椅子に座りますか

 サーバーを囲むようにして、何十枚ものモニターが円形に配置されていた。

 そのすべてに、現在のアンケートサイトの投票状況。
 SNSのコメントが増え続ける数字。

 死を望む言葉、それらが滝のように流れていた。

 まるで、大衆の狂気を、この部屋の中央へ集約するために作られた祭壇。

 私は鉄パイプを握ったまま、ゆっくりと部屋の中央へ近づいた。
 その瞬間、カチッ微かな電子音が響いた。

「……!」

 周囲のモニターが一斉に暗転する。
 次の瞬間すべての画面へ真っ黒な背景。
 脈打つ赤い波形、あの映像。

『――よく来たね、真下刑事』

 スピーカーから声が響いた。

『いや。さすがと言うべきか』

 私は即座に鉄パイプを構え、周囲を見回した。

 だが。

 誰もいない。

『謹慎中の身で、たった一人で僕のシステムの中枢まで辿り着くとは』
「姿を現せ!」
 私は叫んだ。
 声が、広い地下室へ反響する。
「貴様のふざけたゲームもここまでだ!」

 サーバーラックへ鉄パイプの先を向ける。
「ここを止めれば、次の処刑も止まる!」

 犯人が小さく笑った。
『どうぞ』
「……何?」
『その鉄の棒で、叩き壊せばいい』

 あまりにもあっさりした返答だった。

『物理的に破壊されれば、システムは停止する』

 私は振り上げかけた腕を止めた。

 おかしい、私が犯人の機械システムまでたどり着いたというのに、そんな簡単に負けを認める?あり得ない!

『ただ』

 犯人の声が、僅かに低くなった。
『その前に、一つだけ教えてあげよう』

「……」

『今、ぶっちぎりのトップである郷田管理官の【傲慢の椅子】』
 赤い波形が、嘲笑うように揺れる。
『僕は、どうやってそこへ爆弾を仕掛けたと思う?』
「……何?」
『警視庁の中枢は、セキュリティの塊だと思っているだろう?』
 私は黙った。
『でも、外部の業者が大勢出入りする記者会見の会場設営となれば、話は別だ』
「まさか……」

 全身から血の気が引いていく。

『そう』
 声が笑う。
『彼が座る予定の「特等席」だよ』
「……椅子に……?」
『壇上に用意された、管理官用の椅子』

 私は時計を見た。
 午前十一時五十五分。

 正午まで。

 あと五分。

『そこにはもう、仕掛けがある』
「……!」

 背筋が凍りついた。

 今ごろ郷田は、警視庁本部の講堂で開かれる記者会見へ向かっているはずだった。会場には無数のカメラと報道陣が詰めかけ、その中央には、誰よりも偉そうな顔をして、自分のために用意された『特等席』へ腰を下ろそうとしている郷田の姿がある。

『さあ、ここからが最後の問題だ。真下刑事』

 犯人の声が静かに響いた直後、モニターに表示されていた赤い波形が消え、代わりに二つの映像が左右に並んだ。

 右側に映し出されたのは、現在の警視庁本部の講堂だった。マスコミがひしめく会場の壇上には高山本部長の姿があり、その横へ、険しい顔と傲慢な態度を崩さない郷田がゆっくりと歩いていく。

 一方、左側の画面には、ネット上で今も続いている投票とコメント欄が映し出されていた。

『郷田を殺せ』
『傲慢ポリスに一票』
『早く爆発しろ』

 顔も名前も分からない大衆の言葉が、画面を埋め尽くしていく。それと同時に、郷田へ投じられる票数も休むことなく増え続けていた。

『君の目の前にあるシステムを壊せば、次の処刑は止まる』

 犯人の声が、冷たい地下室へ静かに響いた。
 私は手にした鉄パイプを強く握り締めた。

『当然、郷田の命も助かる』
「だったら――」
『だが、考えてもみてほしい』

 私が言葉を発しかけたところで、犯人の声がそれを遮った。
 私は黙ったまま、左側の画面へ視線を向けた。

 表示されている投票数は、すでに十五万票を超えている。それでも数字は止まらず、今この瞬間にも一票、また一票と積み重なっていく。

『今、この瞬間も、十五万人を超える大衆が――郷田の死を望んでいるんだ』

 犯人の声が、まるで耳元で囁く悪魔のように、冷え切った地下室へ静かに響き渡った。

『彼らは、特権階級が罰せられるエンターテインメントを渇望している』

 犯人の声が、冷たい地下室の隅々にまで染み込んでいく。
『もしここで起爆が止まれば、大衆の「嫉妬」と「怒り」は行き場を失う。自分たちの一票で裁きを下せると信じ込んだ人間たちは、裏切られたと感じるだろう。逆に、ここで郷田が死ねば、彼らの熱狂は満たされる。「自分たちが正義を下した」というカタルシスを得て、一時的に鎮静化する。一つの傲慢な命と引き換えにね』

 私は、鉄パイプを握る自分の手が震えていることに気づいた。
 犯人が私をここまで誘導した本当の理由が、ようやく分かった。

 サーバーを守るためではない。
 郷田を殺すためだけでもない。
 奴が試そうとしているのは――私の「正義」そのものだ。

『正義の刑事である君は、今、十五万人の大衆が示した「民意」に逆らってまで、あの腐敗しきった傲慢な上司の命を救うのか?』

 モニターの右側では、郷田が記者会見場の壇上へ向かって歩いている。

『それとも、大衆の熱狂に身を委ね、そのまま「正当な裁き」を見届けるのか?』
「……貴様は、悪魔か」
 絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 だが、犯人は動じない。
『言ったはずだ。これは鏡だよ』
「……」
『君自身の中にある正義が、本物なのか偽物なのか。それを映し出す鏡だ』

 わずかな沈黙の後、男は楽しむように続けた。
『さあ、タイムリミットまで残り一分。特等席の掃除を止めるか、それとも見届けるか。決断するのは君だ、真下刑事』

 地下室のモニターに、大きなデジタル表示が現れた。