晴れた日でも雨傘をさして

『無事に家に帰れたか』
「うん、すげー遠回りして帰って来た」

 萱が電話をくれた。
 もう10時を回っていたのに、律儀な奴だ。

『で、大丈夫なのか?』
「大丈夫じゃない。家ではお母さんと喧嘩した。で、負けた」
『マジか? 戸谷は犯罪者一歩手前だな。絶対、あいつ余罪あるぞ』
「うん。いっそのこと、僕が襲われでもしたら捕まるのにな」
『ヤメろ! 冗談でも言うなよ、そんなこと。思考が短絡的になったら負けだからな!』

 でも、もう全てを放棄したかった。
 だって、何を言っても、どう訴えても、味方は萱しかいないのだから。

「親が校長に電話して、塚田先生は体調不良で療養のため休職したって、シナリオ通りの返事をもらってたよ」
『だろうなー。体よくお払い箱ってことかよ』
「どうしよう。本当に悪いことしちゃった」
『塚田が自分の意思でやったことだから、お前のせいじゃないよ。で、返信きたのか?』
「こないー。休職中の先生は生徒と連絡しちゃいけないのかな?」
『だとしても、塚田ならそんなルール、軽―く無視しそうだけどな』

 僕もそう思っていた。
 破天荒、異端児。
 どうとでも表現できる、あの自由な個性はそんな学校のルールに縛られるとは思えなかった。
 だから、期待していた。

『明日、学校来れるか?』
「うん。行かないと、またお母さんたちと揉めるから」
『あと、三日で夏休みだ。部活もないなら、一緒に帰れるだろ? 戸谷も俺と一緒なら手出しできねーだろう』
「おー、頼りになるな―」
『少なくとも、お前よりも背は高い』
「まだ、それ言うか!」

 塚田先生の返信、萱のボディガード、夏休みまであと三日。
 胸の奥にピンと張りつめた細い糸は、まだなんとか切れずに保っていた。

🔸🔸🔸

「島谷、ちょっと職員室に来なさい」

 昼休み、戸谷先生に呼び出された。
 一緒に弁当を食べていた萱は、大きく頷くと僕と一緒に職員室に向かった。

「なんで、萱が来るんだ? 呼んでないぞ」
「島谷がひとりで行きたくないというので、ついてきました」
「はぁ? 小学生じゃあるまいし。島谷と大事な話があるから教室に戻りなさい」
「じゃあ、ちょっと離れて見ています」

 先生の少しキツい言い方にもひるまず、萱は反論している。
 でも、僕は不安になっていた。
 塚田先生の次は、萱が『不利益をこうむる存在』にされてしまいそうで。

「いい加減にしろよ。教師ナメてんのか?」

 先生の口調が変わった。
 ドスが効いた声に、思わず身震いした。
 この人の、本性が見えたような気がした。

「先生! 生徒を脅しちゃだめじゃないですかー。俺は何もしてません。ただ、遠くで見てますって言っているだけです。それに、職員室は生徒の誰でも来ていい場所なんですよね?」

 萱はわざと、大きな声をだした。
 職員室に残っていた、他の先生にも聞こえるぐらいに。
 でも、僕はもうそれぐらいにしておかないと、萱のこの先が心配になっていた。

「萱、もう大丈夫だよ。だから……」
「ほら、島谷本人が迷惑だって言っているんだ。戻りなさい」

 萱は何かを言おうとしたが、僕の目を見ると一瞬歯を食いしばるような表情を浮かべて、職員室から出て行った。
 何回も僕の方を振り返りながら。
 だから、僕は目だけで安心させるように訴えていた。

「なんか、よけいな奴がヒーローぶって困るよなー。柚は人気者だからね」

 さっきとはまるで違う、甘い声を出した。
 僕は立ったまま、戸谷先生を見下げていた。

「なんで座らないの。先生を上から見下ろすなんて失礼なんだよ。座りなさい!」

 そう言うと、腕を強く引っ張り、向かいの席に座らせた。
 腕を掴まれたことに、全身がヒュッと冷たくなった。
 普通に、膝がぶつかっている。
 僕は椅子を後ろに引くが、先生が足で椅子を引き戻した。
 ち、近い……
 でも、まだこの部屋には他の先生が居る。

「ふー。やっと二人で話が出来るね。もうさあ、いろいろあったからさあ。ずっと柚と話したかったんだよ。もちろん、勉強の話だよ。夏休み、どうすんの? 予備校決めた? お母さんたちにもまた相談されたよ。どこに行くのがいいですかねーって。親御さん、心配させちゃダメでしょ」

 戸谷先生は教師として生徒を心配しているふりをして、僕の意思を削ぐように仕向けている。

「……行きたい予備校がないなら、先生のところに来なさい。マンツーマンだと効率良いし、受験のプロだからね、何の心配もないだろ?」

 先生の手が僕のほほを触ろうとするのを、避けた。

「顔を触ろうとするのは止めてください! 予備校は自分で決めます。先生のお世話にはなりません!」

 職員室中に響き渡るぐらいの、大声を出した。
 さすがに、他の先生にも聞こえるだろう。
 でも、目の前にいる戸谷先生はニヤニヤと笑うだけで、動じる様子もない。

「可愛いなー、柚は。そんなに頑張っても誰もなんとも思わないから。もう、邪魔する低俗教師もいなくなったしね。これから、ゆっくりと色々なことに時間を掛けられるね。うん? 顔に汗かいてるね。先生が拭いてあげるね」

 先生の手が僕のこめかみに触れた瞬間、僕は勢いよく立ち上がった。 
 僕の腕を掴もうとする先生を振り払って職員室を出た。
 ズボンのポケットに入れたスマホはまだ赤いランプが光っていた。
 全て録音した。
 誰も守ってくれないなら、自分で一歩踏み出すまでだ。
 廊下で騒いでいる生徒をかき分けながら、スマホを握りしめていた。