鹿児島で大失敗した私が、桜島の溶岩でサムギョプサルを焼く理由


「痛っ……!」

思わずその場に立ち止まり、激しい痛みに耐えるように両手で顔を覆った。
突風とともに路上を吹き抜けた細かい砂粒のような塊が、容赦なく右目へと飛び込んできたのだ。
目の奥を直接針で突き刺されたかのような激痛が走り、反射的に大量の涙が溢れ出していく。

「なに? 突然……」

目を開けようとしても、これまでに経験したことのない異物感と刺すような痛みに、瞼が引きつって全く開かない。
ただのホコリや小さなゴミじゃない。
瞬きを繰り返すごとに、目の中で硬い砂利が擦れ合うようなゴロゴロとした感触が走り、涙腺が壊れたかのように涙が溢れ続ける。
溢れ出る涙を拭うことすらできず、溢れるままに頬を伝わせ、アゴの先から滴らせる。
そうやって流し出そうとしない限り、右目の中の凄まじい異物は決して取り除けなさそうだったから。

けれど、右目を襲う肉体的な激痛以上に私の胸を力任せに押し潰していたのは、今日この鹿児島という初めて足を踏み入れた街で味わった、吐き気をもよおすほどの情けなさと敗北感だった。

涙と痛みで酷く滲む左目の視界を無理やり指先で拭い、自分の下半身へと視線を落とす。
この勝負出張のために新調したばかりの、ネイビーの細身のパンツスーツ。
その上質な生地の上に、グレーの微細な粉末がひと粒、ぽつりと落ちていた。

……いや、ひと粒どころではない。
ジャケットの美しい肩のラインにも、折り目のついた袖口にも、そして足元に置いた黒い本革のビジネスバッグの表面にも。
まるで強力な静電気に吸い寄せられるかのように、微細な灰色の砂がしんしんと降り積もっていく。

「うそでしょう……これ、桜島の灰……?」

東京からのひとり出張。
九州新幹線が発着する鹿児島中央駅から路面電車に揺られて、九州有数の繁華街・天文館へと向かう路上でのことだった。
ふと空を見上げると、天気予報通りの快晴のはずだった青空の向こう側に、不気味な存在感でそびえ立つ巨大な桜島が、まるで巨大な工場の煙突のように太く黒い煙をモクモクと空高く吐き出していたのだ。

路上を行き交う地元の人々は、誰一人として慌てる様子もない。
手慣れた動作でバッグから折りたたみ傘を取り出し、パッと頭上に開いて優雅に歩き出していく人もいれば、近くのアーケードやビルの軒下にサッと退避していく人もいる。
東京からやってきた入社三年目の大手ITコンサル会社社員——矢野みずきには、傘を開く余裕なんて1ミリも用意されていなかった。

——大失敗だ。
完全にやらかした。

頭の中で、先ほど終わったばかりの打ち合わせの光景が、悪夢のフィルムのように何度も何度も鮮明に再生される。

『矢野さんさぁ、うちの現場のこと何にも分かってないでしょう。綺麗事の提案書なら東京でやってよ』

地元最大手の流通総合企業「南九州物産」の本社応接室。重厚な革張りソファの向かい側で、常務取締役兼営業部長の新庄(しんじょう)氏が浮かべた、あの氷のように冷ややかな苦笑い。
私がこの半年間、連日深夜まで残業を重ね、プライベートのすべてを犠牲にして準備してきた企画書。
最新の技術やAI解析をちりばめ、東京の大手ECサイトや首都圏店舗での成功トレンドを網羅した「最先端で先進的な提案」のつもりだった。

けれど、それはこの街の人々が何十年もかけて培ってきた地元の商人文化や、現場の人間関係の熱気を何ひとつ踏まえていない、ただの薄っぺらで高飛車な空論に過ぎなかったのだ。

『東京ではこれが当たり前ですから』
『最新のAI顧客行動解析を導入すれば、現場の人手不足なんて一発で解決しますよ』

新城部長の苦言を聞く直前、私がドヤ顔で自信満々に言い放ったセリフを思い出すだけで、全身の毛穴から嫌な汗が吹き出していく。
なんて愚かで、なんて浅はかだったのだろう。
自分では「地方の古いビジネスを最新テクノロジーで救ってやる、デキる若手コンサルタント」を気取っていたけれど、彼らの目には「現場の汗も匂いも知らない青二才が、上から目線で東京の聞きかじりの知識をひけらかしに来た」としか映っていなかったのだ。

応接室に同席していた、現場叩き上げの店舗統括・桐島氏の険しい表情も思い浮かぶ。

『矢野さん。うちの売り場のパートさんたちが、毎朝どれだけお客様の顔と名前を覚えて“今日はお孫さんどうなった?”って声をかけてるか知ってるかい? パートさんを削ってレジを無人化して、AIがおすすめのクーポンを出せば客が増える? そんな冷たい店、鹿児島じゃ誰も通わんよ』

言葉が出なかった。
私の作った数十ページに及ぶスライドのどこにも、現場で働く人たちの「顔」や「声」は描かれていなかった。
ただの数字と、効率化のグラフと、カタカナの最新用語が並んでいるだけだった。

オフィスを出た直後、ポケットの中でスマホのバイブレーションが狂ったように震えた。
画面に表示されたのは直属の上司である佐伯課長の名前。
おそるおそる耳に当てると、開口一番、鼓膜が破れんばかりの怒鳴り声が飛んできた。

『新城部長からお叱りの直電が来たぞ! 一体どんな無礼なプレゼンしたんだお前は!“東京の押し売りなら帰れ”と言われたぞ!』
「すみません、課長、私はただ最新の成功データを……」
『言い訳を聞いてるんじゃない! 明日朝一番の便で俺も鹿児島に向かう。新城部長には俺から頭を下げて再プレゼンの時間を取ってもらった。それまでお前はホテルで頭でも冷やしてろ! 余計なことは一切するな!』

ツーブツープ……と一方的に切れた通話。
画面が暗転し、黒いガラスに映し出された自分の顔は、情けないほど青ざめ、涙と灰でドロドロに汚れていた。

胃が、冷たい雑巾みたいにギューッと固く絞られていくのがわかる。
灰が入って涙が止まらない目を手背で押さえながら、逃げるように天文館の路地裏へ駆け込んだ。
アーケードの賑やかな灯りから外れた、雑居ビルが立ち並ぶ薄暗い路地。

もういい。
鹿児島なんて二度と来るか。
降り注ぐ火山灰はスーツを汚すし、目は痛いし、半年の努力は一瞬で全否定されるし……。
こんな街、大嫌いだ……。

東京に帰りたい。
見慣れたオフィスの自分のデスクにしがみついて、失敗を会社や地方の保守的な体質のせいにして、丸くなっていたい。
激しい自己嫌悪と、街全体に対する理不尽な逆恨みのような感情が混ざり合い、私の足取りを鉛のように重く引きずらせていた。