「先生」
ヒロは里佳子の姿が見えなくなった事を確認してから、医師に問いかけた。
ん? と医師はこちらに顔を向ける。
「母は、本当にこの病院に寄付をしているんですか?」
専業主婦の彼女に、自由に使えるまとまったお金などなかった筈だ。父の死後、彼の会社の顧問弁護士に鏑木家のほとんどの資産の管理を委託しており、生活費などの資金が入った銀行口座は、母に代わってヒロ自身が管理していたのだ。
「先代の社長――亡くなった君のお父さんも、ずっとこの病院に寄付を続けてくださったんだ。その跡を継いで社長になった里佳子さんも、定期的にこの病院の経営を支援してくれているから、本当にありがたいと思っているよ」
母が、父の会社を継いで社長になる。そんな日が本当に来るとは夢にも思わなかった。
「じゃあ、柳田さん、ちょっと席を外してくれる? 鏑木くんの診察を始めるからね」
看護師が雪に向かって席を外すように促す。
ただ、雪はヒロを見たまま動かない。
この不可思議な状況をまだ理解できていないのは、彼女も同じなのだ。だから、雪は一人にはなりたくないのかもしれない。
ヒロにしてもまだ雪とは離れたくはない。
「一つだけ、聞いても良いですか?」
雪は看護師と医師を交互に見てから、静かな声でそう言った。
「なに?」
看護師は、「早くしてくれる?」と言いたそうな表情で答える。声音にも少し棘がある。
「あなたも、それに先生も、どうしてマスクをつけてないのですか?」
へ? と看護師は目を丸くする。彼女は直ぐに医師に顔を向けた。
しかし医師も雪の質問の意味が良く分かっていないようだった。
「マスクって……この病室は一般病棟だし、今は別に特別な措置をする場所でもないんだけど……」
「それで感染症対策は大丈夫なんですか?」
「感染症? インフルエンザとか?」
看護師は首を傾げる。
「まだ十月よ。そろそろ予防接種の時期だけど、この病院でもまだ患者さんはそれほど多くはないわ。それに一般の内科で受診をする先生たちは、ちゃんとマスクをつけるようにしているし、あなたが心配する事ではないけど」
看護師は口角泡を飛ばす勢いで言う。これでは感染症対策もあったものではない。
どうやら、ここでは新型の感染症は流行していないと見て間違いないらしい。
医師は苦笑を浮かべている。もちろんマスクはつけていない。そう言えば、先ほどの里佳子もマスクなどつけていなかった。良く考えると、ヒロが目を覚ましてから、この病院の中でマスクをつけた人には会っていない。
雪が再びこちらに視線を送ってくる。
その目がなにを物語っているのか。
恐らく、その真意を理解できるのはヒロしかいない。
だから。
「あ、あの……柳田も、やっぱりここにいても良いですか?」
ちょっと不安で、と情けない声を出して、なるべく看護師よりも医師の顔を見ながら懇願してみる。
看護師はあからさまに眉を顰める。
医師は苦笑を浮かべてから、
「まあ、別に良いよ。ヒロくんならこれくらいの特別扱いは許されるでしょう。お母様には大変お世話になっている事ですから」
看護師に向かって肩をすくめてみせた。
診察の後、看護師は些か乱暴な手つきでヒロの点滴の針と管を取り外した。ヒロの左腕には少しの間、針を抜いた後の痛みが残っていた。
里佳子はまだ病室に戻ってこない。
