晴れた日でも雨傘をさして

 清里での楽しかった思い出を話している中で、萱が登校日のことを口にした。

「一昨日、学校へ行ってきたんですが、なんか色々あって。な、柚」
「う、うん」

 僕はまだ話すべきか決心がついていなかった。
 でも、ここで話さないと話す機会が永遠に来ないような気にもなっていた。
 萱は僕が話すまで待っている。

「……戸谷先生に何かされたか?」

 僕が言う前に、塚田先生が口を開いた。

「僕がじゃないです。先輩が……僕はその場面を見ただけです。でも、校長先生も教頭先生もやっぱり何事もなかったように処理しました」
「校長も教頭も見ない振りが常態化してるんですよ! 俺は唖然としました」

 よしかずさんはグラスを揺らしながら、ため息を吐いた。
 塚田先生はグラスに少ししか残ってなかったビールを一気に飲み干した。
 さっきまで、大騒ぎしていたのにしんと静まりかえると、一階のお客さんの声が二階にまで響いていた。

「塚田先生がお話していた、過去に戸谷先生に同じようなことをされていた卒業生とコンタクトをとっています。わりと具体的な解決策を提案はしてくれています……」

 でも、それを実行させるかは別問題だ。

「具体的な解決策って何?」
 
 よしかずさんが、僕に聞いてきた。
 僕が答えるより先に、萱が口を開いた。

「その人の先輩が、出版社に就職して週刊誌の編集をしているそうです。なので、そこにこの話を持ち込んだらどうだろうっていう話です。でも、俺も柚もそんな大袈裟な話になるとは思っていなかったので……」
「週刊誌!?」

 美瑛ちゃんが大きな声をあげた。
 さっき聞いたばかりの話だから、驚くのは当然だ。
 塚田先生も、顎髭をさすりながら当惑しているように見えた。

「また、それは大ごとになりそうだね」
「はい。僕たちは現役の高校生であって、世論とかをどうこうしたいわけじゃないんです」
「……柚くんや萱くんの顔が晒されたりするの?」
「いや、さすがに未成年に対してそれはないと思うけど……」
「でもSNSで調べたらすぐに見つけられちゃうよ」

 美瑛ちゃんの指摘はもっともだった。
 今の時代、どこからでも情報は得られるだろう。
 しかも、戸谷先生が黙ってそんなスキャンダルを見過ごすわけがない。

「危険過ぎるな。さすがにそれは無いだろう。俺は反対だ」

 塚田先生が低く唸るような声を出した。
 僕はその言葉に救われた。

「島谷はどうしたいんだ? 闘いたい気持ちはわかる。でも、四面楚歌の中で勝ち筋が見つけられるのか?」
「それを塚さんが、島谷くんに言うのは酷だよ」
「でも、決めるのは被害に遭っている島谷自身だ」
「じゃあ、塚さんは復職はしないの? それはどうするつもりなの?」

 よしかずさんが、塚田先生を詰めている。
 僕の話から、塚田先生の休職の話にすり替わった。
 でも、僕も萱も、美瑛ちゃんもそれを一番知りたいと思っていた。

「島谷くんや、萱くんにずっとそこを問われているのに、一切返答しなかったよね。でも、17歳の彼らに答えを求めるなら、大人の塚さんこそ答えるべきだよ」

 いつも口角を上げて、微笑みながら話してくれるよしかずさんの姿はなかった。
 真剣に、でも少し悲しそうに見える表情で、塚田先生と対峙している。
 僕は息が詰まって、唾を飲みこむのに必死だった。
 隣に座っていた美瑛ちゃんの手が僕の手を強く握った。
 美瑛ちゃんも、この張りつめた空気に飲まれそうになっていたのかもしれない。
 塚田先生は、空のグラスを握りしめたまま一点を見つめている。
 清里の時も、似たような瞬間を見た。

「……俺は戻らない」
「え!」

 僕と萱は同時に発していた。
 先生の答えに、僕は一気に身体の力が抜けた。
 美瑛ちゃんは両手で口元を隠していた。
 
『そんな個人的なことで休職に追い込むような職場に戻りたいと思う?』

 圭くんが言い放った言葉が頭の中をループしている。
 僕はそこだけは、塚田先生の本当の気持ちを知りたかった。

「先生は自分を休職に追い込むような学校に絶望したから、戻らないという選択をするんですか……」

 僕は先生に対して目を逸らさずに、訴えた。

「……そうだ。あんな学校、俺の方から捨ててやる」
「塚さん!」

 よしかずさんの叫び声に、僕は肩をすくめた。
 隣にいる萱が震えているのがわかった。
 僕たちは楽観視していたのかもしれない。
 闘えば、勝っても、負けても得るものがあるはずだと。
 でも、現実は学園ドラマや漫画のような結末を招いてはくれなかった。