晴れた日でも雨傘をさして

 イーゼルに立てたキャンバスに、色を重ねていく。
 光を表現したくて、塗っては違うと拭き取り、また塗って、を繰り返す。
 この永遠に終わらない作業が好きだった。
 妥協しようと思えばできる。でもしたくはなかった。
 
 全校集会では事件の詳細には触れることなく、ただ戸谷先生が逮捕された。
 学校側の処分は未定。
 担任していたクラスは臨時で竹ノ内先生が担当する。
 報道関係者のインタビューには絶対に答えないこと。
 今日はこの集会が終わったら全員帰宅。
 保護者への説明会は近日中に行うという、事実だけが述べられて終わった。
 僕は何の感情も動かず、ただ耳を傾けていただけだった。
 萱は途中から、校長先生の話を聞くことさえ無駄だと言わんばかりに、ワイヤレスイヤホンを耳に入れていた。
 相馬先輩の姿を探そうと思ったけど、止めた。
 先輩は先輩ですでに折り合いをつけているのだから。

 家に帰ると、お母さんはずっとため息を吐いていた。
 僕は校長先生が話したことを簡潔にお母さんに伝えると「いったい、どうなってるのよ……」と嘆かれた。

 僕は自分の部屋に入りイーゼルの前に座っている。
 僕を変えてくれた清里、塚田先生、よしかずさん、萱。そして美瑛ちゃん。
 僕は傘を描くことで、本当の自分を隠していた。
 清里で会ったみんなも、きっと同じだ。

 キャンバスには清里の林が描かれている。
 清里の林の中、雨が上がったばかりで、薄い光が射し、雨粒がキラキラと光っている。
 一面、濃い緑に覆われた地面には、誰かが置いていった傘が5つ、閉じずに広げられている。
 その色は透明だ。
 タイトルは決まっている【もう傘はいらない】
 それぞれが、自分自身を隠す必要がなくなったから。

 この絵から、濃い緑の匂いを感じてもらえるだろうか、林のざわざわとした音が聴こえるだろうか、傘に反射する雨上がりの光を描けているだろうか。
 僕は、スマホで写真を撮るとFacebookにアップした。
 一番見て欲しい人に、見てもらえるから……

 明日からは、普通の日常が戻る。
 異常な状況ではあるけれど、でも僕にとっては淡々と毎日を過ごすことにこそ、意味があると思っている。
 もう、僕が僕であることを妨げるものはない。
 萱とバカ話をして、美術部で絵を描いて、美大への進学準備をする。
 美瑛ちゃんと電話をして、今度はいつ清里へ行こうかを相談する。
 そんな普通の生活こそ、僕が自分自身で出した正解。
 Facebookにメッセージが送られてきた。
 
――こんなに美しい雨傘を見たのは初めてだ。俺に刺激を与えてくれてありがとう。ずっと絵を描き続けろ。俺もお前に負けないように絵を描き続ける。

 僕が見つめているスマホの画面に、涙が雨粒のように落ちていた。

                                                     了