総合病院は一日の外来患者の数も多く、会計の窓口はいつも混んでいる。彼女も手続きに時間がかかっているのかもしれない。
医師と看護師が去ってから、ヒロは雪と一言も喋っていない。奇妙な現実を前にして、なにを話して良いのか分からない――と言う訳ではない。
ただ、二人とも耳をすませているのだ。
あの声が、果たして今も頭の中に聴こえてくるのか。
ヒロの頭の中には、あの景色が広がってくるのか。
そうしてじっと待っていても、なにも聴こえない。頭の中にも十三秒先のセカイも広がらない。あの奇妙な現象は、もう起こらないのかもしれない。
それがどんな意味を持つのか。
ヒロには、思い当たる事があった。
あの時、崖下に落ちていく里佳子の乗ったシルバーの車に手を伸ばした。
その瞬間、ヒロが目にしたのは、十三秒先のセカイだったのかもしれない。その景色は無数にあったように思えた。
そんないくつものセカイに向かって、ヒロは懸命に手を伸ばし、もう少しでそこに手が届きそうだった。そう思った時に、雪に腕を引かれたのだ。
だけど。
ほんの少しだけでも、自分の手が、その指先が、そのどこかの景色に届いていたのなら、今のヒロは以前とは異なるセカイに生きているのではないだろうか。そして、自分の腕を掴んで離さなかった雪も一緒にこの新しい世界に辿り着いてしまったのかもしれない。
ここは、もう十三秒先に進んでいる。
だからヒロがいくら耳をすませても、声も聴こえなければ、セカイの景色も広がる筈はない。なぜなら、自分たちは既にその並行するセカイの中で生きているのだから。
「ねぇ、柳田……」
上体を起こして、雪の様子を伺う。
彼女はパイプ椅子に座ったまま、まだ目を閉じている。
「ぼくにはなにも聴こえなかった。それになにも見えなかった。十三秒先の景色を知る手がかりは、もうなくなっちゃったみたいだけど……」
少しは残念そうな声音になってしまったのだろうか。
心残りがあるとするのなら、やはり目の前の少女の声が聴こえなくなった事なのだ。
雪はゆっくりと目を開く。
「あたしにはまだ聴こえます」
彼女は静かにそう言った。
ヒロはゴクリと喉を鳴らす。
「あの声が本当に聴こえるの? それともなにか見えた?」
雪は、プッと吹き出すようにして笑った。手で口を押さえて、肩を震わせている。彼女の茶褐色の長い髪がサラリと流れた。
悪戯が成功した事を楽しんでいるのだろうか。
ヒロは初めて雪のそんな顔を見た気がした。
「嘘でしょ」
「嘘じゃないですよ」
「じゃあ、誰の声が聴こえたの? 母さんの? それともさっきの先生とか?」
「それは……」とそこで雪は笑みを深める。「もちろん、ヒロの声です」
へ? とヒロは思わず声を漏らした。
目の前には雪しかいない。
ほんの十三秒先なら、ヒロが言葉をかける相手は雪だ。これからいったいどんな事を彼女に言わなければならないのか。想像もつかない。
「じゃあさ、柳田はぼくが十三秒後になにを言うのか、もう知ってるんだよね?」
「知ってます」雪はさも当然の事のように言う。「あと残り十秒ですけど」
彼女は目を閉じる。
細工は流流仕上げを御覧じろ――得意気な表情の雪からはそんな声が聴こえてきそうだ。
もう賽は投げられた。
次はヒロが決断する番だ。
ならば、雪になにを言えば良いのか?
