晴れた日でも雨傘をさして

 夏休みに入って、萱と綿密に予定を立てた。
 塚田先生がいるのは、山梨だった。
 しかも、僕が小さい頃に何回か行ったことがある清里の近く。
 かといって、知見があるわけじゃないけど。
 まずは、一番安い交通費で行く方法を調べた。
 新宿から高速バスが一番安い。
 高速バスの終点で、塚田先生が待っていてくれるという話はついた。
 旅費は、お互いにお小遣いを持ち寄ることにした。
 僕は、普段ほとんど使っていないからそれなりの金額になった。
 一番肝心なこと……
 塚田先生は、僕たちが『夏休み旅行』として自分の元に来ると思っている。
 まさか『家出』だとは想像もしていないだろう。
 じゃあ、『家出』と『旅行』の違いって何? と問われれば、周知したか、しないかだ。
 いきなり、僕が家から消えて、お母さんたちは大騒ぎするだろう。
 でも、そこで塚田先生の元に居たと知ったら、また塚田先生を攻撃するかもしれない。
 そのことが、不安にさせた。
 僕の独りよがりな考えによって、塚田先生を悪者にするわけにはいかない。
 僕は逡巡していた。
 本当のことを、事前に塚田先生に話すべきか。

「まあ、迷惑はかけるよなー。あと、いつまで家出するかにもよるよな」

 カフェで萱と最終確認をしていた。
 僕の言葉に対して、萱は冷静だった。
 確かに、一生家出する気はない。
 でも、それが一週間なのか、一ヶ月なのか決めていない。
 普通に、夏休みが終われば登校はする。
 だから、夏休みの間だけという暗黙の了解が二人の間では出来ていた。

「やっぱり、言っておこうか」
「それを聞いて、塚田が来るな! って言ったらどうすんだよ」
「……家出を止める」
「はぁ? ふざけんなよ! そんな軽い気持ちで決行するつもりだったのかよ!」

 萱は持っていたスマホをテーブルに放り出した。
 やけに熱くなっている萱が不思議だった。
 だって、そもそも僕が言ったことに同意しただけで、萱は家出なんてするつもりなかったはずなのに。

「どうして、萱がそんなにムキになるんだ?」
 
 萱は僕と目を合わさずに、あらぬ方向を見ている。

「なんでだよ?」
「……別にムキになんてなってねーよ」
「なってるじゃん」

 萱は何かを放棄したように、椅子の背もたれに全身を預けた。

「ああ? 俺の意志が削がれた気になったから!」
「意志って?」
「……お前と今まで経験したことない夏休みが送れると思ってワクワクしてたからさ」
「え、そうなの……」

 萱は照れ臭そうに話すと、アイスラテのストローを齧った。
 僕は萱の言葉にちょっと感動した。
 夏休みの思い出作りってこと?
 なんか、青春じゃん!

「そっか、そうだよね。ゴメン。とりあえず、行ってから考えよう」
「おお。どうとでもなるっしょ」

 どうとでもなる。
 萱の言葉に、不安な気持ちが少し薄れた。

🔸🔸🔸

 デイバックには最低限なものしかいれなかったのに、パンパンに膨らんでいた。
 でも、朝6時のバスの中には僕と、どこかのおばあちゃんしか乗っていなかった。
 最寄りの駅まで、約15分。
 その間に、これからの予定をシミュレーションする。
 萱とは新宿駅に7時に待ち合わせをした。
 そこから、8時のバスに乗って清里まで長く見積もって約4時間。
 お昼ごろには、着く予定だ。
 清里のバスの停留所から、塚田先生が住んでいる場所までは1時間ほどかかるという話だった。
 いつ、どの時点で親から電話やLINEがくるのかわからなかった。
 来てから、対応を考える。
 萱が言った『どうとでもなるっしょ』が、僕の拠り所だった。
 今は、不安な気持ちよりも、解放感のほうが強い。
 見慣れたバスの車窓の風景を見ながら、今度ここを通るのは果たして何日後なのだろうと、考えていた。

「うわっ! 軽装だなー」

 萱と会った一発目にこう言われた。
 当の萱はデイバックを背中に背負って、肩にはボストンバッグを掛けていた。
 本当に旅行に行きそうな格好。

「っていうか、何をそんなに持ってきたんだ?」
「え、いや色々と。だって、自給自足しているぐらいなら周りにコンビニとかそういう便利な店はないだろうからさ。想定しうるものはとりあえず突っ込んだ」

 用意周到なのか、大袈裟に考え過ぎなのか、よくわからないけど、意外と繊細な萱が新鮮だった。

「じゃあ、僕も何かあったらおまえから色々借りるよ」
「なんだよ、人任せかよ」

 高速バス乗り場は、夏休みということもあって家族連れや、カップル、僕たちみたいな友人同士などが多く集まっていた。

「なんか、いいなー。こういう雰囲気」
「だね。カフェがあるけど、何か買ってくる?」
「そうだな。行こう」
 
 カフェに入ると、一瞬躊躇した。
 ここで無駄にお金を使ってしまっていいのだろうか。
 賑やかな店内に目を向けると、これから旅行に向かう高揚感に溢れた人たちの顔が目に映った。
 嫌でも、自分たちは楽しい旅行に行くのではなく、家出をするのだという現実的な考えに襲われた。
 バカンス気分じゃないんだよな……

「どうした、柚」
「……無駄使いはやめる」
「へ? ラテ一杯買うだけだぞ?」
「でも、ちりつもになるよ、きっと」

 萱は、僕の顔をじっと見ると並んでいた列から外れた。

「だな。まだ先は長いし、止めよう」

 萱が文句も言わずに同意してくれたのが嬉しかった。
 僕たちは、コンビニに入って飲料水とおにぎりを買うだけに留めた。
 
「お菓子はデイバックの中にあるから、腹が減ったら喰おうぜ」
「そうだな。僕も少しは持ってきたよ」

 バスに乗り込むと、二人してバッグの中身を確認し合った。
 想像以上に、萱は細々した日用品を持ってきていて、僕は感心してしまった。

「頼れるなー。萱のこと見直したよ」
「だろ? やっぱり俺と一緒に家出できて良かっただろ」
「一生、言ってろ!」

 高層ビルの間を走りながら、バスは清里に向かう。
 車窓から見える景色が、高速道路だけになった頃、僕たちは深い眠りについていた。