* * *
私は、車で仮眠を少し取ることにした。
夜が明けた。東京の空は、厚い雲に覆われていた。
午前十時。
寝過ぎてしまった。
タイムリットまで、残り2時間!
眠たい目を擦りながら助手席に置いたスマートフォンを開いた、例の特設サイトが表示されている。
そこに刻まれた数字を見て、私は眉をひそめた。
総投票数――十三万票。
深夜の段階では拮抗していた四人の「大罪人」への票が、朝になって一気に動き始めている。
原因は明白だった、朝のニュース番組。
各局が、この異常な特設サイトの存在を、モザイクや伏せ字を交えながらも大々的に報じてしまった。
その結果、好奇心に駆られた野次馬たちが、一斉にサイトへなだれ込んだのだ。
そして現在のトップは、他でもない。
警視庁特捜本部の現場指揮官。
『傲慢(プライド)』
郷田管理官だった。
『警察の隠蔽、マジで許せない!』
『無能な警察トップに鉄槌を!
俺たちの力で社会を変えようぜ!』
『傲慢ポリスに一票www
爆発するところ生配信してくれ!』
書き込みは、猛烈な勢いで増え続けている。
大衆の怒りは、明確に「特権階級としての警察」へ向けられていた。
自分たちの税金で給料をもらい。
偉そうに振る舞い、真実を隠し、しかもテロリストに後れを取っている。
その不満のすべてが、動画によって顔を晒された郷田という、あまりにも分かりやすい標的へ集中していた。
私は江東区の臨海エリアへ向かって車を走らせながら、ハンズフリーで郷田の直通回線を呼び出した。
何度目かのコールでようやく繋がる。
『……誰だ。私は今、マスコミ対応の準備で忙しい』
「真下です」
一瞬、向こうが黙った。
「郷田管理官。今すぐ安全な地下施設か、防護設備の整った場所へ避難してください」
『真下だと?』
「ネットの投票で、あなたが次の標的に選ばれようとしています!」
『貴様、謹慎中の身でどこからこの回線に――』
「私の処分など、どうでもいい!」
私は声を荒らげた。
「犯人は本気です! 天楽建設の社長をピンポイントで殺した手口を見れば分かるでしょう!」
『……』
「奴の仕掛けは、すでにあなたの『特等席』へ届いている可能性があるんです!」
数秒。
沈黙。
そして、郷田は、鼻で笑った。
『お前も、世間の愚民どもと同じように、あのふざけたアンケートに怯えているのか?』
「郷田管理官!」
『馬鹿馬鹿しい』
冷たい声。
『私は今から正午に、警視庁本部の講堂で高山本部長と共に大々的な記者会見を開く』
「……正午?」
『昨日の事態や、あのサイトについて、都民の不安を払拭するための説明を行うのだ』
「説明って……」
私は思わず声を強めた。
「まだ犯人の手掛かりすら掴めていないのに、どうやって納得させるつもりですか!」
郷田は、悪びれる様子もなかった。
『事実を馬鹿正直に話す必要はない』
「……何?」
『警察は総力を挙げて、見えざる脅威へ立ち向かっている』
郷田は淡々と続ける。
『その「姿勢」を見せればいい』
「姿勢?」
『サイトの悪質さを説き、マスコミと大衆さえ味方につけてしまえば、世論などどうとでもコントロールできる』
私は言葉を失った。
『ネットの底辺で喚くテロリストごときが、この私を裁けるものか!』
そして。
『私は国家の正義の中心に座る人間だぞ!』
プツッ、通信は一方的に切られた。
「……っ!」
私はハンドルを強く叩いた。
己の非を認めない、大衆など、言葉一つで操れると思っている。
見栄。
面子。
出世。
そして、自分だけは常に正しいという思い込み。
それこそが、犯人が郷田へ与えた罪名。
『傲慢』
そのものだった。
しかも、犯人は、そこまで読んでいたのではないか、郷田が警告を無視する。
世論を自分の力で操れると思い込む。
そして、あえて表舞台――記者会見へ姿を現す。
その傲慢さまで見越した上で、最初から標的に選んでいた。
やがて、カラスから渡された地図が示す場所へ辿り着いた。
江東区の臨海部の廃プラント。
私は車を停めた場所には錆びついたフェンス、伸び放題の雑草にひび割れたコンクリート、人の気配はない。
遠くから海鳥の鳴き声が聞こえるだけだった。
私はフェンスを越え、敷地内へ足を踏み入れた。
隅に、赤錆びた鉄パイプが転がっているので、私はそれを拾い上げた。
分厚い扉をこじ開けるために、そして必要なら内部の設備を物理的に停止させるためだ。
警察手帳も、組織の後ろ盾もない
今の私に残されているのは、この鉄の棒と、真実を抉り出すための、刑事としての泥臭い執念だけだった。
私は錆びついた重い扉をこじ開け、闇に包まれた地下排水施設へ足を踏み入れた。
内部は異様な冷気に包まれていた。
カビ、錆、湿ったコンクリートの匂い。
スマートフォンのライトだけを頼りに、巨大なコンクリート柱と、迷路のように入り組んだ配管の間を進んでいく。
地下へさらに地下へ、階段を下るたびに、外の音が遠ざかる。
「……何だ、これは」
地下三階、最深部。
かつて制御室として使われていたと思われる部屋へ辿り着いた私は、思わず足を止めた。
そこだけが、廃墟ではなかった。
部屋の中央には、周囲の朽ちた設備とは明らかに不釣り合いな最新型のサーバーラックが置かれていた。
無数のLEDランプが、不気味な緑色の光を明滅させている。
だが、異様なのは、それだけではない。