彼女の嘘を暴くのなら、予想外の言葉を伝えれば良い。もしくはなにも言わなくても良いのかもしれない――。
いや。違う。
そうじゃない。
どうして雪の嘘を暴かなくてならないのか。
嘘を暴いて。追い詰めて。このセカイでもたった一人の肉親すら失ったこの少女をこれ以上苦しめてしまう事など許されない。それこそつがいの蝶――ヒョウモンモドキたちの呪いで苦しめられそうだ。
そうだった、とヒロは思い出す。
呪われていたのはヒロだったのだ。そんな自分を救ってくれたのは、他ならぬ雪なのだ。
あの時、彼女は必死で叫んで、腕を掴んでヒロを呼び止めてくれた。アスファルトの上に転がって、ヒロは彼女の胸の中に包まれた。その時に感じた温かさ。そして、その優しい匂い。その感覚は、二度と失ってはならない。
雪の唇が僅かに動いている。
――十秒。
彼女は数を数えている。
――十一秒。
このカウントは、もう直ぐ終わる。それまでに、彼女に伝えるべき言葉を見つけなければならない。
――十二秒。
「ぼくは柳田が好きだよ。多分、『愛してる』と同じ意味で……」
雪はそっと目を開ける。
宝石のように美しい鳶色の瞳が、少しだけ揺らいだような気がした。
「わたし、前に言いましたよね」彼女の大きな瞳が揺らぐのは、そこに涙を湛えているからだ。「『愛してる』は気持ちが悪いって……」
「そうだっけ……あんまり覚えてないな」
「嘘です。ヒロは嘘つきです……」やがて彼女の目から、大粒の涙がいくつも流れ出す。「それに『好き』と言う言葉も嫌いです。あの夜に、何度も耳にしてしまいましたから……」
彼女は手で涙を拭う。白いカットソーの袖が肘の辺りまで落ちて、赤黒い火傷の跡が露わになる。
それは決して消えない傷の跡。醜く刻まれた呪いでもある。
やはり十三秒前にあった酷い現実も、全部がなかった事にはならない。
それでも。
「知ってるよ」
「なら、どうして――」
「本当に柳田が十三秒先のぼくの声が聴こえていたとして……その声が、さっきのぼくの言葉と同じかどうか知らないけどさ」
だけど、とヒロは続ける。
「こうしてぼくの気持ちを君に伝える事ができるのなら、少しくらいこの先の景色って言うか、未来を変える事ができると思ったんだ……」
すん、と雪は鼻を鳴らす。
「ぼくは、柳田の未来を変えてみたい」
だから雪もこの新しいセカイで一緒に生きていてほしい。
「なんだか……」
雪はカットソーの袖を引いて目を擦る。袖の辺りはもうずいぶん湿っているようだ。
「あ……『愛してる』は、気持ちが悪いって、思えなくなりそうです」
彼女は泣き笑いの顔になってそう言った。
(了)
ヒロは里佳子の姿が見えなくなった事を確認してから、医師に問いかけた。
ん? と医師はこちらに顔を向ける。
「母は、本当にこの病院に寄付をしているんですか?」
専業主婦の彼女に、自由に使えるまとまったお金などなかった筈だ。父の死後、彼の会社の顧問弁護士に鏑木家のほとんどの資産の管理を委託しており、生活費などの資金が入った銀行口座は、母に代わってヒロ自身が管理していたのだ。
「先代の社長――亡くなった君のお父さんも、ずっとこの病院に寄付を続けてくださったんだ。その跡を継いで社長になった里佳子さんも、定期的にこの病院の経営を支援してくれているから、本当にありがたいと思っているよ」
母が、父の会社を継いで社長になる。そんな日が本当に来るとは夢にも思わなかった。
「じゃあ、柳田さん、ちょっと席を外してくれる? 鏑木くんの診察を始めるからね」
看護師が雪に向かって席を外すように促す。
ただ、雪はヒロを見たまま動かない。
この不可思議な状況をまだ理解できていないのは、彼女も同じなのだ。だから、雪は一人にはなりたくないのかもしれない。
ヒロにしてもまだ雪とは離れたくはない。
「一つだけ、聞いても良いですか?」
雪は看護師と医師を交互に見てから、静かな声でそう言った。
「なに?」
看護師は、「早くしてくれる?」と言いたそうな表情で答える。声音にも少し棘がある。
「あなたも、それに先生も、どうしてマスクをつけてないのですか?」
へ? と看護師は目を丸くする。彼女は直ぐに医師に顔を向けた。
しかし医師も雪の質問の意味が良く分かっていないようだった。
「マスクって……この病室は一般病棟だし、今は別に特別な措置をする場所でもないんだけど……」
「それで感染症対策は大丈夫なんですか?」
「感染症? インフルエンザとか?」
看護師は首を傾げる。
「まだ十月よ。そろそろ予防接種の時期だけど、この病院でもまだ患者さんはそれほど多くはないわ。それに一般の内科で受診をする先生たちは、ちゃんとマスクをつけるようにしているし、あなたが心配する事ではないけど」
