晴れた日でも雨傘をさして

 カフェでランチをして、赤レンガ倉庫をブラブラ歩いていたら、帰る時間になってしまった。
 僕たちはずっと話していた。
 話すことが止まらなくて、目的の場所を通り過ぎてしまったりもした。
 美瑛ちゃんは食べる時も、可愛い物を見つけた時も、リアクションが大きくて僕はその度に笑ってしまった。
 二人で何枚も写真を撮った。
 僕は最初のころは慣れなくて、いびつな笑顔を浮かべていたけど、それすらも美瑛ちゃんには可愛いと褒められた。
 赤レンガ倉庫の出店で、手首につけるお揃いのミサンガを買った。
 美瑛ちゃんはレッド、僕はブラウンにそれぞれ同じシルバーのプレートがついている。
 色が白い美瑛ちゃんの細い手首には鮮やかな赤が映えた。
 美瑛ちゃんは太陽に向かってそのミサンガを掲げたり、僕の腕と並べて写真を撮ったり、ずっと愛おしそうに触れていた。
 僕たちの初デートの思い出。

「……帰りたくないなって本当に口から出ちゃうんだね」
「どういうこと?」
「漫画やドラマでこういうセリフが出てくると、クサいなーって思ってたけど、自分でも言っちゃった」

 さっきまであんなに元気だったのに、訥々と話す美瑛ちゃんが寂しそうで、僕は抱きしめたい気持ちを抑えるのに必死だった。

「ホントだね……あっという間だった」
「でも、また会えるし。再来年は私も横浜に住むし。未来予想図は完璧だよ!」

 美瑛ちゃんの前向きな発言に、僕も応えたいと思った。

「僕は自分がやれることをやる。それを自分の正解とする。そう決めた」

 すごく抽象的なことを言っているのはわかっていた。
 でも、美瑛ちゃんの前で堂々と宣言をしたかった。

「うん。私はずーっと柚くんの味方だから。大丈夫だよ」

 そう言うと、美瑛ちゃんは僕の頬にキスをした。
 あまりの速さに、僕は何をされたのかよくわかっていなかった。
 しかも、ここは人が大量に行き交っている駅の改札の前なのに!
 美瑛ちゃんは口角だけを上げて「ふふふ」と含み笑いをしていた。
 僕は瞬時に顔が赤くなって、汗が出てきた。
 美瑛ちゃんは、大胆過ぎる!

「じゃあね」
「やっぱり、特急に乗るまで送って行こうか?」
「ううん、いい。もっと離れたくなくなるから、ここでいいよ」

 僕は美瑛ちゃんの両手を握って、じっと顔を見つめていた。

「気を付けてね。家に着いたらLINEでも電話でもして」
「うん。柚くんも新学期、頑張ってね!」
「美瑛ちゃんも」

 僕たちはお互いが乗るホームに行くまで、ずっと手を振り続けていた。
 手首につけたミサンガがずっと揺れていた。

🔸🔸🔸

 家に帰ると、休みだったお父さんがいるリビングに向かった。
 僕がソファに座っているお父さんの前に立った。

「どうした、柚?」

 ずっと対峙してなかった僕の姿に、お父さんは困惑しているように見えた。
 キッチンにいたお母さんも、近寄って来た。

「どうしたの? 珍しいわね」
「お母さんも座って。話したいことがある」

 僕の声に、お母さんも少し驚いた様子でお父さんの隣に座った。
 僕はオットマンを持ってきて、二人と向かい合うように座った。
 久しぶりに目を合わせたお父さんとお母さんの顔は、少し痩せているように見えた。
 一ヶ月近く反抗的だった僕の態度に、心労をかけていたのかもしれない。
 軽く息を吸って吐くと、僕は口を開いた。

「事実だけを話すから、最後まで聞いて。口を出したくなっても、僕の話が全て終わってからにして欲しい」
「……わかった」

 お父さんはそう言うと、お母さんにも念を押すように顔を向けた。

「この間の登校日に僕は戸谷先生が三年の先輩を襲っているところを目撃した。美術室の暗い部屋で先輩のネクタイを外そうとしていた。そのネクタイを戸谷先生が手に持っている写真も撮った。それから校長先生に呼ばれて僕は見たままを話したけど、被害者である先輩が何も言わずに席を立ったので有耶無耶に終わった」

 お母さんが口に手を当てて、目を見開いていた。
 お父さんは、校長先生がしたように口をへの字に曲げている。

「戸谷先生の件で、今は東大生の先輩に話を聞いた。その人も戸谷先生にセクハラをされていたけど、やっぱり訴えずに東大に入ることで自分に折り合いをつけていた。でも、僕の話を聞いて、動いてくれようとしている。提案されたひとつはあまりにも大ごとになりそうで、僕はそれをやりたくないと言った」

 思わず、お母さんが声を出そうとするのを隣に座るお父さんが止めた。

「休職中だった塚田先生が復職せずに学校を辞める。僕は復職を願っていたけど、先生の選択を尊重しようと思う。学校で、僕の味方は萱以外いなくなったけど、でも僕はやっぱり校長先生も、教頭先生も、戸谷先生も、お父さんもお母さんも間違っていると思う。僕がやられて嫌だと思うことは、他人がどう判断しようがハラスメントだよ。戸谷先生の被害者は僕が聞いた中でも、すでに二人いる。本当はもっといるはずだけど、誰も声には出さない。そのこと自体が異常なんだよ。学校は隠蔽することで、学校の価値を守ろうとしている。僕はこんな学校には本当はいたくない。でも辞めない。僕の味方が誰もいなくなったとしても、僕は学校に訴え続けるよ。僕はそれを続けることを自分自身の正解とすることに決めた」

 一気に話して、僕は息苦しくなった。
 でも、言葉は止まることなく僕の口からこぼれ出た。
 僕はもう、本当の自分を隠す必要はない。
 それは、お父さんにもお母さんにも。

「だから、大学は美大に行くことにした。僕が僕自身でいられるのは東大や京大に入る事じゃない。絵を描き続けることなんだ。それが僕の未来予想図」

 お母さんの口がパクパクと動いているけど、声が出ていない。
 気が動転して、思考回路が停止しているのかも。
 お父さんは腕を組んだまま、僕の足元をじっと見ていた。