
そうした情報は、本来、関係者以外へ簡単に漏れるものではない。
(サイバー空間からのハッキングだけで、ここまで完璧に人間の動きを読めるものか?)
答えは否、どれほど天才的なハッカーであっても。
直前に変更された警察の配置や、人間の突発的な行動まで、すべてを完全に予測することなど不可能だ。
ならば、残る仮説は一つしかない警察内部に犯人と繋がっている人間がいる。
『内通者』
『スパイ』
私は、熱心にメモを取る刑事たちの背中を、一人ずつ静かに見回した。
捜査の中核にいる刑事だけでも、すでに五十人。
特捜本部全体なら百五十名を超える。
人間が増えれば、情報に触れる者も増える。
誰が狐で。
誰が狸なのか。
見分けることは、さらに難しくなる。
こちらが新しい捜査情報を共有するたび。
その瞬間に、同じ情報が、犯人のもとへ流れている可能性がある。
郷田は、自分の面子と出世、そして私をどう利用するかしか考えていない。
本庁から来た綾瀬管理官が、内部の状況をどこまで把握しているのかも分からない。
(誰も信じられない)
胸の奥が強く締めつけられた。
(この部屋の中の誰かが、悪魔へ情報を売っている)
だが。
組織が信じられないなら、自分の足で歩けばいい、自分の目で見ればいい。
そして、自分で真実を掴み取る。
私はポケットの中で拳を握り締め、静かに席を立った。
郷田の監視の目を避けるように道場を抜ける。
向かう場所は、決まっていた。
昨日。
『大罪の椅子』
が火を噴いた、あの現場だ。
* * *
杉並区にある市民ホールは、昨日の華やかな熱気が嘘だったかのように、冷たい雨の中で静まり返っていた。
正面入り口には、立ち入り禁止を示す黄色いテープが幾重にも張られている。
私は重い足取りで、控室へ続く廊下を進んだ。
現場へ近づくにつれ、焦げ臭さが強くなる。
そこへ消毒液の匂いが混じり、胃の奥から何かがせり上がってくるような不快感に襲われた。
「待て、真下」
控室のドアの前。
防護服に身を包んだ初老の男が、私を呼び止めた。
「お前、謹慎はどうしたんだ」
鑑識課のベテラン、柴田(しばた)だった。
私の義父・修造とは若い頃からの戦友であり、臨場――現場検証の鬼と呼ばれてきた男だ。
「今日から捜査に戻りました」
私は答えた。
「……柴田さん。状況は?」
柴田は防護マスク越しに、深く重い溜息を吐いた。
「中に入りな」
そして。
「ただし……何も見つからなくても、驚くなよ」
私は眉を寄せた。
ドアを開ける。
一歩、中へ踏み込んだ瞬間。
異様な光景に、思わず息を呑んだ。
室内の調度品は爆風でなぎ倒され、壁のクロスは真っ黒に焦げ付いている。
そして、部屋の中央。
久我晃生が座っていた、主賓用の豪奢な革張りの椅子。
そこは、まるで巨大な何かにえぐり取られたかのような、すり鉢状の黒焦げのクレーターへ変わっていた。
何より異常なのは。
壁にも、床にも、赤黒い血痕が、一つとして見当たらないことだった。
飛び散った木片、焦げたウレタン、金属の破片。
だが、人間の肉片すら、見当たらない。
「手口は、グランドホテル東京の天楽建設社長の時と全く同じだ」
柴田がクレーターを指差した。
「ただの小型爆弾じゃない。軍用レベルの爆薬に加えて、数千度の超高温を発生させる特殊な焼夷弾が仕込まれていた」
「……」
「久我が椅子へ深く腰を下ろした瞬間を見計らって、遠隔操作で起爆したんだろう」
柴田は焦げた床へ視線を落とした。
「爆発と同時に、太陽みたいな炎が一気に噴き上がった。遺体も椅子も完全に蒸発した。細胞の欠片一つ残っちゃいない」
低い声。
「文字通り、この世から『消去』されたんだよ」
「……そこまで徹底して」
「ああ」
柴田は頷いた。
「ただ殺すだけじゃない。跡形もなく焼き尽くす。それだけの、底知れない殺意がある」
私は焦げた部屋をゆっくり見回した。
久我晃生という人間の命を奪うだけでは足りない。
特権階級に生きてきた人間が。
自分の「特等席」で何も残さず消える。
その事実そのものを犯人は、世界へ見せつけようとしている。
「それと、真下」
柴田が言った。
「……今回も『例のやつ』が残っていたぞ」
「例の……?」
柴田はクレーターの縁へしゃがみ込んだ。
椅子の金属フレームの残骸、熱でひしゃげた裏側にそこへライトを当てる。
「数千度の熱で周囲は全部炭化してる」
柴田が指を差した。
「なのに、この金属の裏側だけは、爆風と熱波の死角になるよう計算されている。しかもミリ単位だ」
その隙間に一枚の透明なプラスチックシールが貼られていた。
「耐熱処理までされてた」
おぞましいほど整ったゴシック体。
たった一言。
『椅子に座りますか』
壁際に急造されたサイバー犯罪対策課や通信班のブースでは、依然として無数のモニターが光り、キーボードを叩く音が続いている。
その中で、特捜本部の中心だけが、急速に張り詰めていった。
ホワイトボードには、一昨日の天楽建設社長。
そして昨日の久我晃生議員。
二件の爆殺事件のタイムラインが、凄惨な現場写真と共に克明に記されている。
捜査員たちが、それぞれ足で稼いだ情報を報告していく。
私は一番後ろの席で腕を組み、その声を聞きながら、思考の深淵へ潜っていた。
犯人は、郷田が昨日の正午に記者会見へ出席し、壇上の『特等席』へ座ることを完璧に見越して爆弾を仕掛けていた。
それだけではない。
私が江東区の地下施設で第一ゲートウェイを破壊し、郷田への起爆を止めた瞬間。
システムは寸分の狂いもなく、第二候補である久我晃生へ標的を切り替えた。
しかも。
久我晃生がその時間、市民ホールの控室に滞在していること。
一人になる時間帯。
警備の配置。
そうした情報は、本来、関係者以外へ簡単に漏れるものではない。
(サイバー空間からのハッキングだけで、ここまで完璧に人間の動きを読めるものか?)