看護師は口角泡を飛ばす勢いで言う。これでは感染症対策もあったものではない。
どうやら、ここでは新型の感染症は流行していないと見て間違いないらしい。
医師は苦笑を浮かべている。もちろんマスクはつけていない。そう言えば、先ほどの里佳子もマスクなどつけていなかった。良く考えると、ヒロが目を覚ましてから、この病院の中でマスクをつけた人には会っていない。
雪が再びこちらに視線を送ってくる。
その目がなにを物語っているのか。
恐らく、その真意を理解できるのはヒロしかいない。
だから。
「あ、あの……柳田も、やっぱりここにいても良いですか?」
ちょっと不安で、と情けない声を出して、なるべく看護師よりも医師の顔を見ながら懇願してみる。
看護師はあからさまに眉を顰める。
医師は苦笑を浮かべてから、
「まあ、別に良いよ。ヒロくんならこれくらいの特別扱いは許されるでしょう。お母様には大変お世話になっている事ですから」
看護師に向かって肩をすくめてみせた。
診察の後、看護師は些か乱暴な手つきでヒロの点滴の針と管を取り外した。ヒロの左腕には少しの間、針を抜いた後の痛みが残っていた。
里佳子はまだ病室に戻ってこない。
総合病院は一日の外来患者の数も多く、会計の窓口はいつも混んでいる。彼女も手続きに時間がかかっているのかもしれない。
医師と看護師が去ってから、ヒロは雪と一言も喋っていない。奇妙な現実を前にして、なにを話して良いのか分からない――と言う訳ではない。
ただ、二人とも耳をすませているのだ。
あの声が、果たして今も頭の中に聴こえてくるのか。
ヒロの頭の中には、あの景色が広がってくるのか。
そうしてじっと待っていても、なにも聴こえない。頭の中にも十三秒先のセカイも広がらない。あの奇妙な現象は、もう起こらないのかもしれない。
それがどんな意味を持つのか。
ヒロには、思い当たる事があった。
あの時、崖下に落ちていく里佳子の乗ったシルバーの車に手を伸ばした。
その瞬間、ヒロが目にしたのは、十三秒先のセカイだったのかもしれない。その景色は無数にあったように思えた。
そんないくつものセカイに向かって、ヒロは懸命に手を伸ばし、もう少しでそこに手が届きそうだった。そう思った時に、雪に腕を引かれたのだ。
だけど。
ほんの少しだけでも、自分の手が、その指先が、そのどこかの景色に届いていたのなら、今のヒロは以前とは異なるセカイに生きているのではないだろうか。そして、自分の腕を掴んで離さなかった雪も一緒にこの新しい世界に辿り着いてしまったのかもしれない。
ここは、もう十三秒先に進んでいる。
だからヒロがいくら耳をすませても、声も聴こえなければ、セカイの景色も広がる筈はない。なぜなら、自分たちは既にその並行するセカイの中で生きているのだから。
「ねぇ、柳田……」
上体を起こして、雪の様子を伺う。
彼女はパイプ椅子に座ったまま、まだ目を閉じている。
「ぼくにはなにも聴こえなかった。それになにも見えなかった。十三秒先の景色を知る手がかりは、もうなくなっちゃったみたいだけど……」
少しは残念そうな声音になってしまったのだろうか。
心残りがあるとするのなら、やはり目の前の少女の声が聴こえなくなった事なのだ。
雪はゆっくりと目を開く。
「あたしにはまだ聴こえます」
彼女は静かにそう言った。
ヒロはゴクリと喉を鳴らす。
「あの声が本当に聴こえるの? それともなにか見えた?」
雪は、プッと吹き出すようにして笑った。手で口を押さえて、肩を震わせている。彼女の茶褐色の長い髪がサラリと流れた。
悪戯が成功した事を楽しんでいるのだろうか。
ヒロは初めて雪のそんな顔を見た気がした。
「嘘でしょ」
「嘘じゃないですよ」
「じゃあ、誰の声が聴こえたの? 母さんの? それともさっきの先生とか?」
「それは……」とそこで雪は笑みを深める。「もちろん、ヒロの声です」
へ? とヒロは思わず声を漏らした。
目の前には雪しかいない。
ほんの十三秒先なら、ヒロが言葉をかける相手は雪だ。これからいったいどんな事を彼女に言わなければならないのか。想像もつかない。
「じゃあさ、柳田はぼくが十三秒後になにを言うのか、もう知ってるんだよね?」
「知ってます」雪はさも当然の事のように言う。「あと残り十秒ですけど」
彼女は目を閉じる。
細工は流流仕上げを御覧じろ――得意気な表情の雪からはそんな声が聴こえてきそうだ。
もう賽は投げられた。
次はヒロが決断する番だ。
ならば、雪になにを言えば良いのか?
