鹿児島で大失敗した私が、桜島の溶岩でサムギョプサルを焼く理由


灰が舞う薄暗い路地裏を、あてもなく歩いていた。
濡れタオルもないままスーツを手で払えば払うほど、火山灰特有の微細な油脂とガラス質の粉末が生地の奥へと染み込んでいくようだった。
顔を上げることすらできず、うつむいたまま重い足取りを進める。

ふと、古びた雑居ビルの片隅に、ハングルと日本語が混ざった小さな看板を見つけた。
『韓国家庭料理 桜島溶岩焼き 』

雑居ビルの地下へと続く、蛍光灯がチカチカと点滅する薄暗い階段。
その階段の底から、地上に向かってブワッと温かい煙と強烈な匂いの塊が押し寄せてきていた。

香ばしいごま油の芳醇な香り、熟成されたキムチの爽やかな酸味、ニンニクの食欲をそそる芳しいシゲキ、そして何より、丁寧に仕込まれた豚肉の脂がじっくりと焼けるジューシーで甘い香ばしさ。
その匂いをダイレクトに鼻腔で嗅いだ瞬間、朝から極度の緊張とプレッシャーのあまり何ひとつ喉を通っていなかった私の胃袋が、グウと小さく情けない悲鳴を上げた。

吸い寄せられるように吸い込まれ、階段を降りる。突き当たりの重い木製扉を、縋るような思いで押し開けた。

「いらっしゃい! お姉さん、今日灰すごいね! あーあ、素敵なスーツが台無しだ」

ガラガラと音を立てて扉を開けるなり、カウンターの奥から真っ先に声をかけてくれたのは、小柄だが派手なエプロンをつけ、くるくるとよく動く大きな瞳をした元気いっぱいのオモニ(お母さん)だった。
オモニは私の入店時のボロボロな姿を見るなり、急いで手元の作業を止め、湯気が立ち上るアツアツの温かいおしぼりを二枚、ポンと差し出してくれた。

「あ、ありがとうございます……」

手渡されたおしぼりで顔や首元、そしてスーツをそっと拭うと、真っ白だったタオルが一瞬で薄汚れた灰色に染まっていた。
スーツの灰が払われ綺麗になると、さっきまでの激しい目の痛みと肌のザラつきも、スッと引き去っていったように感じる。

「……すみません、ひとりなんですけど、いけますか」
「もちろん! 灰が降る中、わざわざ来てくれたんでしょ? ほら、カウンターの端っこへどうぞ!」

店内に置かれているのは、使い込まれた丸パイプの椅子と丸テーブルが三つ、そして数席の小さなカウンターのみ。
決して気取った店ではない。だが、店内に充満する肉の匂いと煙、そしてあちこちに貼られた手書きのメニューカードが、どこか異国のお家にお邪魔したような、包み込むような安心感を醸し出していた。

案内されたカウンター席に着くと、私の目の前には見たこともない漆黒の石板がドスンと鎮座していた。
よくある焼肉屋の鉄板や網ではない。
分厚く重厚な石の板だ。
表面には火山岩特有の不揃いな気泡がたくさん空いており、プレート全体に緩やかな傾斜がつけられている。
そして、傾いた一番低い方の端には、小さなステンレスのカップがちょこんと添えられていた。

「オモニ、この石……何ですか?」
「桜島の溶岩だよ。うちのはね、本物の桜島の溶岩を切って作った溶岩プレート。遠赤外線効果がすごいから、お肉の表面だけ焦げずに、中までふっくらジューシーに熱が通るの」

オモニは手際よくガスコンロに火をつけ、真っ黒な溶岩プレートを温め始めた。
そして、私がメニューを開く間もなく「一人なら絶対にサムギョプサルね!」と弾んだ声で言い、仕込み用のバットからピンク色と白い脂身が美しい層をなす、指の太さほどもある分厚い鹿児島県産豚バラ肉の塊をふたつ、溶岩の上にドカンと載せた。

ジュウウウッ——!

静かな店内に、水滴が弾けるような激しくも心地よい音が響き渡る。
思わず目が釘付けになった。
溶岩プレートが熱を帯びるにつれて、最初は淡いピンク色だった厚切り肉の芯まで熱がじわじわと通り、表面にツヤツヤとした澄んだ肉汁が浮き出し始める。
ジワジワと溢れ出てくる無数の脂の粒。

驚いたのは、その溢れ出た脂の動きだった。
肉から次々と湧き出る脂は、溶岩プレートの緩やかな傾斜を滑り台のようにすーっと滑り落ち、プレート端の穴から下のステンレスカップへとポタポタと落ちて捨てられていくのだ。

「溶岩は表面の温度が高くなりすぎないで、熱を逃がさないからね。肉の旨味をしっかり閉じ込めながら、余分な脂だけをこうして外に逃がすのよ」

オモニが手慣れた手つきでトングとハサミを鮮やかに操り、長い肉塊を一口大の大きさにカットしていく。
ハサミを入れるたびにサクッ、サクッと軽い音が響く。切り口はきれいな桜色で、肉の表面は綺麗なキツネ色へと変わっていく。

「はい、まずはエゴマの葉に包んで、この自家製サムジャン(包み味噌)と、鹿児島のニンニク醤油漬けを載せて召し上がれ」

言われた通り、指先にエゴマの葉を一枚広げる。
独特の清涼感ある香りが広がる葉の上に、カリカリに焼けた厚切り肉、熟成されたコクのある赤味噌、そして醤油漬けになって透き通ったニンニクを一片。
贅沢にくるりと包み込み、そのまま一口で口へ放り込んだ。

——!!!

おいしい。
信じられないくらい、おいしい。
歯を立てた瞬間、お肉の表面のカリッとした香ばしい食感。
その直後、口いっぱいに広がるのは、余分な脂が完璧に削ぎ落とされた豚肉の、どこまでも澄んだ純粋で濃厚な旨味だ。
豚バラ肉特有のしつこさや重さが全くない。
そこにエゴマの葉の爽やかな風味と、サムジャンのピリッとしたコク深い甘辛さ、そしてじっくり漬け込まれたニンニクの旨味が完璧なハーモニーとなって一気に押し寄せてくる。

「あの……マッコリ、もらっても、いいですか」

気がつくと、夢中で噛み締めながら思わず声が出ていた。
オモニがニッコリと笑顔を浮かべ、キンキンに冷えた丸いカメから大きなガラス杯に白いマッコリを並々と注いでくれる。
それを両手で持ち、一気に喉へと流し込んだ。

カァーッと喉を通り抜ける微炭酸の爽快感と、米由来のまろやかな甘み。
焼きたてのお肉の旨味と冷たいマッコリが口の中で合わさった瞬間、さっきまで胃の底で冷たくドロドロと固まっていた敗北感と恐怖、そして絶望的な疲労感が、温かいスープのようにスルスルと解けていくのが分かった。

「……すごく、美味しいです。生き返るみたい」
「ふふ、良い食べっぷり! 人間、お腹が空いてると悲しいことばかり考えちゃうからね。どんどん食べなさい」

肉をもうひと包み口に運びながら、私は目の前でポタポタと脂を落とし続ける溶岩プレートを、食い入るように見つめていた。