答えは否、どれほど天才的なハッカーであっても。
直前に変更された警察の配置や、人間の突発的な行動まで、すべてを完全に予測することなど不可能だ。
ならば、残る仮説は一つしかない警察内部に犯人と繋がっている人間がいる。
『内通者』
『スパイ』
私は、熱心にメモを取る刑事たちの背中を、一人ずつ静かに見回した。
捜査の中核にいる刑事だけでも、すでに五十人。
特捜本部全体なら百五十名を超える。
人間が増えれば、情報に触れる者も増える。
誰が狐で。
誰が狸なのか。
見分けることは、さらに難しくなる。
こちらが新しい捜査情報を共有するたび。
その瞬間に、同じ情報が、犯人のもとへ流れている可能性がある。
郷田は、自分の面子と出世、そして私をどう利用するかしか考えていない。
本庁から来た綾瀬管理官が、内部の状況をどこまで把握しているのかも分からない。
(誰も信じられない)
胸の奥が強く締めつけられた。
(この部屋の中の誰かが、悪魔へ情報を売っている)
だが。
組織が信じられないなら、自分の足で歩けばいい、自分の目で見ればいい。
そして、自分で真実を掴み取る。
私はポケットの中で拳を握り締め、静かに席を立った。
郷田の監視の目を避けるように道場を抜ける。
向かう場所は、決まっていた。
昨日。
『大罪の椅子』
が火を噴いた、あの現場だ。
* * *
杉並区にある市民ホールは、昨日の華やかな熱気が嘘だったかのように、冷たい雨の中で静まり返っていた。
正面入り口には、立ち入り禁止を示す黄色いテープが幾重にも張られている。
私は重い足取りで、控室へ続く廊下を進んだ。
現場へ近づくにつれ、焦げ臭さが強くなる。
そこへ消毒液の匂いが混じり、胃の奥から何かがせり上がってくるような不快感に襲われた。
「待て、真下」
控室のドアの前。
防護服に身を包んだ初老の男が、私を呼び止めた。
「お前、謹慎はどうしたんだ」
鑑識課のベテラン、柴田(しばた)だった。
私の義父・修造とは若い頃からの戦友であり、臨場――現場検証の鬼と呼ばれてきた男だ。
「今日から捜査に戻りました」
私は答えた。
「……柴田さん。状況は?」
柴田は防護マスク越しに、深く重い溜息を吐いた。
「中に入りな」
そして。
「ただし……何も見つからなくても、驚くなよ」
私は眉を寄せた。
ドアを開ける。
一歩、中へ踏み込んだ瞬間。
異様な光景に、思わず息を呑んだ。
室内の調度品は爆風でなぎ倒され、壁のクロスは真っ黒に焦げ付いている。
そして、部屋の中央。
久我晃生が座っていた、主賓用の豪奢な革張りの椅子。
そこは、まるで巨大な何かにえぐり取られたかのような、すり鉢状の黒焦げのクレーターへ変わっていた。
何より異常なのは。
壁にも、床にも、赤黒い血痕が、一つとして見当たらないことだった。
飛び散った木片、焦げたウレタン、金属の破片。
だが、人間の肉片すら、見当たらない。
「手口は、グランドホテル東京の天楽建設社長の時と全く同じだ」
柴田がクレーターを指差した。
「ただの小型爆弾じゃない。軍用レベルの爆薬に加えて、数千度の超高温を発生させる特殊な焼夷弾が仕込まれていた」
「……」
「久我が椅子へ深く腰を下ろした瞬間を見計らって、遠隔操作で起爆したんだろう」
柴田は焦げた床へ視線を落とした。
「爆発と同時に、太陽みたいな炎が一気に噴き上がった。遺体も椅子も完全に蒸発した。細胞の欠片一つ残っちゃいない」
低い声。
「文字通り、この世から『消去』されたんだよ」
「……そこまで徹底して」
「ああ」
柴田は頷いた。
「ただ殺すだけじゃない。跡形もなく焼き尽くす。それだけの、底知れない殺意がある」
私は焦げた部屋をゆっくり見回した。
久我晃生という人間の命を奪うだけでは足りない。
特権階級に生きてきた人間が。
自分の「特等席」で何も残さず消える。
その事実そのものを犯人は、世界へ見せつけようとしている。
「それと、真下」
柴田が言った。
「……今回も『例のやつ』が残っていたぞ」
「例の……?」
柴田はクレーターの縁へしゃがみ込んだ。
椅子の金属フレームの残骸、熱でひしゃげた裏側にそこへライトを当てる。
「数千度の熱で周囲は全部炭化してる」
柴田が指を差した。
「なのに、この金属の裏側だけは、爆風と熱波の死角になるよう計算されている。しかもミリ単位だ」
その隙間に一枚の透明なプラスチックシールが貼られていた。
「耐熱処理までされてた」
おぞましいほど整ったゴシック体。
たった一言。
『椅子に座りますか』