彼女の嘘を暴くのなら、予想外の言葉を伝えれば良い。もしくはなにも言わなくても良いのかもしれない――。
いや。違う。
そうじゃない。
どうして雪の嘘を暴かなくてならないのか。
嘘を暴いて。追い詰めて。このセカイでもたった一人の肉親すら失ったこの少女をこれ以上苦しめてしまう事など許されない。それこそつがいの蝶――ヒョウモンモドキたちの呪いで苦しめられそうだ。
そうだった、とヒロは思い出す。
呪われていたのはヒロだったのだ。そんな自分を救ってくれたのは、他ならぬ雪なのだ。
あの時、彼女は必死で叫んで、腕を掴んでヒロを呼び止めてくれた。アスファルトの上に転がって、ヒロは彼女の胸の中に包まれた。その時に感じた温かさ。そして、その優しい匂い。その感覚は、二度と失ってはならない。
雪の唇が僅かに動いている。
――十秒。
彼女は数を数えている。
――十一秒。
このカウントは、もう直ぐ終わる。それまでに、彼女に伝えるべき言葉を見つけなければならない。
――十二秒。
「ぼくは柳田が好きだよ。多分、『愛してる』と同じ意味で……」
雪はそっと目を開ける。
宝石のように美しい鳶色の瞳が、少しだけ揺らいだような気がした。
「わたし、前に言いましたよね」彼女の大きな瞳が揺らぐのは、そこに涙を湛えているからだ。「『愛してる』は気持ちが悪いって……」
「そうだっけ……あんまり覚えてないな」
「嘘です。ヒロは嘘つきです……」やがて彼女の目から、大粒の涙がいくつも流れ出す。「それに『好き』と言う言葉も嫌いです。あの夜に、何度も耳にしてしまいましたから……」
彼女は手で涙を拭う。白いカットソーの袖が肘の辺りまで落ちて、赤黒い火傷の跡が露わになる。
それは決して消えない傷の跡。醜く刻まれた呪いでもある。
やはり十三秒前にあった酷い現実も、全部がなかった事にはならない。
それでも。
「知ってるよ」
「なら、どうして――」
「本当に柳田が十三秒先のぼくの声が聴こえていたとして……その声が、さっきのぼくの言葉と同じかどうか知らないけどさ」
だけど、とヒロは続ける。
「こうしてぼくの気持ちを君に伝える事ができるのなら、少しくらいこの先の景色って言うか、未来を変える事ができると思ったんだ……」
すん、と雪は鼻を鳴らす。
「ぼくは、柳田の未来を変えてみたい」
だから雪もこの新しいセカイで一緒に生きていてほしい。
「なんだか……」
雪はカットソーの袖を引いて目を擦る。袖の辺りはもうずいぶん湿っているようだ。
「あ……『愛してる』は、気持ちが悪いって、思えなくなりそうです」
彼女は泣き笑いの顔になってそう言った。
(了)

