晴れた日でも雨傘をさして

 美術室の扉には鍵が掛かっていた。
 今日は、部活の日。
 なのに、扉が開かない。
 他の部員も集まってきて、困惑していた。

「塚田先生はお休みですか? 田島先輩、何か聞いてませんか?」

 三年の田島先輩が何かを持って現れた。
 僕は思わず聞いてみたけど、先輩は無言で扉に張り紙をした。

「……どういうことですか?」
「見た通り。塚田先生は休職したらしい。だから、夏休み明けに新任の美術教師がくるまで部活は停止。置きっぱなしの物も取り出せないから、そこは我慢して」

 いきなり休職……
 僕は、心臓がキューッと苦しくなった。
 だって、理由はあれしか思いつかないから。

「塚田先生は病気なんですか? この間まで元気そうでしたけど」
「俺は知らない。ただ、そう説明されてこれ貼っておけって言われただけだ。残念だけどな。ってことで、解散!」

 そう言うと、田島先輩は廊下を歩いて行った。
 それに続いて、部員も次から次へと部屋の前から去っていく。
 僕だけが、その場から離れずにいた。
 足が貼り付いて、動けない。

『……柚は希少価値なんだよ、この学校では。だから先生が君に不利益が生じないように守ってあげるから』

 戸谷先生が僕に放った言葉。
 塚田先生が、僕にとっての不利益とみなされてしまった……ということ?
 怖い……
 僕はガタガタと動けないまま、震えていた。

🔸🔸🔸

 暗澹たる気持ちのまま校舎を出ると、正門の前に戸谷先生が立っていた。
 どうして……
 僕は足を止めて、息を吸うことすら音を立てないようにじっとその姿を見ていた。
 まだ、僕の姿には気が付いていない。
 僕は向きを変えると、全速力で校舎の裏側に向かって走った。
 部活をしている時間帯は、裏門は開いている。
 僕は裏門を抜けると、目の前に停車していたバスに飛び乗った。
 どこに行くのかわからない。
 でも、とにかく今はこの場から逃げることしか考えていなかった。
 席に座ると、萱にLINEを送った。
 恐らく、今の時間は予備校に行っているはず。
 でも、僕が頼れるのは萱しかいなかったから。
 どこへ向かっているのかわからないバスの車窓から見える風景は、モノクロだった。

――大丈夫か? 今どこだ?

 よくわからない停留所で降りると、萱から返信がきていた。

――よくわからない停留所にいる。まだ授業中だろ?
――どこだよ、そこ? 悪い。9時まで身動きとれねー。家に帰ったら電話する
――了解。頑張れ!

 このやり取りだけで、僕の心は落ち着いた。
 地図アプリでここがどこかを調べる。
 家の最寄り駅に行くには、幾つか先の停留所で降りれば、乗り入れている路線の駅に着くようだ。
 僕はとりあえず、次のバスがくるまで停留所のベンチに座って待つことにした。
 その間に、塚田先生のSNSを調べる。
 Facebookをしていることは知っていた。
 コンクールなどで入選した絵がアップされているのを見たことがある。
 僕も自分の描いた絵をアップしていたから、アカウントは持っている。
 だから、先生とコンタクトが取れる唯一のツールだと思っていた。

「あ、まだ更新してる!」

 最新の更新日が先週の日曜日だった。
 夏休みにどこかへ行く予定という内容だった。
 僕は先生のアカウントをフォローして、メッセージを送った。

――塚田先生、島谷です。休職されたと聞いて驚いてご連絡しました。体調は大丈夫ですか? もし、僕のせいだったらすみません

 短いメッセージで、自分が思ったことを全て伝えるのは難しかった。
 でも、リアクションがあるだけで、僕は少し救われるだろう。
 バスが停留所に入ってきた。
 僕は乗り込み、塚田先生からの返信を待った。

🔸🔸🔸

 家に帰ると、僕は塚田先生が休職になったことをお母さんに伝えた。
 まだ、塚田先生からの返信はなかったけど、僕の件が関わっていると思ったから。

「ああ、美術部の先生ね。どうされたのかしらね?」
「だから、戸谷先生の件で僕が相談していたから、それで報復措置されたんだよ!」
「そんな、物騒なこと言わないで! そこらへんの、偏差値が低い高校じゃないのよ? あれだけの進学校でそんな前時代的なことが起きるわけないでしょ?」

 お母さんの、偏った視点が嫌いだ。
 全て、知名度や人気の度合いで良し悪しを決めたがる。
 
「前時代的なのはどっちだよ! 偏差値の高低差で物事の価値基準を決めている方が遅れてるだろ! これだけSNSで公になることが多いのに、もっと広い視点で物事を見てよ! 学校の言葉と息子の言葉と、どっちを信じるか冷静に判断してよ!」

 僕は部活を辞めない、と反発した時よりも、もっと怒鳴っていた。
 どうして、わかってくれないのだろう。

「じゃあ、お母さんが校長先生に確かめてみるわよ。第三者の言い分なら信用できるってことでしょ!」
「ち……違う。校長は否定するに決まってる。自分の学校から悪い噂は出したくないんだから!」
「それこそ、柚の偏見じゃないの? 学校が全てを隠すって、本当にそうなのかしら? じゃあ、柚が言うSNSで悪い噂は公になっているの? お母さん見たことないわよ」

 お母さんは、スマホを手に取ると学校に電話をした。

「もしもし、大変お世話になっております。二年三組の島谷です。お忙しいところ、恐れ入りますが……」

 僕はただ、それをぼーっと見ていることしかできなかった。
 何が真実で、何が隠蔽されているのかなんて、大人の言い分で決まってしまう。
 僕は無力だ……